東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime15Number1



特別展
火星―ウソカラデタマコト

宮本英昭(本館准教授/惑星科学)
 あなたは火星人が居ると思いますか?─いまから10年くらい前に、こう科学者に問いかけたら、きっといやな顔をされただろう。火星生命などというのはフィクションの世界の話であって、そのような問いかけは科学的でない、そんな風潮があったように思う。たしかに実際のところ、火星人は映画や小説などでしか話題にのぼらないし、そこでみる火星人は、冗談とも本気ともとれない奇抜な格好をしていたりする。しかしそうだとしても、火星人はどういうわけか世にお馴染みの存在だ。どうして金星人や木星人ではなくて、火星人なのだろう?
 ことの発端は19世紀後半の火星大接近にさかのぼる。このときミラノ天文台のジョバンニ・スキャパレリは、望遠鏡で火星を観察して詳しい火星の地図を作り上げた。物語はこの地図のささやかな誤訳ではじまった。火星表面に見られる筋のような直線的な模様を、溝などを意味する「カナリ(canali)」と名付けたのだが、これがフランス語や英語に翻訳されるときに、人工物の意味合いの強い「運河(canal)」と訳されてしまったのだ。火星に人工的に作られた運河があり、これが地球から見えるほどの大きさであるということは、火星人は地球人よりもはるかに進んだ文明を持っているに違いない…。アメリカにこの本がわたるあいだに、さまざまな想像が膨らんでいったようだ。
 この研究に大いに刺激を受けたのが、米国のパーシバル・ローウェルだ。ハーバード出の博識な彼は、東京大学の初代動物学教授であったE. S. モースに影響を受けて来日し、地球の反対側にある奇妙な異文化をもつ日本人について、独善的とも称されるが深い洞察に富んだ研究を行った。その後スキャパレリの本に出会うことで、これまで研究してきた東洋の生き物よりも、さらに奇妙かもしれない火星人に興味を持つことになった。そこで私財を投じてアリゾナ州に天文台を建設し、火星の研究に没頭した。そしてついに、干ばつに脅かされた知的生命体が、極域にある水を都市に運ぶために巨大運河を作った、という仮説を発表するに至った。
 こうした背景の中で、H. G. ウェルズが火星人が地球に攻めてくるという小説「宇宙戦争」を発表する。これは世界的にも大きな反響をひきおこした。これを別名のウェルズ(オーソン・ウェルズ)が脚色しラジオで放送すると、本当の緊急放送かと勘違いした大衆がパニックを起こしたそうだ。その後もこの小説にヒントを得た作品は数多く発表され、火星人という想像上の生き物は一定の市民権を得るに至る。科学的な発見が発端となって想像が膨らみ、地球以外の星にすむ宇宙人とはすなわち火星人、という雰囲気が作られたことは興味深い。
 さてローウェルの観察は、必ずしも信頼に足るものでなかったとする意見がある。たとえば著名な惑星科学者カール・セーガンは、ローウェルのことを「これまでに望遠鏡の前に座った中で最悪の製図屋だ(one of the worst draftsmen who ever sat down at the telescope)」と称している。分光器を用いた天文学の発達によって、火星には水がほとんど存在しないことが明らかとなっていたし、望遠鏡の進歩とともに、ローウェルの火星人説は強く否定されていったのだが、それでもローウェルは自説を強く主張しつづけた。
 決定的であったのは、惑星探査機の登場だ。1970年代に米国はマリナー探査機などによって火星探査に乗り出し、火星で「その場観測」を行ったところ、ローウェルが見た運河などは全く見当たらなかった。さらにバイキング探査機(70年代後半)を火星着陸に成功させることで、火星表面は完全に乾燥しており、生物の痕跡は全く見つからないことをあきらかにした。こうして火星人説は科学的には葬られ、火星人捜しという意味では、火星探査は失敗と失望の歴史をたどったのだった。
 ところでこの時代は、他の惑星も含めた太陽系探査の黎明期であった。技術的制約のため詳しい探査はできなかったが、それでも金星が灼熱地獄であり、木星や土星は気体でできた惑星であることが確実に理解された。それとともに金星人や木星人などは、どうやらどこを探しても居ないことがわかってきた。火星も同様に荒涼とした死の世界が広がっていたのだが、それであっても地球に最も似た表層環境を持つ天体といえば、やはり火星であることが理解されていった。また、小さな希望も残されていた。火星探査機が取得したデータをつぶさに解析すると、地表には洪水の痕跡のような地形があるではないか。想像の世界で作られた火星人像があまりにも鮮烈だったことも、ひょっとしたら一因かもしれない、火星探査は続いた。
 1990年代後半から、先進的な技術に裏付けされた現代的な探査が行われるようになった。人類が火星に送り込んだ探査機は20機ほどとなり、膨大な探査データが蓄積された(図)。例えば2006年に火星を回る軌道に投入された火星周回機は、今も30センチメートルという高い解像度で火星の表面を撮影し続けているし、2004年に火星の表面に降り立った探査車は、火星の表面を5年以上も走り回り緻密な地質調査を行っている。科学者にとって火星は遠いロマンの星では無く、最もよく調査された地球外天体となった。
