東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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平成19年度学芸員専修コース トップ 概要 講義 レポート プロジェクト スナップ 他年度
事前レポート 

受講者がコース開始前に提出したレポート。大きくは以下の2点について記述する。
1) 構想演習用に受講者自身が選定した学術標本について(標本名、作者名、サイズ、年代、場所、標本説明、選定理由)
2) 本年度専修コースのテーマ「アート&サイエンス融合―博物資源のリコンストラクション」について(自由記述)
(出席番号順。標本画像は省略。レポートの要求内容はこちら)

東京都美術館 牟田行秀
福島県立博物館 笹川英俊
女子美術大学美術館 山田直子
岐阜県博物館 守屋靖裕
南山大学人類学博物館 木田歩
辰野美術館 赤羽義洋
山形県立博物館 吉田哉




東京都美術館 牟田行秀

標本名
: 花瓶《フォルモーズ》(朝香宮家旧蔵)
作者名: ルネ・ラリック(フランス:1860-1945)
サイズ: H 16.8cm
制作年代: 1924年(生産開始年)
場所等: 朝香宮鳩彦王同允子妃両殿下がパリ滞在中に入手され、日本に持ち帰られたもの。
標本説明:  フランスのガラス工芸家として知られるルネ・ラリック(1860-1945)の作品。型吹き成形ガラスにフロスト加工が施され、全面に金魚のモチーフが配されている。
20世紀、アール・デコ隆盛の時代にジュエリーデザイナーからガラス工芸家へと転進を遂げたラリックは、透明ガラスを使用した鋳型生産の技法により、大量生産の時代に相応しいデザイン性と品質、特性を兼ね備えた作品を世に送り出し、近代工芸の「産業と芸術の融合」というテーマを実現させた稀有な芸術家として知られる。
本作品は、ラリックがジュエリーデザイナー時代から好んでモチーフとした東洋趣味が反映され、鋳型にガラス素地を圧搾空気で押し付けて、凸状に表現した金魚がデザインされている。作品は《フォルモーズ(台湾)》と題される。色や表面加工の違いにより複数のバリエーションが存在し、ガラス工芸家としてのラリックの仕事を代表する作品のひとつに数えられている。
ここで採り上げた作品は朝香宮家旧蔵品のひとつで、付属の木箱に「硝子製金魚模様花瓶 壹個 佛国製 御持帰の品」と墨書された題箋が貼付されている(木箱は帰国後にあつらえられたもの)。
選定理由: ルネ・ラリックは、私の前勤務先である東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)を語る際に欠くことのできない芸術家であり、作品に触れる機会も少なくなかった。その中で、本作品は宮家がパリ滞在中に入手したことが明らかであり、宮邸建設計画へのフランス人芸術家参画の経緯がまだ詳かではない現在にあっては、宮家がラリックの価値をどのように認識していたかを窺うことのできる貴重な資料である。同時に、技法や主題、来歴など、語りかけかたにより様々な答えを返してくれる本作品は、今回のテーマにうってつけの素材であると思えた。
アート&サイエンス融合 − レオナルドとの出会い
今回の「アート&サイエンス融合」というテーマを目にした途端に、過去に自分が手がけたある展覧会が懐かしく甦ってきた。私は社会人となって初めての勤務先を、東京都庭園美術館に得た。旧朝香宮邸として昭和8年(1933)に竣工した歴史的建築物を美術館として活用する同館では、建物やアール・デコ様式の室内装飾、庭園を一体として捉え、全体の雰囲気に合った内容の展覧会を開催するよう学芸の先輩たちが努力していたが、当時の館長の意向もあり、必ずしもコンセプトどおりの展覧会ばかりを選んで実施するというわけにはいかなかった。まだ若輩の新人学芸員であった私は、少人数で年間5〜6本の展覧会を手がける環境にいきなり放り込まれ、ひとつの展覧会の担当を命じられた。開催までに賛否両論様々に攻防が繰り広げられた、「レオナルド・ダ・ヴィンチ人体解剖図」展(1995年)である。
英国ウィンザー城王立図書館の所蔵品により構成される同展のため、私は不安に駆られながらも英国に出向いて調整を行った。英国王室のコレクション、しかも世界的に貴重な作品を日本において展示し、事故なく無事にウィンザー城に返却するまでにはそれ相応の苦労があったが、そのひとつひとつは今振り返るとたいへんよい経験であり、思い出となっている。
実はこの頃、ずっと考古学に携わってきた自分は、美術館の学芸員として将来仕事をしていくのは無理なのではないか、と悩み始めていた。体系的に美術史を学んだり、作家として制作の経験を有する他のスタッフとは、レベルも発想も違い過ぎた。この展覧会を無事終えることができたら、自分の将来を改めて考えよう。今ならまだ間に合うかも知れない、そんなことを考えながらの展覧会準備であった。
レオナルドの直筆デッサンとはいえ、人体の解剖図をアール・デコの空間で展示することに、少なからぬ内外関係者が危惧の言葉を発した。照度が制約された中に、ぼうっと頭蓋骨が浮かび上がる展示手法を見て、清掃や設備のスタッフは薄気味悪がった。そのなかで、一人嬉々として展示室内を駆け回る学芸員の姿があった。当時26歳の私である。美術館を去ることばかり考えていた私が、解剖図を前にして狂喜乱舞した背景には、ある理由があった。
私は美術館に採用される直前まで、都内で近世遺跡の発掘調査に従事していた。医大の解剖学教室の協力を得て、主に墓地遺跡から出土する江戸時代人骨の整理作業に専ら携わっているうちに、骨学や形質人類学の基礎的な内容はなんとか理解できる程度に知識と経験も蓄積されつつあった。それ故に自らの進路について迷いが生じたのであるが…。
レオナルドのデッサンが発する力強く不思議なエネルギーは、学芸員としての作品鑑賞の絶対的総量が不足していた私にもしっかりと伝わってきた。感動した。同時に、彼が人体の関節のどの部分、どの機能に惹かれたのかが、実際に骨を扱ってきた私には自分のことのように感じ取れた。嬉しかった。そのことを素直に言葉にして来館者に説明したところ、思いがけない反応が返ってきた。「ただ絵を見るだけではなく、ダ・ヴィンチが人体をどう捉えていたのかが具体的にわかって、とても面白かった」と。
この展覧会では展示にも趣向を凝らし、好奇心旺盛なレオナルドに敬意を表するつもりで、まだあまり一般的ではなかったパソコンを会場内に設置し、レオナルド関連のCD-ROMを来館者が自由に閲覧できるようにした。「美術館らしくない展示」というのがメディアへの採り上げられ方であったが、内容はたいへん好意的であった。私はこの展覧会で、美術館だからといって正攻法でなければならないという規則はない、自分なりに自分の視点で作品を分析し、そこから新たな情報を引き出すのが学芸員の仕事であり醍醐味だと悟った。自分でなければできない展覧会を創ればいい! 盛況であった展覧会の終了とともに、迷いは一蹴されていた。私にとって初の「アート&サイエンス融合」経験?であった。
学芸員専修コースには、今回で恐らく6回目の参加になるのではないだろうか。参加する毎に最先端の研究やフィロソフィーに触れて刺激を受け、それを自分の活動に反映できないかと毎回試行錯誤してきた。今回は果たしてどのような内容になるのか、参加する前から楽しみでならない。


