
(撮影:小田康弘)
■発表のポイント
◆東アジアに分布するツマジロウラジャノメ(タテハチョウ科)(図1)を対象に、DNA塩基配列を比較した結果、核遺伝子(注1)の方がミトコンドリア遺伝子(注2)よりも概して高い塩基多様性を示すという、通常とは相反する現象が見られることを明らかにしました。
◆極東ロシア産および日本産個体から細胞内共生細菌Wolbachia(ボルバキア)(注3)を検出し、Wolbachiaによる選択的掃引(注4)が、本種でみられるミトコンドリア遺伝子多様性の低下に関与した可能性を示しました。
◆中国・徐州の個体群は他地域の本種とDNAの差が小さい一方、著しく小型で翅の斑紋にも明瞭な違いがあり、未記載の亜種(注5)とするべき可能性も示唆されました。
■概要
東京大学総合研究博物館の三橋 渡 研究事業協力者、矢後 勝也 講師、中国・華南農業大学の王 敏 教授らからなる研究グループは、東アジアに分布するタテハチョウ科ジャノメチョウ亜科の一種であるツマジロウラジャノメについて、核遺伝子3領域とミトコンドリア遺伝子2領域のDNA塩基配列を比較しました。
動物では一般に、核遺伝子はミトコンドリア遺伝子よりも進化速度が遅いため、種内の塩基配列多様性もミトコンドリア遺伝子の方が高くなることが知られています。しかし本研究では、ツマジロウラジャノメの核遺伝子がミトコンドリア遺伝子よりも概してやや高い塩基多様性を示すという、通常とは異なるパターンが見いだされました。さらに核遺伝子の塩基配列には多数のヘテロ接合(注6)が認められ、本種が一定程度の核DNA多様性を保持していることも示されました。
そこで研究グループは、この特徴的なパターンに細胞内共生細菌Wolbachiaが関与している可能性を検討しました。その結果、調査した極東ロシア産および日本産個体から未知のWolbachiaが検出されました。Wolbachiaは母系を通じて伝わり、その感染拡大に伴って特定のミトコンドリア型が集団内に広がる「選択的掃引(selective sweep)」を引き起こす場合があります。本研究の結果は、過去のWolbachia感染がツマジロウラジャノメのミトコンドリア遺伝子多様性を低下させた可能性を示唆します。ただし、本研究はその因果関係を直接実証したものではなく、今後さらなる検証が必要です。
また、中国江蘇省徐州市(Xuzhou)で見つかったツマジロウラジャノメについては、他地域の本種との遺伝的差異が小さく同一種に属すると考えられる一方、体サイズに明らかな相違が認められ、未記載の亜種とするべき可能性が示されました。
■発表内容
<研究の背景>
ツマジロウラジャノメLasiommata deidamiaは極東ロシア、中国、朝鮮半島、日本など東アジアに分布するタテハチョウ科・ジャノメチョウ亜科の一種です。アジア大陸東部、サハリン、北海道の個体群は名義タイプ亜種、本州の個体群は亜種interruptaとして扱われています。
動物のDNAには、細胞核に存在する核DNAと、細胞内小器官であるミトコンドリアに存在するミトコンドリアDNAがあります。一般に核遺伝子はミトコンドリア遺伝子より進化速度が遅く、チョウ類でも種内のDNA変異はミトコンドリア遺伝子の方が大きいことがよく知られています。ところが、細胞内共生細菌Wolbachiaが感染している昆虫では、この一般的な関係が崩れる場合があります。
Wolbachiaは多くの昆虫に感染し、母親から子へと垂直伝搬により伝わります。一部のWolbachiaは宿主の生殖に影響を与え、感染個体が集団内で増加すると、同じく母系遺伝する特定のミトコンドリア型も一緒に広がることがあります。その結果、集団内のミトコンドリアDNAの多様性が低下する「選択的掃引」が起こり得ます。本研究では、ツマジロウラジャノメの核・ミトコンドリア遺伝子の多様性を比較するとともに、Wolbachia感染の有無を調べました。
<研究内容・成果>
1.核遺伝子における高い塩基多様性
本研究では、核遺伝子3領域(EF-1α、wingless、CAD)とミトコンドリア遺伝子2領域(COI、ND5)の塩基配列を比較しました。その結果、調べたツマジロウラジャノメでは、核遺伝子の塩基配列差がミトコンドリア遺伝子より概してわずかに大きいという特徴が認められました(表1)。これは多くのチョウ類でみられるミトコンドリア遺伝子の方が核遺伝子より大きな種内変異を示すという傾向とは対照的です。
さらに、核遺伝子では、父母から異なる塩基を受け継いだことを示すヘテロ接合塩基が多数確認されました。この結果から、ミトコンドリアDNAの分化が小さい一方で、核DNAには一定程度の遺伝的変異が保持されていることが示されました。
表1:塩基配列の相違率(%)で示した各地域間の遺伝的差異.ミトコンドリア遺伝子よりも核遺伝子の塩基配列差の方が概して大きいことがわかる.
