東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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事前レポート 

受講者がコース開始前に提出した「次世代ミュージアム」に関するレポート。コース初日にレポートの個人発表およびディスカッションが行われた。
(出席番号順。レポートの要求内容はこちら)

「公共財」としてのミュージアム 国立歴史民俗博物館 森谷文子
人々の出会いから世界を広げていくミュージアム 女子美術大学美術館 梅田 亜由美
次世代の自然史博物館 神奈川県立生命の星・地球博物館 大島光春
里山ミュージアム構想 岐阜県博物館 説田健一
モノを収集・保存・整理・展示する「器」から学習の「場」へ 東京国立博物館 池永禎子
歴史民俗系博物館における次世代ミュージアム構想  福岡市博物館 堀本一繁
「記憶に残る」ミュージアム 逓信総合博物館(日本郵政公社郵政資料館) 井村 恵美
次世代ミュージアムの構想 東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学専攻 柴田葵
次世代ミュージアムを構想する 東京大学大学院学際情報学府 平野智紀




「公共財」としてのミュージアム
国立歴史民俗博物館 森谷文子

1.総論 (次世代ミュージアムに期待される機能や特徴等について)

次の二つの視点を以って、論じたいと考えます。
@博物館が脱行政組織化した後も、公共性を担保する
  現在、文化施設は急速に行政組織の末端(サービスアンカー)の立場から「公共的な使命を担う、何らかの仕組み」に変身を遂げつつあります。この中にあって、個々の博物館の運営がどのように改変されても、元の機能(設置母体である共同体の結束を維持し、その未来の活動を活性化させるために、共同体で共有すべき共通の記憶を創出・選出して普及を図りつつ、その記憶の媒体を保持する)を維持するためには、文化財は公共財であることが保管主体のみならず利用者側にも広く認識された上で、博物館は収蔵する文化財およびその情報を提供する主体として振舞えるような枠組みが必要と考えます。さらに、博物館の名前で行う事業そのものについても、十分な記録化と蓄積された事業記録に公共性が認められることも重要です(後々、その事業の再評価や焼き直し事業が派生する可能性があるからです)。
  なお、それらの文化財を保管し、事業を展開する建物・場自体が公共財として提供されるべきかどうかについては、個々事例で判断が分かれると考えます。なぜなら、その地点になんらかの意味があったとしても、管財上の意義付けと必ずしもリンク可能ではないからです。
博物館とは、設置母体の結束を目指す中で、それぞれの時代の価値観で個々の文化財や事象を照らす作業を通じて新たな価値を創造し、広く提供する主体にして、共同体共通の記憶の媒体である文化財を公共財として保管・活用する組織。…このように定義してみました。
Aアーカイブと素材集の違い
  利用者側から見れば、博物館のもつ所蔵品(文化財)そのもの、写真・画像、そのほかの周辺情報は「素材」と認識されています。利用者にとって博物館の所蔵品の写真や情報を利用することとは、単に挿図や引用にとどまらず、手続きを経て入手した「素材」を自らの解釈で論じたり、加工して新たな作品として発表することまでを含む行為なのであり、このことから翻って博物館の所蔵品は新しい作品の源泉として存在するともいえましょう。
  しかし、素材として利用する前提として、提供される情報が「(権利上・解釈として)正当なもの」であることが条件です。とはいえ、博物館資料は広範なジャンルに亘る上、その出自や権利主張が多様であり、必ずしも利用者側の多彩な要望全般に対応可能ではないものを内包しています(図書館・公文書館等には見られない、博物館特有の悩み)。さらに、博物館側では資料の意義保全を図る立場として、提供した情報に任意の改変を加えられることに抵抗を感じ、提供した情報の価値低下を嫌って利用をコントロールしようとします。
  その一方で、所蔵品の活用を促進するとは、脆弱な資料(使い古し社会から引退した存在)自体を繰り返し使うのではなく、写真や周辺情報の活用を図ることであり、それは結局、資料の諸情報を「素材」として社会に提供することに他なりません。また、資料は物理的に長期間保全可能としても、資料自体を使用せずに価値を向上させる方法とは、畢竟、周辺情報の付加具合(由緒の追加)と提供の仕方の工夫次第とはいえないでしょうか(それでもなお、収蔵品自体が持つ審美的価値とそれが伝承され続ける事実こそが最上の価値なのですが。)
  このことから、博物館のアーカイヴ性(記録を保持・提供する機能)向上を模索する場合には、利用者の「素材」感への対応、特に「博物館は資料の何を提供することで成り立ち、資料の何を守っているのか」を強く意識すべきです。特に多くの場合、情報提供に際して使用料金を課金している手続きについても、かえって利用者側の「金を払っているのだから、入手した情報は好きに使ってよい」的感覚につながっている点にも留意が必要です。