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福島県立博物館 笹川英俊

標本名: 「若松城市全図」(高瀬本)
作者名: 大須賀清光
サイズ: 484.0×135.0(八曲一隻)
年代: 江戸時代末期 
場所: 会津若松市 高瀬家
標本説明: この作品には、「大須賀清光之圖画」という銘が残されている。清光は、明治8年(1875)6 7歳で没した。詳しい経歴は明らかではないが、文才があり、絵画だけでなく様々な面で教養 の高い人物であったと伝えられる。遠近法を取り入れた独自の作風が見られる絵図などを残し ている。
会津若松市は、戊辰戦争や白虎隊などの歴史で有名な観光地である。しかし、戊辰戦争以前、 幕末期の城下の様子や町並みなどを残す資料は少なく、本図の持つ情報の価値は非常に高い。  本図は、城下の地理的特色を、俯瞰表現を用いて捉え、南西方向から立体的にわかりやすく その様子を描いた作品である。当然その当時に、この視点から城下を見下ろす場所はないが、 町並みや町名、寺社の配置、通りの様子などがバランスよく詳細に描かれている。
若松城下を描いた絵図は、本作品以外にも何点か確認されている。その中には「清光」作と 考えられる作品も存在し、点景人物を描いた作品もあるが、この作品では点景人物が描かれて いない。そのため、やや躍動感に欠けるが、当時と現在の町並み、人々の生活の変化などを考 えながら観察すると、当時の城下の様子と人々の生活の営みが思い描かれるような雰囲気を持 つ。
選定理由: 見る側にとってできるだけ情報量が多く、中・高校生にも容易に作品から疑問を見つけ、社会科以外の教科との関連を探れる作品という観点で選定した。例えば
@ どのような作業を通して俯瞰的な構図が描けるのか。現在の会津若松市街を俯瞰表現を   用いて描くとどうなるのか。
A 寺社や通りの名称の他に、「天文台」「瀬戸場」「乞食小屋」「御薬園」などの名称が見られるが、それらはどのようなものなのか。
B 現在と比べて、町並みにどのような違いがあるのか。また、今後どのような変化を見せると推測されるのか。
地勢的特色や名称を手がかりに、細部の事象を見つめていくことで、時系列的な考え方だけ でなく、既存の領域や分類を越えて、来館者は自分の求める情報を引き出し、会津若松という 地域について学ぶことができるのではないかと考えた。このような「見方・学び方」は、見る 対象によって変化するものではない。来館者がこの作品を狭い意味での「学習」の対象とする のではなく、資料の有する断片的な情報を基に自由に課題や疑問を設定し、自ら解決しようと する最初の手がかりになればと考える。
(主な参考文献)  
・会津人物事典画人編(歴史春秋社) ・地図の歴史(講談社現代新書) ・図説「福島県の歴史」(河出書房新社) 
・博物館をみせる(玉川大学出版部) ・学び方を育てる先生(図書文化) ・図録「ゆ」(埼玉県立博物館) 
・図録「ブリコラージュ・アート・ナウ」(国立民族学博物館) ・図録「観光旅行」(東北歴史博物館)
教員の目から考える「博物資源のリコンストラクション」について
本年度、教育現場から博物館への転属となった。中学校の社会科の授業を担当していた時、 ある印象に残る授業展開を経験した。地理的分野「身近な地域」という単元で、生徒が社会生 活を営む地域について、地図のきまりや読み取り、新旧地図の比較などを通して理解を深める 学習であった。会津若松という地域柄、内容は史跡や名所の分布、それに対する説明など歴史 的内容に偏る傾向があった。しかし、あるインターネットの地図検索サイトを単元の導入教材 として活用することで、生徒の作成するレポートに変化が現れた。マウスをどんどんクリック し、自分の対象とする地域を探す。今までに見たことのない視点から生活の拠点を見つめるこ とで、生徒は多岐にわたる学習課題を自主的に設定し、興味関心を持って意欲的に各自の学習 課題を追究する姿が見られるようになったのである。このような授業展開は、教員が理想と考 える授業の一形態であるが、学習指導要領から逸脱することへの不安を感じる時もある。しか し、教育の現場から離れた現在、上記の授業展開が「学び方」を学び、既存の枠にとらわれず に自分の「知」の財産を増やし続ける、本来の学びの姿であることをあらためて実感するよう になった。
