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    ヘルト人頭骨のマイクロCT撮像データ、側面観

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    ヘルト人頭骨のマイクロCT撮像データ、前面観

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B51
最古級のホモ・サピエンス化石
エチオピア、ヘルト出土の頭骨

ホモ・サピエンス(新人)の起源は、化石と遺伝子の双方から、多くの者に論じられてきた。特に、1980年代以来、ミトコンドリアのゲノム情報からホモ・サピエンスのアフリカ起源説が提唱されると、ユーラシア大陸については、ほぼ完全な置換説(アフリカ起源の新人段階の人類集団がユーラシア大陸に移住し、先住の旧人段階、原人段階の人類と置き換わった)が一気に優勢となった。そして2000年代中ごろになって、ネアンデルタールのミトコンドリアゲノムが解読されると、交雑が実質ゼロの完全置換説が唱えられ始めた。

ところが、2010年代に入り、ネアンデルタール人、デニソワ人の核ゲノム解析が進むと、新人集団が旧人集団と置き換わるにあたり、時には5%以上の遺伝子流動があったと推定された。さらには、遺伝的交流の痕跡は、一部は原人段階の時代までさかのぼるという。そうした複雑な集団関係は、化石記録からみると、むしろ当然とも思える。現在、限られた古代ゲノム情報から提案されている以上に、集団間、系統間の交雑があったに違いない。

では、アフリカ大陸の中で原人から旧人段階の人類へ、そして旧人から新人段階の人類へ、いつどのように移行したのだろうか。その様相もおそらく複雑だったに違いない。今のところは、広大なアフリカ大陸の中、信頼できる年代を持つ化石はあまりに疎に点在している。

そうした中、2003年に発表された重要な定点の一つが、1997年にエチオピアのヘルトで発見されたホモ・サピエンス頭骨である。年代は、火山灰の放射性年代を基に約16万年前と推定された。発表当時、アフリカ起源説と合致する最古のホモ・サピエンス化石として世界中から注目された。ヘルト人の頭骨は、ホモ・サピエンスとしては最大長が長く、後頭骨が強く屈曲し、顔面部が大きい。その後、同じエチオピアのオモから1960年代末に発見された頭骨の年代が見直され、19万年前まで遡る可能性が示された。このオモの頭骨は、ヘルトの頭骨よりも欠損部が多く、顔面と頭骨全体を組み上げることがむつかしい。しかし、眉間部や後頭骨など、ヘルトの頭骨よりむしろ進歩的な形態が指摘されている。

2003年のヘルト人の論文では、筆者が統計比較を担当したが、ヘルト人頭骨は、世界中の現代人集団の変異の外に位置する結果となった。おそらく当時のサピエンス集団の変異は大きいだけでなく、その範囲は現代人集団の範囲と有意にずれていたに違いない。ヘルトとオモの形態差はそうした差異を示しているのだろう。今後は、アフリカで旧人段階から新人段階へどう移行したか、さらには新人段階の中でも、ヘルト人などを母体としながら、10万年前以後の集団にどう移行していったのか。出アフリカの実像に迫る、重要な定点が今後増してゆくことに期待している。 (諏訪 元)

参考文献 References

諏訪 元・洪 恒夫(2006)『アフリカの骨、縄文の骨―遥かラミダスを望む』東京大学総合研究博物館。

White, T. D. et al. (2003) Pleistocene Homo sapiens from the Middle Awash of Ethiopia. Nature 423: 742–747.