東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime17Number3



デザイン
インターメディア・デザイン

関岡裕之  (本館インターメディアテク寄付研究部門特任准教授/博物館デザイン)

 この施設のコンセプトを語ることは容易ではない。言葉で理解する想像力には限界がある。ましてやデザインとしてコンパイルされた上ではなおのことである。大学博物館という特異な体系にある総合研究博物館が1996年の改組以来、「実験博物館」と銘打ってきたことにすべては起因するといって過言ではない。デザイン理念において、このことを端的に表現するならば「既成の概念を超えてきた」成果となる。それは、長い年月思考を巡らせた創造の結晶体であり、完成形を得たものの融合体であり、その分子は感覚的でさえある。いわば「言葉にできない世界観の創出」こそが、われわれの研究なのである。また、その実験への意思は、見る者の美意識に直接訴えかける問いでもある。
 あくまでも意匠としての側面になるが、保存棟ギャラリー(COLONNADE2、3)のコンセプトはレトロモダンである。長い時間を蓄積した空間に対し、むき出しのモルタルにあえて手を加えず、最小限の補修に止める。そして、これもまた長い時間を蓄積した木製什器を配置する。生々しい素材感のなかで、標本は数十年前からそこに在ったかのような存在感を放つ。全体としてグレースケールを基調とする。もっとも新しいミュージアムがもっとも歴史的な様相を呈していれば、それだけでコンセプトは成立するであろう。しかし、それではデザイン・ミュージアムとしては不十分である。モダニズムにおいて、もはや無気力なスタンダードとなりつつある白とスクエア嗜好を基調とせず、あくまでもアクセントとして用いるにとどめた。結果、独立した造形として主張する白い幾何学は、違和感とともに洗練された印象を与え、有機物との対比と時間軸の差異を獲得する。保存棟空間に対し、創建当時の白を基調とした美しい佇まいの復元を意図的に避けたのは、展示デザインに重きをおくためである(写真1)。また、この空間の一部に医学部講堂の階段教室(ACADEMIA)を再現する(写真2)。もうひとつの大空間である新築棟のホワイエ(PANTHEON)は、逆に白を基調とし、他の空間との対比、あるいは反転効果を狙う。白を基調とすることについては、前述したようなホワイトキューブにならないよう、素材とディテールに神経を注ぐ(写真3)。ここでの展示はさまざまなジャンルのアイテムが配置される。なかでも工学機械を中心としたレトロプロダクトや、手業的アーティスティックなオブジェクトがそれである。つまり、モダンを基調とする空間にはレトロを、レトロを基調とする空間にはモダンを、といった具合に、隣接する空間の浸食作用をもって調和を図る。ホワイエを真直ぐに進むと同じく新築部分にもうひとつの空間(GREY CUBE)が出現する。ここでは斬新なアプローチによる、平面媒体を中心とした企画展が想定される。ホワイエから中央階段を上がると、ミドルヤードというコンセプトを持つガラス張りの収蔵庫(STUDIOLO)が現れる(写真4)。その中に置かれている什器もまた、懐古的な重量感を帯びている。ここにあっては、見えない壁として機能するはずのガラスが、現在と過去を仕切る壁として認識される。そういう意味においていえば、ホワイエでは未来的な印象を識別することができるであろう。大空間と小空間の対比もまた然りである。デザインは調和と対立の相互関係をもたせつつも、最終的に調和へ導かなければならない。それと同じく、モノ(展示物)は空間に、空間はモノに共鳴し、互いの審美性のさらなる昇華を計る。「絶対的ポジショニング」はもっとも重要な要素となりうる。シンメトリーという構成は単純に美しい。であるが故に簡単に理解ができてしまう。より複雑な空間構成を実現するためには、多様なエレメントの力学的方向性とバランスを考慮しなければならない。色彩については、セピア色の情景とモノクロームなオブジェクトに対して、ヴィヴィッドなクロスを配色することで、現代的なアクセントを付加する。これらはいずれも総合研究博物館にて展開されてきた実験の成果である。しかし、ロケーションが異なれば必然的に構成法も変わる。確固たるヴィジョンと、柔軟なアレンジメントを持ち合わせなければならない。
 デザインは理屈ではない。もしもこれを論理的に、あるいはテクニカルな方法論のみで作り上げたとするならば、それは事前に描いた図面から寸分の修正もなく完成を迎えたものか、あるいは一問一答の問題集のようなものである。「言葉にできない世界観」は作り手、受取り手の双方とも、体感することでしか享受できないものである。