博物館の展示は、地域性、時代背景や既存の知の領域、学問分野に沿って分類され,来館者 の動線などを考慮し構成されてきた。当たり前ではあるが、短い時間で見学をする来館者のた めにできるだけ効率的に、わかりやすく展示構成がなされている。また、来館者が受動的にな らないような解説や解説員の配置などの工夫にも取り組んでいる。しかし、どうしても博物館 側からの一方的な展示や解説になりがちで、来館者にとっては受動的な学びとなってしまう傾 向がある。「この資料と他の資料との関連は?」「この場で行われているパフォーマンスの意 図は?」「展示する側は展示構成から何を伝えたいのだろう?」などの疑問を来館者に投げか ける。来館者は自己の知の拡充のために思考を巡らし、満足のいく答えを導き出す。そうした やりとりが生まれるような展示空間を演出・提供できれば、博物館は既存の枠にとらわれない 学びの場となることができると考える。1つ1つのものや事象についての情報の理解にとどま らない、今までになかった、あるいは気がつかなかった多角的な視点を見出していくことが、 博物館にも来館者にも求められているように思う。
学芸員の職に就きまだ日も浅く、日々の業務を遂行していくことに精一杯な状況ではあるが、 自分なりに最近考えるところもでてきている。今まで教員として多くの生徒と接してきて、生 徒の意外な才能や特技に驚かされることが多かった。また、最近当館と養護学校や知的障害を 持つ児童生徒との連携を図った企画や講座を立ち上げるべく、調査等で学校を訪れる機会があ り、彼らの持つものや事象に対する思いもつかない着眼点、好奇心から生まれる意欲的な追究 姿勢、一般的な概念や領域にとらわれないすばらしい発想力に驚かされた。教員としての経験 を生かし、子供たちの持つ視点から当館の展示構成を見直すような企画を実現できないものか と考えている。当館での体験を生かした子供たちの作品と展示資料とのコラボレーションを柱 とした展示企画を試みたい。
以下は、現在、構想している企画展の開催までの手順である。
@ 来館した子供たちに、常設・企画展の資料の中から「自分のお気に入り」を探してもら   う。
A 「自分のお気に入り」について、イラスト・文章、どんな形式でもよいので、子供たち   が望むスタイルで感想や印象を表現してもらう。
B 子供たち一人一人が自分なりに表現した成果物について、ディスカッション等を通して   各自が理解を共有し、さらに小グループ等に分かれ、資料から受けた印象に基づく作品の   共同制作を行う。
C 子供たちが協力して作品を博物館内に展示し、既存の展示に異なる視点を導入する。また、その変化を確認する。
成果としての作品を、時系列的に構成された当館の常設展示に配置し、既存のストーリーに アクセントを加え、異化する試みに関心があるが、現状では問題も少なくない。そこで、当初 は、企画展示室での開催が現実的と考える。子供たちの視点を借り、既存の視座・領域に固定 されない柔らかな視点で捉えた企画ができればと思う。そこから、一般の来館者が今まで気が つかなかった視点で展示を見つめ直すことができるものと考える。
この研修期間、厳しい局面にも立たされるとは思うが、多角的な視点によって構成される展 示や企画のあり方について理解を深めたいと考えている。