 こうした探査により、今まで見過ごされてきた、さまざまな重要な発見がなされた。現在の火星はたしかに荒涼とした場所であるが、火星に着陸した探査車は、かつて火星が大量の水を蓄えていた証拠を発見した。火星周回機からも、これを支持する別の発見が相次ぎ、火星は誕生から現在まで「ほぼ完全に乾燥していた」という考え方は大きな変更を余儀なくされた。火星に海があるという考えは、かつて荒唐無稽と言われたが、すくなくとも過去において湖は存在したことがわかった。そして地球に生命体が誕生した30〜40億年前には、火星にも温暖湿潤気候があったらしいこと、さらにその頃の火星は強大な磁場で宇宙放射線から守られていたことなど、驚くべき発見が続いた。ごく最近まで続く火山活動や水循環の証拠、さらにはひょっとすると生物由来かもしれないメタンの噴出も観測されている。
 どうやらかつて火星は地球とかなり似た環境を持っていたらしい。この文章の冒頭の問いを、現代の火星科学の研究者にぶつけたら、10年前とは全く異なる回答をするだろう。研究者によっては、「火星に生命が居た時期があると思います」とか、「今も火星に生命が生き続けていると考えている」などと言うかもしれない。火星人かどうかは別として、火星の生命は科学的に議論の的になっているのだ。かつてローウェルが、ひどいペテン師と言われていたのは皮肉な事実だ。彼の主張は科学的には完全に無視されたにもかかわらず、映画や小説の中に生きつづけ、結果的には火星科学に貢献したといえる。そもそもスキャバレリが自書の中でカナリと書かずに素直にチャネルと書けば、または翻訳者がカナリを運河と誤訳しなければ、こうした流れは生まれなかったかもしれない。これを「嘘から出たまこと」とは言い過ぎだから、ウソカラデタマコトとカタカナで書いても同じことか。
 ところで私たちは火星ではなく地球に住んでいる。これはなぜだろうか――?
 これは私たちとは何ものなのか、という究極的な問につながる重要な問題だ。特に火星における生命の存在が科学的に現実味を帯びてきたいま、この問題の側面から火星科学は新たな局面を迎えていると言える。火星を単なる怖いもの見たさで調べる時代は終わった。火星はその意味でよく調べられた。そこでわかったことは、わたしたち地球生命のルーツを知るために、火星が最も近道だということ。地球を知るために火星を調べる時代に突入したのだ。
 こうした背景の中で、日本では国内外の100人以上の研究者が集まり、MELOS と呼ばれる新たな火星探査計画の検討がはじめられている。ここでは非常に興味深い議論が続けられている。火星に生命が誕生したとして、それを本当に見つけることができるのか?厳しい火星環境において、数十億年にわたって生命が生存しえるのか?そのためには、どの場所でどのような条件が揃う必要があるのか?なぜこれまでの探査では生命のささやかな痕跡すら見つけられなかったのか?先に述べた単純な疑問に答えるには、実は地球の進化と比較できるほど、火星を理解する必要があるのだ。それもこの星の内部構造から熱の履歴を辿り、表層の些末に見える構造から地表付近での活動史を知ることにはじまり、火星の原材料物質は何でどのように進化し、大気がどのように形成され失われていったかという部分まで、大雑把でも幅広く火星という天体を達観することが重要となる。つまり火星という星を構成するさまざまな要素とその相互作用も含めた火星システムの理解が必要となるのだ。私たちはこれを端的に言い表すために、「火星はなぜ赤いか明らかにするのだ」、と表現する。火星の赤は酸化鉄の赤だが、乾燥しきった火星になぜ酸化鉄が広く存在するか、答えることは難しい。この問もまた、火星システムの理解へつながっているのだ。
 今回の火星展では、このMELOSプロジェクトを検討段階であるにもかかわらず、広く一般に公開し、この火星探査計画をめぐる熱い議論の現場をそのまま示している。ここでは近年飛躍的に進歩した火星探査の成果だけでなく、研究の現場でどのような提案が実際になされているか、計画に関連した機器と共に公開される。各種の計画への人気投票や、素朴な感想・コメントを集めるコーナーも設けてあるが、これは来館者と研究者や大学院生とを有機的につなげることで、この企画と探査計画を連動させることを狙っている。つまり来館者は、火星探査計画を立案する、まさにその現場に立ち会うこととなる。
 いまはまだ、ウソまたは戯言のようなものでも、あなたの一言で、マコトとなるかもしれませんよ。

 この展示企画は、(株)NHKエンタープライズ、新日本製鐵(株)、キーコム(株)、古河電池(株)、(株)シマブンコープレーション、パナソニック(株)、キーエンス(株)、JAXA、千葉工業大学、国立天文台、明治大学、中央大学、東北大学、会津大学、東京工業大学、神戸大学、九州大学、NASA、アリゾナ大学、Planetary Science Institute、IRSPSなど多くの方々のご協力があってはじめて開催することができました。関係者各位に深く御礼申し上げます。

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 図1 火星着陸機フェニックスが火星に向かってパラシュート
を開きながら降下している所を、別の探査機マーズ・
リコネサンス・オービターが撮影した画像。
左下はその拡大図。