2.次世代ミュージアム (公共の「蔵」という存在)
  次世代ミュージアムとは、第一義に公共の「蔵」であり、そこに守られているなにかを人々が共有するために集い、利用する行為を通じて人と人とがつながるところ、さらに共有するなにかを守る行為に参加できる存在であると考えます。
・博物館は「公共の蔵」である
・「公共の蔵」である証として、明確なルールを基に、下記の利用(参加)を可能とする。
  @収蔵品は、あらゆる創作活動・学習活動の素材・ツールとして開かれている(=使用への参加資格が明確である)。また、商業目的で 使用された対価や利用されることで新たに付加された価値・栄誉は館(特に収蔵品の保管行為)に還元される。
  A館の活動記録そのものの記録蓄積ですら、一定ルールで活用可能である。
・収蔵品・活動内容には、公共性が認められるかどうか、或いは公共的活動で維持されるべき根拠があるかどうかを、絶えず監査する機能がある
・その館の特徴的な収蔵品・活動について、同種の運営を持つ他館やグループと連携できる。
・文化財以外の分野との連携ができ、技術の移動や情報の波及が企画できる。

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人々の出会いから世界を広げていくミュージアム
女子美術大学美術館 梅田 亜由美

1.次世代ミュージアムに期待される機能・特徴
  私が次世代ミュージアムに期待する機能とは「バリアフリーの視点から、人と人との新たな出会いを生み出し、その出会いから人々の世界を広げていく」ことである。
  近年、高齢者やしょうがい者などに対するバリアフリーに取り組むミュージアムも増えつつあり、通常の説明パネルに点字パネル・文字の大きなパネルを併設する館や、柔軟な対応が可能であることからボランティアスタッフによる対応を導入する館なども現れているが、まだまだ少ないのが現状である。そして、何よりミュージアム側に「高齢者でも/しょうがい者でも楽しむことができるサービス」という「対応」としての認識が根強いように思う。
  次世代ミュージアムにおいては、まずこの「対応」という視点を脱し、これまでミュージアムとは疎遠であった人々がミュージアムを利用するようになることは新たな出会いであり、そこからミュージアム側が新たな考え方・感じ方を発見し、世界を広げることができるという視点を持つことが重要であり、その視点がすべての利用者に還元されるようなプログラムに取り組むことが望まれる。
  これまでのミュージアムは「モノ」との出会いから発見する・学びを得る場であった。これに対して、次世代のミュージアムは、作品や資料など形ある「モノ」を介して、さまざまな人の考え方・感じ方に出会い、出会いを通じて、出会った者同士がお互いに自身の世界を広げることができる場となる。そして、そうした出会いの場を創出するだけでなく、出会いから得たものを育てていく機能をも次世代ミュージアムに期待したい。