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女子美術大学美術館 山田直子

標本名: 盆踊り(彦三頭巾) 秋田県西馬音内町
作者名: 林唯一 (はやし ただいち)
サイズ: H37.5×W26.2cm
年 代: 昭和25年(1950)
場 所: 不明
標本説明: 大正・昭和期に挿絵画家として活躍した林 唯一は、昭和10〜30年代、日本各地の祭りや舞踊の装束を描いた。女子美術大学美術館では、林の水彩画「祭りの装束」シリーズを所蔵しており、そのうちの1点。本年5〜7月に女子美術大学美術館(女子美アートミュージアム)で開催した展覧会「祭りの装束・林 唯一の眼」に出品した。
描かれているのは、秋田県西馬音内地方の盆踊りの装束。お盆に祖先の霊が来訪するという考えから盆踊りは、その霊を歓待するという意味をもっている。彦三頭巾という黒い頭巾を頭からすっぽりとかぶるのは、死者の姿にならったといわれ、お盆の時期には祖霊と一緒に踊るという考えを表している。細裂を集めて縫い合わせた端縫いの着物を身につけるものもいる。昭和56年(1981)に国指定重要無形民俗文化財に指定された。
選定理由: 「祭りの装束 林 唯一の眼」展開催にあたり、林唯一画 水彩画「祭りの装束」シリーズを調査研究、展示した。その中の一点。芸術作品としてだけでなく、民俗芸能としての資料としても価値があり、展示方法を考える上でさまざまな可能性があると感じたから。
「アート&サイエンス融合―博物資源のリコンストラクション」について 
―「祭りの装束 林 唯一の眼」展における展示方法と来館者の反応