で示した各地域間の遺伝的差異.png)
2.Wolbachiaによるミトコンドリア遺伝子多様性低下の可能性
研究グループは、核遺伝子とミトコンドリア遺伝子の間にみられた特徴的な多様性パターンを説明する候補として、Wolbachiaの感染を調査しました。その結果、調査した極東ロシア産および日本産の本種全個体からWolbachiaが検出されました。一方、本研究で調べた中国産個体からは検出されませんでした。
Wolbachiaについて複数の遺伝子領域の塩基配列を既知系統と比較したところ、coxA、hcpA、gatBは既知の配列と一致しましたが、fbpA、ftsZ、wspには既知配列と一致しない部分があり、新規系統である可能性が示されました。ただし、このWolbachiaが宿主の生殖を操作する性質をもつかどうかは現時点では不明です。
Wolbachiaが過去にツマジロウラジャノメの集団内で広がった際、特定のミトコンドリア型も同時に増加する選択的掃引が生じ、その結果として現在観察されるミトコンドリア遺伝子の低い多様性が形成された可能性があります。本研究はこの仮説を支持する手がかりを示したものですが、Wolbachiaが実際にミトコンドリアDNAの多様性低下を引き起こしたことを直接検証したものではありません。
また、現在の中国産個体からWolbachiaが検出されなかった理由について、Wolbachia感染に抵抗性をもつ個体が中国の集団内に広がった可能性なども本論文で議論しています。ミトコンドリア型が単純化した原因を明らかにするには、さらに多くの地域・個体を対象とした研究が必要です。
3.中国・徐州個体群における独自の形態分化
遺伝的多様性の解析とあわせて、中国江蘇省徐州市で見つかったツマジロウラジャノメに類似する個体群の分類学的位置も検討しました。DNA塩基配列の差は他地域の本種と比較して小さく、同一種とするのが妥当と考えられました(図2)。一方、徐州産22個体の前翅長は18.5~23.0 mm(平均21.45 mm)で、他地域産83個体の23.0~32.0 mm(平均27.01 mm)より著しく小型でした(図3)。さらに、比較群間で前翅長が重なったわずかの個体間では、後翅裏面の白色帯の位置や幅にも違いが認められました。これらの形態差から、徐州個体群は未記載亜種とするべき可能性が見出されています。

および裏面(G-K)の翅形態比較.png)
D,J:中国・北京産♀.E,K:ロシア・アムール州産♂.F,L:ロシア・沿海地方産♀.
スケールバー:10 mm.
<今後の展望>
本研究は、ツマジロウラジャノメにおいて核遺伝子が比較的高い塩基多様性をもつことを明らかにするとともに、その背景の一つとしてWolbachiaがミトコンドリア遺伝子多様性の低下に関与した可能性を示しました。このような核・ミトコンドリア間の多様性の違いは、本種の進化史を理解するうえで新たな手がかりとなります。
今後、より多くの産地の個体を対象に、Wolbachiaの感染状況とミトコンドリア・ハプロタイプの対応関係を詳しく調べるとともに、Wolbachiaの系統や宿主への作用を解析することで、この仮説を検証する必要があります。こうした研究は、昆虫の系統地理や進化史をミトコンドリアDNAから推定する際に、細胞内共生微生物の影響をどのように考慮すべきかを理解するうえでも重要です。
また、徐州個体群についても、より広域のサンプリングやゲノム解析、生態・環境条件の比較を進めることで、その隔離の歴史と特徴的な形態が成立した過程を明らかにできると期待されます。
■用語解説
(注1)核遺伝子
細胞核に存在するDNA上の遺伝子。本研究ではEF-1α、wingless(Wgl)、CADの3領域を解析している。
(注2)ミトコンドリア遺伝子
細胞内小器官であるミトコンドリアのDNA上に存在する遺伝子。動物ではミトコンドリアDNAは通常、母親から子へ受け継がれる。本研究ではCOIとND5の2領域を解析している。
(注3)Wolbachia(ボルバキア)
多くの昆虫などの細胞内に感染する共生細菌。母系を通じて伝わり、一部の系統は宿主の生殖に影響を与えることが知られている。
(注4)選択的掃引(selective sweep)
特定の遺伝型が自然選択などによって集団内で急速に増え、それに伴って遺伝的多様性が低下する現象。Wolbachiaが広がる場合には、同じ母系で伝わる特定のミトコンドリア型も一緒に増加し、ミトコンドリアDNAの多様性が低下することがある。
(注5)亜種
同一種の中で、地理的に分化し、形態などに一定の違いをもつ集団に対して用いられる分類階級。
(注6)ヘテロ接合
父親と母親から受け継いだ同じ遺伝子座のDNA配列が互いに異なる状態。本研究では核遺伝子の塩基配列中に多数のヘテロ接合塩基が確認されている。
■発表者・研究者等情報
【発表者】
東京大学 総合研究博物館
三橋 渡 研究事業協力者
備考:筆頭著者・共同責任著者
矢後 勝也 講師
兼:東京大学 大学院農学生命科学研究科 講師
備考:共同責任著者
東京女学館小学校
福田 晴男 非常勤講師
日本鱗翅学会
朝日 純一 会員
日本鱗翅学会
田村 昭夫 会員
華南農業大学
Min Wang 教授
■論文情報
雑誌名:Journal of Entomological Science
題 名:High Nucleotide Diversity of Nuclear Genes in Lasiommata deidamia (Lepidoptera: Nymphalidae) and a Potential New Subspecies from China(8月18日付掲載)
著 者:Wataru Mitsuhashi, Haruo Fukúda, Jun-ichi Asahi, Akio Tamura, Min Wang, Masaya Yago
DOI:10.18474/JES26-16
URL:https://jes.kglmeridian.com/view/journals/ents/aop/article-10.18474-JES26-16/article-10.18474-JES26-16.xml?body=ContributorNotes