2.次世代ミュージアム企画案(女子美アートミュージアムについて)
【テーマ】
  これまでミュージアムと疎遠であった人々(高齢者、しょうがい者、子どもなど)が美術館を利用するためのプログラムの企画・実施に際して、学生スタッフを積極的に活用する。そしてミュージアムでの活動を通して、学生自身が「アートの力」「アートと社会のかかわり」などについて新たな発見をし、自らの世界観を変化させていく、学生の成長の場となるミュージアムをめざす。
【方法】

  本学学生より、ボランティアスタッフを募り、高齢者・子ども・しょうがい者など、さまざまな理由からこれまでミュージアムを利用しづらかった人々を対象とした鑑賞ツアーやワークショップを実施する。もちろん、そうした人々に美術館での体験を楽しんでもらうことが一番大切であるが、美術館側が「高齢者でも/子どもでも/しょうがい者でも楽しめる」という「でも」のスタンスで臨むのでなく、これまでミュージアムと関わりの少なかった人々と出会い、共に鑑賞することから、作品や美術館の新たな見方・側面を発見し、学びを得る場となることを認識して取り組むことが重要である。
  プログラムでは利用者とスタッフとの「対話」に重きをおき、スタッフは一方的に説明したり、過度に手を貸したりすることなく、常に利用者の要望・考えに耳を傾け、これに応じた柔軟かつ臨機応変の応対ができることが望まれる。また対話の中から、スタッフ自身が学びを得ようとする姿勢も重要である。こうしたスタッフの養成という意味においても、また学生にとっての経験という意味においても、長期的・継続的な活動が大切であり、ボランティアスタッフの募集に際しては、1年以上の活動を条件としたい。
【空間】
  ミュージアムを利用する人も、ミュージアムで働く人も、ミュージアムに関わる全ての人がリラックスできる空間づくりが必要だと考える。なぜなら、心が緊張し、強ばった状態の人間同士から、コミュニケーションなど生まれるはずもないからである。
現行のミュージアムには、外観も室内も無機質な感じ(たとえばコンクリートうちっぱなしの壁、事務的な雰囲気の備品など)が多いように思うが、そうした雰囲気の中では人々はリラックスできないのではないだろうか。たとえば、休憩用のイスをあたたかみのある色合いのソファにする、木のぬくもりが感じられるような壁・床にするなど、やわらかい雰囲気づくりが必要であろう。
  当館の場合も、ロビーの片面はコンクリートうちっぱなしの壁である。しかし、もう一方の面は全面ガラス張りであり、採光に恵まれ、美術館のロビーとしてはかなり明るい、開放的な空間である。また、向かいに大きな県立総合公園があること、大学のキャンパス内にあることから、ロビースペースより多くの木々が見え、「気持ちが和む」という利用者の声が多く聞かれる。
  イスについては、現在黒い皮ばり、背もたれのないタイプを使用しているが、そうした開放的で穏やかな雰囲気のロビーの中になじまない、暗く、固い印象のものである。本学学生からスペースに合ったイスのデザインを募集し、採用されたデザインのイスを設置するなど、今後の変更を検討したい。

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次世代の自然史博物館
神奈川県立生命の星・地球博物館 大島光春

1.総論 ―次世代の意味
  ありきたりではあるが、次世代を考えるためには、これまでの世代を簡単に整理しておくべきだろう。私はこれまでの博物館の流れを次のように理解している。
〔第一世代〕 陳列:珍品・奇品を収集し、陳列する。見せびらかし。モノ重視
〔第二世代〕 研究:収蔵品や周辺の研究活動を行い、研究成果と共に収蔵品を公開。研究成果重視
〔第三世代〕 多様化:アウトリーチ・学校との連携・ハンズオン展示・バリアフリー(障害者対応)。普及活動(顧客)重視
  現時点での当館は10年前から続く第三世代にある。この世代間の比較で注目すべき点は、前の世代を壊して次の世代へ移行したのではなく、前の世代の上に新しい役割を付加してきていることにある。だから、次世代の博物館が、モノを軽視することはないし、研究をやめることもない。私個人としても、現在博物館が行っていることで止めても良い、あるいは止めた方が良い事業は思い浮かばない。
そのような前提に立って、次に来るもの、次世代に私が求める大切なポイントは、
1)自立(自律)した博物館:自分で決めて自ら行う 運営の改革 裁量権(責任)の拡大
2)生産する博物館
3)自然史研究活動の核あるいは拠点としての博物館
の3点である。以下にその意味するところを補足する。