本年5〜7月に当館で開催した「祭りの装束 林 唯一の眼」展における展示レイアウトの経験をもとに、今後の課題などを述べる。
博物資源のリコンストラクションについて考えてみるとき、分類され、展示方法がある程度きまっている作品等を、展示室において展覧会趣旨に基づき、いかに効果的に再構成するか、ということが重要と思われるが、当館では、常設展をもたず、企画展のみを行っている。その都度、テーマ、作家などを展覧会趣旨に合う作品を展示いている。作品の「分類」について最も意識するのは、保存法、展示環境を考えるときである。油彩、日本画、版画、立体、染織などという分類のもとに、作品の素材、性格等に留意し、収蔵庫での保存方法、ライティングその他を決定している。当館においてリコンストラクションを実践するとき、企画展の際、「ありきたりな」展示レイアウトを避け、来館者に対し、作品を魅力的にみせ、展覧会趣旨を理解していただくことが重要なことであると考える。陥りやすい例としては、ひとりの作家の作品を年代順に並べるだけ。また、コンセプトが主役になり、それを説明するような作品展示である。当館で実施したアンケートでしばしば見られるのが、「順路が明確でなく、どう見て行ったらよいかわからない」という声である。当館展示室は、30m×13m、10m×7mの2つの長方形をくっつけたような展示室で、導線をつくりにくい空間である。壁際に作品を並べ、右回りにまわっていただき、ところどころに可動壁などを利用し、導線を決めている。アンケートでの意見をいくつか読んでいくと、来館者の求めていることは、順路が明確で、それに沿ってみていくことによって、展覧会のコンセプトやストーリーを感じられることであると思った。その点に留意し、展示レイアウトを決定したのが「祭りの装束 林 唯一の眼」展である。
  祭りや舞踊の装束を身につけた人々を描いた水彩画74点を中心にレイアウトした。水彩画74点がすべてほぼ同じサイズであることから、「単調」な展示になることが心配された。順路の各ポイントに展示台を設置し、スケッチブック、挿絵雑誌などを紹介したが、74点の水彩画を順路のなかで、どのような順で展示するかという点が最も大事であると感じた。採用を検討した3案について述べる。作品に描かれている祭りについて調査していくと、祭りの種別によってある程度分類できることがわかった。第1の案は、祭りの種別ごとに展示を行い、祭りについての解説を加える方法。第2に、当館の展示室面積を考慮すると、3〜4のコーナーに分けた展示がやりやすく、これまでいくつか例があったため、祭りが開催される季節を特定し、四季に分類した展示。第3に林唯一は、旅が好きで、旅の中で制作のアイディアを得ることが多かったことから、「旅をしているような気分」を感じていただけるよう、北海道から沖縄まで、南下するように地域順に展示する方法。第3案は、単調になるおそれがあったが、来館者に作家をよく知っていただきたいという思いがあり、これを採用した。来館者の反応は、比較的よい意見が多く、こちらの意図が伝わったと思っている。
最後に「祭りの装束 林 唯一の眼」展をさらにおもしろくさせるアイディアについて述べる。描かれた祭りの中には装束が細やかに描かれ、民俗芸能の資料としても価値をもつと思われる。実際にその衣装をともに展示すると、その祭りのことや林がいかに細やかに描いているかを知っていただけると思われる。また、音声だけでなく、画像もみれるようなiPODのようなものによって来館者により多くの情報を知っていただけるようにしたい。また、美術大学内にある美術館として大学教育との連携も重要であるが、展覧会と教員・学生とのコラボレーションする企画をしてみたい。例えば、展示物に触発されて制作した現代アート作品や展示物画像を取り込んだポスターなどを作品とともに展示し、学内外の学生、若者層に働きかけを行いたい。