 近年、リデザインやリボーンといった「RE」が時代のキーワードとなっている。いまでは耳慣れてしまったリサイクルやリフォームからのリファインを計るものであろう。この潮流に乗ってか乗らずか、自然史の世界が注目を集めている。この現象を一過性の流行と見なすことも、あるいは、高貴な趣味への憧憬の広がりとの見方もできる。しかし、これらの現象をもっと大きな視点で捉えるならば、長年の市場原理に疲れた、あるいは危機感を覚えた人々が、まったく別の価値観を求めている兆候なのではないかと思える。それは、生き物としての原風景を求め辿り着いた一種の癒しではないか。例えば、寛ぎを求めて公園に行く、寺院や教会に赴く、あるいは記憶の中の学舎を訪れたときの情感もまた、人間回帰としての癒しである。それは、展示室に広がる世界と、そう遠くないところにある。文化価値において、「時間」はもっとも重要な要素のひとつである。ひとたび廃棄されてしまえば、その価値はもう二度と手にすることはできない。古いものがもつ時間の価値は、新しいものに取って代われないことを、人は潜在下に認識しているはずである。
 われわれが掲げる「アート&サイエンス」とは、そのような感受性をも包含する。総合研究博物館がこれまで学内外から拾い上げた歴史的な家具什器、研究目的を失った学術標本などを蓄積してきたことは、時代の先見的視野とともに、博物館の本質論である。そして、これまでに思い描き実践してきたヴィジョンは、これ以上のないフィールドで展開されることになる。それは建築空間を含むすべてが「本物の時間」を有しているからである。ミュージアムは来館者なしでは成立しない。しかし、モノ本来は来館者のためにあるのではない。人間とモノが織りなした「知のかたち」である。アート&サイエンスの展開事例においては、モノは当然と言わんばかりに主張すべきポジションに在る。モノ本位の世界に人が訪れる。人はそこに在るモノを避けながら歩かなければならないかもしれない。人は現実と立ち位置を失いかける。これは、静寂なるエンタテイメントを提示するものである。われわれが伝えたいこと、それは「現実」を敷かれた順路を歩かせることでも、モノに触れてはいけないという教訓でもない。自然の驚異と、モノの圧倒的な力と、生き物の威厳に満ちた存在知を示すこと、そして主役とならんばかりのデザインの力なのである。  デザインは、とかく人為的で、技巧的、表面的なものだと思われがちである。おおよそそれは間違ってはいない。付加価値といわれる所以からもそうである。あらゆるジャンルに細分化されたデザインは、あくまでも現代に適応した職種としてのカテゴリーに過ぎない。デザイン言語なるものはひとつしか存在しないのである。われわれが研究し展開するデザインとは、消費社会がもたらす販促型のデザインとは距離をおいたところにある。そもそも博物館コレクションにおけるデザインという概念は、標本自体の進化の過程をも意味している。自然であれ、生き物であれ、道具であれ、長い年月を経て形成されたデザインの産物を、デザインでもって再認識することである。各分野の学問それぞれの研究者たちが持っているフィールドが、展示室というフィールドで再構築される。強調すべきは、これがプラットフォームであるということである。この上に多彩な異文化との融合が繰り広げられることになる。その価値は先駆的で、不変的で、窓から望む世界とは異次元の世界。インターメディアテクとはそのような装置である。




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写真1 COLONNADE


写真2 ACADEMIA


写真3 PANTHEON


写真4 STUDIOLO


IMT plan (図をクリックして拡大)