  1)は現在私が所属する公立博物館特有の問題かもしれない。当博物館は県庁の一部局である教育庁の生涯学習文化財課の下に置かれている。教育庁の管轄下の大部分は学校である。当館の開館以来(最近10年)続いたバブル後の財政難でも義務教育と県立高校の予算は簡単には切れない。特に現在のようにいじめによる自殺や履修不足が問題になれば、予算だけでなく関心も学校教育に向く。開館準備中の15年前なら違っていたろうが、現在の県庁で博物館の今後に関心を持っている職員は少ないに違いない。もしいても、彼(女)の考えがが私たちの将来像と合致すると、安易に考えることはできない。これでは将来を安心して任せることはできない。そこで、自立が必要である。自分たちの博物館のことは自分たちで考え、行動したい。良いアイデアがあれば、実行したい。思想的にも独立し、誰かの言いなりになる必要がない。そんな博物館にしたい。
  そのためには財政基盤の強化が欠かせない。財政基盤の強化には、歳入の確保が必要である。当博物館の歳入は入館料とショップやレストランの家賃しかないが、展示デザイン、展示製作、調査(分析・踏査)、印刷物デザイン、出張展示、出張講座、関連商品販売、資料貸出、ホールの貸出、貸金庫、貸倉庫などを新たな収入源にしたい。
  2)はそのための重要な手段である。美術大学と連携したデザイン部門を持ち、工業高校(大学)に展示制作・実験機器製作工房を持つ。企画課のスタッフは、学芸員とそれら外部との橋渡し・調整役を務める。大変高額な展示業者の仕事に、価格とアイデアで勝負が挑めるようにしたい。そのほか生産とは少し違うが、貸倉庫、貸金庫などは博物館ブランドで売り出せば付加価値をつけられるのではないかと考えている。
  3)は現在でも、同好会から大学まで巻き込んで、そうなっていると自負しているが、一歩進めて「動物園も水族館も植物園も、研究部門と資料部門は博物館がまとめて扱います」、というところまで目指したい。これについては2企画の部分でも、立地としてふれるが、多少離れていても、あるエリア内であれば協調して活動することはできると、やや楽観的に考えている。
  以上、述べてきたが、実は肝心な部分である「どうやって自立を認めさせるか」という議論が抜けている。県立のまま認めてもらうことを考えるより、財団やNPOとして新たに立ち上げるほうが、まだしも現実的であるかもしれない。

2.企画
  前述のような考えの上で、次世代の自然史博物館を作るとしたら、一例を自分なりにまとめてみた。
テーマは <地球> 現在の当博物館のメインテーマである「地球の歴史、その中で生じた生命の歴史」は大変良いと思っているので、変えない。
  展示は <動的>(実際には動かなくても) より動的なイベントを表現する。たとえば、プルームによる既存システムの破壊→生物の大量絶滅→生き残りからの大進化。時間と空間を実感できるような環境で、地球システムの動き、変化とそれに支配される生命の変化を理解できるような展示を目指す。また、来館者は時に展示に参加し、次の展示を作る。たとえば、観察会で見た現象をPCでシミュレーション、実験で再現し次の来館者にわたす。
  収蔵庫は <見せるもの> 収蔵庫は、展示室からちらっと見えるようにしたい。博物館の裏側は、裏側でなければならない訳ではない。週末には収蔵庫ツアーを行って、博物館の「保管・保存」にかけた努力と技を公開する。1)総論で上げたような貸金庫、貸倉庫ビジネスにつなげるためにも効果的だと考える。
  研究は <自由に> 学芸員の質と学問に対するモチベーションを保つには、自由な研究環境が必要。それをベースに環境アセス、地質調査、化学分析などを、収入を得るために行う。