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岐阜県博物館 守屋靖裕

標本名: 諸尊仏龕(枕本尊)
作者名: 不明
サイズ: 総高23.1cm、径10.9cm、中龕の中尊像高7.2cm
年代: 唐時代(7〜8世紀)
場所: 中国
所蔵者: 金剛峯寺(高野山)
標本説明: 高野山金剛峯寺には諸尊仏龕という作品がある。「仏龕」とは岩壁などを掘り空けて、仏像などを安置した箱形の空間である。この作品は「枕本尊」の名で親しまれている。本作品は白檀の材を三つに切り放ち、観音開きができるように仕立てられている。内部には如来や菩薩などの諸尊(仏)が彫り表されている。本作品を開くことにより、仏像を礼拝することができる。「枕本尊」とは、携帯して礼拝できることから付いた別名。
この作品は、空海が唐から請来した(持ち帰った)という由緒を持つ。その根拠は、空海自身が記録した『御請来目録』(持ち帰った品のリスト。大同元年〔806〕10月22日に空海が記録)である。この目録の中に、白檀に如来・菩薩・金剛力士などを刻んだ仏龕という記載があり、これが金剛峯寺にある諸尊仏龕と一致すると見なされている。
現在国宝に指定されている。室町時代(文明18年〔1486〕)に制作された厨子の中に納められている。
選定理由: 本作品を選んだ理由をまず簡潔に述べる。本作品は既に複数の眼差しを浴びてきている。かつ、これらに絡めて新たな観点からのアプローチが可能、と予想される作品でもある。これが選定理由である。
本作品は仏教美術である。これらを従来研究対象としてきたのは、仏教美術史学である。この学問は、美術からの視点、歴史からの視点、仏教からの視点の三つを考え合わせる学問である。要するに仏教美術は、少なくとも三つの眼差しを古くから浴びてきたものである。
このような従前の視点に対して、新しい視点を例示する。但し、あくまでも何事かを語るための素材の例示であって、決して何らかの結論や主張を述べるものではない。
例えば、本作品の材質が白檀であることに注目してみる。白檀は仏教彫刻で尊重されてきた。この材で造られた像を「檀像」と称し、本作品も該当する。仏教彫刻に採用された理由を白檀の性質に求めてみると、第1点として薬効があること、第2点として芳香を発すること、第3点として材質が堅く緻密であること、が挙げられる。この3点は、植物としての視点と仏教の視点との融合と言ってよいだろう。また、第2点と第3点は美術(あるいは技術と言ってもよい)としての視点も関連する。芳香を活かすために、檀像の仕上げは素地のままにすることが基本で、彩色や截金を施すにしても必要最小限である。堅く緻密な材質は、細密に彫りを実現することに有利である。
白檀の植生からも考えを巡らすことができる。白檀は日本や中国では産出せず、インドで産出する。当時の貿易のあり方も考える材料となり得る。また、白檀は高級品であることから、流通していた材の大きさに制限があった。これにより、檀像は悉く小さい。代用材を用いた彫像もある。経済や流通の視点から考えられる事柄である。
以上、思いつくままに書き連ねた。本作品は、いろいろな見方・考え方をすることができる可能性を内包している。また、ここに述べたもの以外の視点を見出せる期待もある。
「アート&サイエンス融合――博物資源のリコンストラクション」について
世の中の出来事や森羅万象は、人間が作り上げた学問を前提として存在しているのではない。あくまでも学問はそれらの対象を研究するための方法である。「学問」を「見方」や「考え方」、あるいは「尺度」などと置き換えて言ってもよい。
よって、博物館資料を既存の学問の枠組みから一旦解放し、見つめ直すことは有意義であろう。今まで評価されなかった、あるいは見えてなかった価値を見出すことは、資料の新たな真実を浮かび上がらせることである。
しかし、注意点もある。本稿では3点指摘する。
第1に、新たな視点や学問を持ち込むことが、自動的に意味のある結論や主張を生み出すとは限らないことである。新しい見方や異なる考え方を当てること自体を無批判に面白いと感じ、結論や主張について全く想定しない向きも世の中にはある。だが、意味のある結論・主張を紡ぎ出せない視点や学問は、何の意義もないのである。
第2に、資料保存上、同一の展示ケースに入れられない資料の組み合わせもある。人文科学の博物館資料と、自然科学のそれとは、保存の考え方が異なる。同じ人文科学の資料の中でも、例えば材質が違えば保存方法が異なるという現実もある。この差異は展示する際にも当然影響を与える。どちらか一方の資料に展示環境を合わせれば、他方の資料がその環境によって損傷が懸念される組み合わせもある。一方の資料が他方の資料を破壊する可能性も考慮しなければいけない。
第3に、展示には全体を貫くコンセプトが求められることである。それぞれの資料に語らせるものが、一つのコンセプトに沿わなければ、展示の目的や意味は観覧者に伝わらない。異質な方法や資料を持ち込むことによって、展示のコンセプトに刃向かうのであれば、むしろ持ち込まない方がよい。
融合や再構築という手段に囚われ、そもそもの目的や生み出される結果に盲目になるのであれば、それは益のないことである。そこで終わらず、新たな見方や考え方を適用するとどうなるか、見通そうとする思考作業は必要であろう。


