東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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ウロボロス開館10周年記念号

遺丘というタイムマシン

西秋 良宏 (本館教授/先史考古学)

 私たちが現在、考古学の発掘調査をしているのはシリア東北部のハブール平原というところである。イラクを中心としたいわゆるメソポタミア地方の西のはずれにあたる。東京大学が1956 年から57年にかけて最初の西アジア遺跡調査隊を派遣した時の主たる調査地はイラクであったけれども、政情不安もあって1980年代からはお隣のシリアに国替えしている。国は違えど、私たちが興味をもつ先史時代に現代の国境があったわけはない。ジャジーラとよばれる乾燥したステップ地帯がイラクから続くシリア東北部は、当初の研究目的に継続して取り組む格好の舞台となっているのである。
  延々ひろがる大平原で目に入るのは、水平線から頭を出した無数の遺丘である(写真1)。遺丘というのは遺跡となった丘のことをいう。西アジア一帯に広がる独特な遺跡で、アラビア語でテルと呼ばれる。ちょうど日本の古墳のような小山だが、お墓ではない。古代の村がつみ重なって知らず知らずのうちにできた丘である。
  降雨量が少ないこの地域の村の建物はふつう日干し煉瓦でできている。雨風に弱いからほおっておいてもはげ落ちた泥がたまるし、建て替えによって古い建物を壊した時には一気に地面が高くなる。水場に近かったり交通の要衝であったりといった生活適地は大平原に多くはないから、次々と同じ場所に村が造営されるのが普通である。それが延々繰り返されて出来上がったのが遺丘である。現在発掘しているテル・セクル・アル・アヘイマル遺跡のように、現代の村がその上に営まれていることも多い。
  いったいいつからそんな丘が出来はじめたのか。それは泥壁建築をもつ村が生まれ、以後連綿と続く生活形態が確立した時である。江上波夫先生(1906-2002)のことばを借りれば原始農村が生まれた時からである(写真2)。遺丘の始まりの研究とは、実は農耕村落の発生プロセスの研究と不可分であることがわかる。そして、それが50年続く私たちの研究テーマとなっているのである。村の発生は後に数十メートルも高くそびえる遺丘に築かれた古代都市、文明社会への歩みの原点でもあった。 これまでに蓄積された成果をまとめてみると、時々の発展の中心地に変化はあるけれども、まず、定住が始まり、ついで植物栽培が始まり、最後に動物家畜化が始まったことが判明している。1万4000 年くらい前にスタートしたこの変革は、それから4〜5000年かけておおよその陣容を整えていったらしい。8500年くらい前の遺丘を掘ると、現代の西アジアの伝統的農村とほとんど変わらぬ暮らしぶりに出会う。ムギ作農耕とヒツジ・ヤギ飼養の証拠や素焼きの瓶等々。見つからないものは鉄やプラスティックなどくらいだ。世界のどこよりも早く、後の暮らしの基本をそろえてしまった西アジアの古代人には全く敬意をはらうよりない。今回の展示は、そうした最初の村の成り立ちについて調べてきた成果の一端を提示するものである(写真3)。
  展示企画の相談をしているとき、ある方から、発掘をしていて一番楽しいのはどんな時ですか、と尋ねられた。あまり整理して考えることもなかったことなのだけれども、予想したものが予想した地層から見つかったときだとお答えした。私たちは金銀財宝を求めて掘っているのではない。そもそも石器時代の村でそんなものが見つかるはずがない。見つかるのは動植物化石などの食べかすや当時の村人が使わなくなったこわれた道具などだ。それをもとに地層ごとの村の生活を調べ、そこで生じた新たな疑問を解決するために、より古い村の埋もれた地層へと掘り下げていくのである。それは遺丘というタイムマシンを使った仮説検証の繰り返しであって、仮説があたった時が一番楽しい。
  しかし、予期せぬものに出会った時の楽しさも格別である。それが微笑みを浮かべた女神ならなおさらだ。実際、それは微笑んでいるようにみえた。テル・セクル・アル・アヘイマル遺跡の9000年ほど前の村から出土した写実女性土偶のことである。土器が発明されるより前のものだから日干し土偶であり、大変にもろい。シリア政府の特別な許可を得て持ち帰り、昨年来、ダマスカス博物館の保存修復官を交えて慎重なクリーニングと分析を続けてきた結果、たぐいまれな写実性、造形性を備えた逸品であることが判明した(写真4)。シリア政府がミュージアム・ピースと認めたこの作品は、完存する写実女性土偶としてはメソポタミア地域最古のものとなる。年が明けたらシリアに返却予定であり現在研究中であるが、今回の展示オープンにあわせて、特別に公開することにした。
  この土偶は首がとれた状態で見つかった。それも当時の世界観を知る重要な手がかりの一つである。狩猟採集から農耕牧畜への変化は経済変革だけではなく社会の変革もともなっていたし、人々の世界観の変化をも巻き込んだ壮大なできごとであった。9000 年前の「女神」の微笑みを眺めながら、世界最古の農民たちが築きあげつつあった最新の社会は新たな精神世界の幕開けであったことにも思いをはせていただければと思う。

東京大学創立QSP 周年記念事業特別展示
東京大学西アジア遺跡調査UP 周年記念

『遺丘と女神−メソポタミア原始農村の黎明』展
会期:2007 年5月26 日(土)〜9月2日(日)
休館:月曜および8月10 日(金)から8月14 日(火)
    (ただし、月曜祝日の場合は開館、翌日休館)
    臨時休館の場合があるので、ホームページ等確認のこと
時間:10:00 〜 17:00(入館は16:30 まで)
場所:東京大学総合研究博物館 1階新館展示ホール
備考:入場無料
関連講演会
「遺丘と女神」
日時:2007 年6月2日(土)15:00 〜 17:00
場所:東京大学総合研究博物館1 階講義室
講師:西秋良宏
備考:申込み不要、無料。先着70 名。

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写真1. テル・サラサート。1956 年から57 年にかけて
東京大学がイラクで初めて発掘した遺丘



写真2. 最初の調査隊を率いた江上波夫教授(右)。
1957年、イラクの宿舎にて



写真3. 現在発掘中のシリア、テル・セクル・アル・アヘイマル。テル・サラサートより古い村が見つかった


写真4. クリーニングが進む写実女性土偶