組織<54人以上100人未満>
館長(1) 副館長(2)
総務部(6) 管理課・経理課・施設課
企画部(15) 企画課(渉外)・普及課(インタープリター・司書)・広報課・情報課(SE)
研究部(30) 動物研究科・植物研究科・地球科学研究科・古生物研究科・資料(保管・保存)課
外部委託業務(上記の人数外):ショップ・レストラン・清掃・警備・案内員・設備保守・展示メンテ・事務補助
立地
地形:平野の微高地で基盤が露出しているところ。
交通:都心部から直通電車のある駅の近く。2桁までの国道沿いで高速道路のIC近く。
周辺施設:動物園・水族館・植物園・大学・ショッピングモールなどと隣接し、海・山・湖・川などが視野に入る範囲。
建物
地下1階 地上3階(床面積25000u)
3階 シアター(兼貸しホール)、レストラン、研究室、事務室、館長室、図書室、
2階 展示室、講義室、来館者用ラボ、化学分析室、精密分析機器室、共同作業室
1階 展示室、エントランスホール、特別展示室、冷凍庫、解剖室、工房、収蔵庫、荷解き室
地下 駐車場(乗用車は立体)、機械室、貯水槽、収蔵庫、荷解き室

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里山ミュージアム構想
岐阜県博物館 説田健一

1.次世代ミュージアムに期待される機能や特徴
1)子どもから高齢者まで楽しく安全に学べる生涯学習の中核施設であるだけでなく、さまざまな活動を通じて、さまざまな世代が交流する場。
2)地域の大切な宝物(資料、知識など)を次世代へ安全に引き継ぐための収蔵装置。

2.里山ミュージアム構想
  岐阜県博物館は開館30周年を迎え、施設の老朽化・陳腐化が著しく目立つようになった。今回のレポートでは、当館のリニューアルを題材とし、次世代ミュージアムの構想を考えた。
1)岐阜県博物館の特徴
  岐阜県博物館(下図黄色の園内)は岐阜県関市の百年公園(下図中央の山塊)内にある。百年公園の敷地は約100ヘクタールに及び、おおむねアカマツ・コナラ林といった里山林からなり、ギフチョウなど貴重な生物も数多く生息する。当館の大きな特徴は、こうした豊かな自然環境の中に立地することで、リニューアルに際し、これらの資源を最大限に活用し、里山ミュージアムを構築する。
2)中核となる施設
  里山ミュージアムの中核となる施設は、@百年公園自然観察の森、A生物多様性情報センター、B鳥獣保護センターの3つである。
@百年公園自然観察の森
  当該地域の里山について紹介する展示施設を備え、かつ百年公園の自然について、タイムリーな情報を提供する。ボランティアを積極的に活用し、来園者のさまざまな目的(公園の散策、遠足など)に対応する。里山林の整備など長期的な活動を行い、さまざまな世代が交流する場とする。
・展示室「里山」:文書、考古、地学、動植物の資料から岐阜県中部の里山を概観。
・展示室「百年」:百年公園の散策や自然観察に自然情報を提供。
・ボランティア控え室
・研修室
A生物多様性情報センター
  生物標本を中心にした資料の収蔵施設で、岐阜県の自然の概要と生物多様性を紹介する展示施設も備える。
・展示室「飛山濃水」:岐阜県の自然の概要を紹介。
・展示室「昔の理科室」:教科として博物学が存在したころの理科室を再現し、種々の生物標本を用い、生物多様性や外来種問題を紹介。
・ボランティア控え室
・収蔵庫
・標本作成室
・研究室
・研修室
B鳥獣保護センター
  傷病鳥獣、斃死体を積極的に収容し、これらの管理と感染症などの研究を行う。死亡個体は資料化し、生物多様性情報センターに収蔵する。
・飼育舎
・研究室
・研修室
・ボランティア控え室
3)その他
@屋外観察施設
  公園内の歩道の道標を整備し、休憩用の東屋を兼ねた野鳥観察施設を拠点に設置。
A運送会社と提携した移動博物館『博物館の宅急便』を運営。
B魅力あるミュージアムショップの経営
  地場産業(たとえば、食品サンプル会社)と連携し、オリジナルグッズ(魚のレプリカなど)を開発。
C駐車場の拡充と公共交通機関の誘致
D道の駅