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南山大学人類学博物館 木田歩

標本名: 石器(標本番号10-33)
作者名: 不明
サイズ: H120o W62o D45o
年代: アシュール期
場所: イギリス、ケント、スウォンスクームにて発見
標本説明: やや歪みのある中形のハンドアックスで、材質は黄色のフリントである。両面には粗い剥離が施され、尖頭部は幾分精緻な剥離によって調整されている。片方の縁部は刃に仕上げられているが、その反対の縁部は未加工のままである。刻み包丁として使用された可能性が高い。先史学者ヨハネス・マリンガーの旧石器コレクションの1点。
選定理由: この石器は、均整がとれ、洗練された形態とは言いがたい。また、高度に熟練された技術による繊細な仕上げが加えられているとも思えない。しかし、それに触れた瞬間、その加工されていないどっしりとした球状部を、しっくりと掌に納めたいと思わせてくれる。人間の身体に合わせて道具を変化させるのではなく、人間の身体そのものが道具になるような感覚を味わうことができる。
「アート&サイエンス融合―博物資源のリコンストラクション」を受講するにあたって
人類学を含めた人文社会科学全般における、近年の政治性や権力性に注目した研究は、自明とされていた収集・保存・展示といった博物館の活動や、博物館という制度そのものの再考を促した。こうした潮流を意識しながら、博物館という空間を経験するなかで、そもそも博物館や博物館活動とはどのような営みなのか、問い直す機会に恵まれた。そして、所蔵資料の整理や調査を通して、モノとは、ただ単に収集し展示さえすれば、自動的に意味が築かれていくのではなく、何かを考えるために意図的に作り上げることで、博物館の資料となっていくことを実感した。つまり、資料とは、単なるモノなどではなく、文化的な嗜好や美意識、感性や価値観が反映された、視覚化されたモノなのである。
さらに、学問的秩序を見出すためであれ、美しさそのものを探るためであれ、モノに新たな意味を与えながら、視線に供するためだけに集めるということそのものが、実は非常に興味深い人間の文化的営為であり、そうした過程を包括的に見通すことができる空間として、博物館をとらえることができることにあらためて気づかされた。
東京大学総合研究博物館の展示活動には、しばしば驚嘆することがある。なぜならば、展示される資料がほとんど変わっていないからである。にもかかわらず、それぞれの展示が新鮮で魅力的なのは、資料が変化しているのではなく、資料を見せるその表現方法が常に変化しているからである。こうして、資料に対する間断なきクリティカルな洞察と、ほんの少しの遊び心を取り入れたクリエイティブな実践が、展示を見る快楽を体験させてくれる。そして、博物館に身を置きながら、当たり前と思い込んでいる固定化された枠組みに縛られていることで、実は何も見ていないということを痛感させてくれる。
資料をいかに捉え、編集しながら、資料と自分自身の思考との関係性を視覚的に表現することができるのか。その対話を丹念に重ねていくことは、想像以上に難しい。本コースの受講を通して、注意深く考察しながら、「実践的な知」の技法をできる限り吸収していきたい。。

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辰野美術館 赤羽義洋

標本名: 陶製電気式ヒーター
サイズ: 底部径33cm/高さ35.5cm
年代: 昭和初期
場所: 長野県上伊那郡辰野町 赤羽焼
標本説明: 赤羽焼は幕末に当地の中馬仲間が始めた地方窯で、すり鉢や土瓶、急須、片口などの日用雑器を焼いていた。明治半ばに鉄道が開通し、瀬戸・多治見・常滑などから大量の日用品が流入するとしだいに衰退に向かったが、明治初期から興った近代蚕糸の発展に伴って、製糸工場で使用する繰糸堝の開発と量産を手がけることで隆盛し、昭和初期まで及んだ。
繰糸堝は初め鉄や銅などの金属を用いていたが、繭の汚損防止と廉価を求めて、陶製の製品が開発された。パイプから供給される湯水が、空洞にした堝の壁体に開けた微細な孔から噴出する構造で、繰糸機に合わせた半月状を呈していた。今日のいわゆるセラミックスや合成樹脂、ホーローなどに該当するのかもしれない。
この陶製ヒーターも、繰糸堝のそうした技術が応用されたもので、鉄などの金属と陶による自在な組み合わせと形状、「特許林式」のレリーフが、見るからに近代のインダストリーとその造形感覚を彷彿させる。
選定理由: 良質とは言えなかったが、地元で産出する陶土を、可塑性のある素材として使用することに徹し、上部のドーム状の形状、熱を放射するための小孔や小窓のレイアウト、従来の火鉢を擬装することなく成形された特異でアンバランスな姿が目を引く。民芸的な日用雑陶などの「焼物」を超えた造形として意義があり、日本近代の感覚が受肉した資料として興味深い。
「古いものと新しい表現、身体性など」
当館では数年前から、主として子ども向けの大小の規模の各種ワークショップに取り組んでいる。
地域の歴史や伝統、自然にもう一度着目し、地域の素材として再発掘しながら、古いものと新しい表現、取り巻く環境と自身や身体など、互いのコラボレーションを軸に据えて展開を図ってきた。
かつて各小中学校に設置された「郷土資料室」は、今日では半ば放置され荒廃が進むが、小学校によっては100年を超える年月を経て、地域のあらゆる資料が蓄積されている。混沌・雑然としたそれらの中から、子どもたちが注目した資料を拾い出し、関係性を考慮した展示を手がけたこともある。
忘れられがちな当館の収蔵品と、アーティストや参加者からの出品を組み合わせながら展示する方法も取り入れながら、地域の文化資源の再発見につなげたいと考えている。

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山形県立博物館 吉田哉

標本名: ヤマガタダイカイギュウ 全身骨格標本(模型)
サイズ: 体長3.8m
年代: およそ1,000万年前の化石。1978年発掘、1986年命名。
場所: 山形県西村山郡大江町(最上川用橋下の川床)
標本説明: 山形県を流れる最上川の川床で、1978年8月地元の小学生2人により発見された。当初はクジラの化石と考えられたが、黒いエナメル質で咬合面がすり減っている歯が発見され、海で生活する草食のホニュウ類である海牛とわかった。さらに、胸びれの中の指の骨や歯が比較的小さいことが明らかになった。これは、からだを大型化させながら、しだいに指の骨と歯を消失するという道筋をたどると推測されていたヒドロダマリス亜科の海牛の進化の過程を証明するものとなった。本標本は進化の過程の中間に位置する貴重なものである。1986年新種として名前がつけられた。山形県で発見された化石の代表的な標本で、これまで1個体しか発見されていない。発見された部位は、頭蓋骨、背骨、肋骨など上半身を中心とした69点だが、直系の祖先とされるジョルダンカイギュウの骨格を参考に180点の部位が復元された。
選定理由: 山形県で発見された大型のホニュウ類化石であり、山形県立博物館では展示物の中心をなすものの1つである。ヤマガタダイカイギュウが生息していた1,000万年前、山形県は海中にあり、山形のなりたちを理解するうえでも重要な資料である。私は古生物の担当ではないが、この全身骨格標本を使って、さらに効果的な展示の演出ができないものだろうかと考え、取り上げることにした。
山形県立博物館の現状と今後の展望
山形県立博物館は総合博物館として昭和46年4月に開館し今年で36年目を迎える。展示に関しては、昭和55年に常設展示の全面的な見直しを行った後は部分的な更新にとどまっている。一方この間収蔵した資料は膨大な数にのぼる。施設の老朽化と展示物の劣化により、その全面的な更新が以前より議論されている。しかし、財政難により施設の新設や改修は当分望めない。一昨年策定した改装計画も予算がつかず断念することとなった。展示物についても大がかりな更新は無理である。このような状況の中で、本館所蔵の博物資源を使った手作りによる新しい展示の構成が必要になっている。
本館は山形県の自然・歴史・民俗に関する情報センターであり、常設展示は「やまがた」のなりたちから現在までを紹介している。第1展示室は「豊かな自然とそのめぐみ」、第2展示室は「山形の大地に刻まれた歴史」、第3展示室は「近代山形くらしのうつりかわり」というテーマになっている。その点、山形に関係する内容から大きく踏み出すことはできず、展示に関する制約は大きい。そこで考えられるのは、現在の基本理念をふまえ新しい演出を取り入れながら常設展示を新しい展示物に入れ替えること、さらに自由な発想が可能なものとして本館収蔵資料を活用した企画展や特別展の開催である。
今回東京大学総合研究博物館主催の研修が実施される機会に、本館に蓄積されている資料の創造的な活用について考えることにした。本県で唯一の県立博物館として自然系、人文系の資料は膨大な数になる。とくに自然系のまとまった資料は県内ではほかにない。それらは、収蔵庫に保管されたまま、活用されることは多くはない。また、展示されている資料については、経年による劣化が目立つものがあること、効果的な演出がなされていない場合が多いことなどの問題がある。そのため、現在の常設展の展示物に収蔵資料を加えまたは入れ換え、さらに芸術的な演出なども考えながら、更新を計画したいと考えている。そのことにより本館のこれからの展望が見えてくることを期待している。常設展示の更新実現にはすぐには結びつかないとも考えられるが、将来に向けた展望を考えるための蓄積としたい。
一方、毎年数回におよぶ企画展や特別展はすぐに成果を出さなければならないものである。本館ではほとんどすべてが手作りであり、担当者を中心とする学芸職員の力量が試される場とも考えられる。準備期間が少ない中での企画、準備、展示となるが、県内はもちろん全国にその情報を発信することになる。すぐれた内容であるか、心をとらえる展示の演出がなされたか、入館者から毎回評価されている。これまでも資料の有効利用や効果的な展示を心がけているが、十分な演出までいたらなかったときもあった。研修の成果は、企画展や特別展については直結できるものと考えられる。
この研修を、今後の本館の展示やそのほかの活動に生かすことにより、山形県の自然・歴史・民俗に関する情報センターとしての立場をいっそう強化することにつなげていきたい。


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