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モノを収集・保存・整理・展示する「器」から学習の「場」へ
東京国立博物館 池永禎子

1.総論:次世代ミュージアムに期待される機能や特徴等について
  今日のミュージアム(博物館・美術館)では、多くの収集品がデジタルアーカイブ化されてきており、同時にコンピュータを駆使したデジタル技術が大きな役割を果たすようになってきている。しかし、技術が日々発展し、情報が増えていく一方で、その膨大な情報を使う技術やスキルが追いついていないのが現状である。その技術やスキルを学ぶ場としてミュージアムが機能することが望ましいと考える。ここでいう「学習」とは、いろいろなモノやコトに反応する「感情が考える能力」であり、「他人と共同作業をしていくこと」である。これまでのミュージアムは、モノを収集・保存・整理・展示する器として存在してきた。モノに傾注していたとも言える。
  一定の特性でまとまった地方から日本全国、やがては世界の文化資源を、ミュージアムを使ってコンテンツ化し、各地のミュージアムをつなげて知のネットワーク化を実現させることは、決して不可能ではないだろう。ミュージアムが「知のハブセンター」になるのである。これからは、むしろモノは「手段」であり、利用者がミュージアムとインタラクティブに関わることで「知」を増幅させ、それが地域文化の発展につながると考える。未来には国境を越えた対話型デジタルミュージアムが実現することを期待したい。
  ところで、人間の情報受容は五感を使って行われるが、ITは主に視覚を中心に発達してきたという事実は否めない。最近こそ聴覚という要素も加わってきたが、身振り・手振り・抑揚に相当するような表現はまだ難しい。加えて、双方向性を重視してきたコンテンツも増えてはきたが、機転・ユーモアといった人間特有のレスポンスも現状の技術は困難である。ミュージアムが「知のネットワーク」の重要基点として真の意味で運営していくには、人を巻き込んでいくための知恵や仕組みも不可欠である。情報技術はその有効な手段となりうるが、同時にそれに精通したディレクターの存在も必要となるであろう。

2.企画  生命(いのち)と平和を体感するミュージアム
?テーマ: 近年、日本においては若年層の犯罪、乳幼児の虐待事件が相次いで発生している。また、世界各地ではいまだ紛争が絶えず、戦災や戦争遺物被害に苦しむ人たちも数え切れないほど存在する。あらゆる世代が命の尊さを再確認すること、世界の平和を願うことを期待する。
?方法: 基本的に展示物は実際に触れられるものにする。
@電光掲示板による世界のリアルタイム統計データ表示(出生率・死亡率・結婚率・離婚率etc.)特に、死亡率に関しては、原因の内訳など詳細を表示する。株式市場のように、常に世界の情勢がわかるようにする。
A胎児〜天寿を迎えるまでの疑似体験(羊水に浮かぶ感覚・乳幼児の目線・加齢による足腰の負担や白内障の感覚etc.)死後の世界については、宗教などにより定義が異なるので、配慮する。また、死=安楽ではなく、いかに充実した生を営むか、という方向性を貫く。
B被爆国としての日本の紹介(被爆者のインタビュー・パネル展示・被災の規模を模型でシミュレーション・投爆により一瞬にして焼け焦げる様の映像もしくは実演etc.)
C世界の紛争実態紹介(映像・地図パネル・義手や義足の展示etc.)
D恵まれた日本と世界の貧しい国々との比較(パネル・モノやお金に換算するとどれくらいなるか現物との比較etc.)
例1;自動販売機にお金を入れると、いくらで何が買えるかがわかる(100円で「ワクチン何本」、1000円で「義足何本」など)※お金は変換式
例2;ニンテンドーDS1台で何食分にあるか?
?空間: 四季の変化、自然を感じられる開放的な設計とする。また、高齢化社会や四肢の不自由を助ける役割が期待されているロボット(=人知の集大成)が共存する近未来的な生活空間の雰囲気も作る。

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「記憶に残る」ミュージアム
逓信総合博物館(日本郵政公社郵政資料館) 井村 恵美

1.期待される機能や特徴/ 実物+現場の空気+選ぶ展示                  
   「臨場感がない??」。博物館や美術館に入って思うことの一つだ。最近は映像効果や高度な展示方法によって、宮殿の内部や古墳の中にいるような雰囲気が再現され、「この壁画はこんな狭いところにあったのか」と体感し、納められていた副葬品などの意味を自分なりに考えるきっかけが得られる。しかし本物の空間ではない。装置に頼りすぎることはこれまた嘘っぽい空間でもある。そして「時を経てきたそのものの持つパワー」だけでも十分だと思う。
  ただ順路一つとってもそうだが、現在のミュージアムは一方的に与えられている、といった雰囲気があるのではないか? 振り返ってみれば子どものころ博物館は「展示物が押し込められて息苦しい」「生き生きしていない」と感じた記憶がある。
  何故か?

 博物館等にある「モノ」は、ある空間から切り離して持ってきたものが多く、場の空気感がない。「臨場感」にかけるのだ。 私は「モノはそれがあった場所(用途)にあって意味がある」「モノからその空間を感じられるのが重要」と考える。すべての施設が同じ必要はないが、特に当館のような企業博物館では、仕事で使うために機能的に作られた「モノ」一つひとつが、使った現場の人でなくてはピンとこないものも多い。そこで思うのは、工場見学のように現業スペース併設し、資料を展示する空間がセットになっていることが望ましいということだ。
  また時系列で展示しているだけでは、一方的に教えられているだけで参加できない。見る人が見るものを「選びとる」、そんな余裕と選択の幅があることが見る人の「記憶」に残り、街の郵便局や生活で目にする中「あれはなんだろう?」と考えるきっかけになるのではないか?
  「臨場感」と「自分で見るものを選びとる」。次世代ミュージアムに期待したいのは、ここでしか体験できない、記憶に残る空間づくりではないだろうか?

2.企画案 : すごろくのように進み、数珠玉のように繋がる情報空間
   「臨場感があり参加できる空間」はどうやったら実現するだろうか? 当館の特性に合っているのは、映画『CUBE』で登場したような《四角い部屋が自分の選択によってゴロゴロと動き繋がっていく》。そんなパズルのような展示空間だ。しかもいろいろな方向から見ることのできるように透けている。例えば、見る人が興味に応じて入り口「A(制服)」「B(車)」「C(色)」「D(ポスト)」・・・に分かれたルートから入り、そこからまた出会ったモノの形や色、歴史を選択してみることのできる空間である。出口(終わり)も人それぞれ異なる。「A」ルートを選んでも他ルートも透けて見え、他ルートは裏から見ることができる。現業の職場がそのままどこからでも関連する場所とリンクしている。それぞれのルートは、広場のようなところとで集まって「語り部(現場職員や古老)」の話を聞き、互いが情報交換をする・・・。その後また分かれて進むといった具合だ。タイムトラベルのようにどんどん進むこともできるし、一つの「モノ」と対話し、情報をずっと掘り下げることもできる。見える情報以外でも、目にできるよう収蔵庫(触れないとしても)や書庫、外部の施設情報にリンクしているという、情報が数珠玉のように繋がっていく空間が構築できたらいつでも新しい情報にあふれた空間になるだろう。

 《資料を自分で選んで見る=データベース検索の立体版》
   当館は郵便、電話、テレビといった郵政・通信事業の博物館である。通信史、制服、切手、乗り物、グッズ、切り口はさまざまだ。モノやそれにまつわる歴史は、教科書的にみれば一方向だが、前から見る情報と横や斜め、裏面など、角度を変えるとまったく異なる情報が見えてくる。当館にある資料を例にとればはがき一つとっても「表」「裏」では情報は違う。「モノ」にまつわるエトセトラを見る側が興味に応じて整理してみると、発見もある。情報同士をその人なりにつないで自分だけの展示ルートをつくることができる。偶然に新しい発見に出会う。そんな参加できる場、足を使って人とモノ、人と人同士が交流するきっかけになる空間が出来上がると、無限の広がりがあるのではないか?
  当館ではこれまで常設展、特別展と区切って展示を行い、常設展の入場が少ない、常設展は展示ルートを変えられないなどの不具合が生じてきた。しかし参加者自らが作る自分だけのルートは、訪れるたびに表情を変える自分だけの特別展になりえる。

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次世代ミュージアムの構想
東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学専攻 柴田葵

1.総論
  「ミュージアム」と一口に言っても、歴史系・美術系・自然科学系、そして船や織物といった個別のテーマに基づいたミュージアム等々、実に多種多様に存在するわけであるが、そのいずれにも妥当しうる、「次世代ミュージアムに期待される特徴」とは何であろうか。展示物は決して、それ単独で純粋に存在しているわけではなく、それが作られたり利用されたりしてきた歴史や、所有者の変更や場所の移動、社会による位置づけや扱われ方の変遷など、実に豊かなコンテクストを有している。そして、つい見落とされがちなのは、それが今まさにここに展示されているという状態もまた、ある特定の文脈のもとにあるのだということである。これまでの多くのミュージアムは、そのコレクションや展示物がそこにあることが、あたかも自明であるような展示を行ってきたと言えるが、次世代のミュージアムにおいては、展示物とそれが置かれる場との関係や文脈という問題に対して、より意識的になることが重要なのではないか。そして、そうした意識を観客と共有できるようなあり方が望まれるだろう。
議論が過度に抽象的になることを避けるため、ここからは、ミュージアムの中でも私が特に関心を抱いている、「美術館」に焦点を当てて、次世代ミュージアムの姿について考えてみたい。
建築家の磯崎新は、人類の歴史における美術館の発展と変容を、「サイト・スペシフィック」という観念を用いて、3つの世代に分類している。磯崎によれば、王侯貴族のコレクションの陳列空間としてヨーロッパで確立したのが、第1世代の美術館であり、そうした封建的権力による芸術の私有化に対抗する形で作られたのが、フランス革命以後の近代的美術館、すなわち第2世代の美術館にあたる。第1世代において、美術作品は、特定の教会や貴族の邸宅といった、それが置かれる「場」と不可分な関係を持つ、サイト・スペシフィックなものであったのに対して、そうした特定の場と美術作品との根深い関係を断ち切ったのが、第2世代の美術館であると言える。その究極の形態が、いわゆる「ホワイト・キューブ」と言われる、現代においてもっとも一般的な展示空間を持つ美術館であろう。
そしてさらに、そのホワイト・キューブの功罪を見据えた上で、美術作品とそれが置かれる「場」とのつながりをもう一度取り戻すための、サイト・スペシフィックな美術館が、「第3世代」にあたることになる。磯崎が構想したような「第3世代美術館」の理念と意義を具現化し、その可能性を開花し発展させることが、われわれにはできるだろうか?

2.企画
  ここでは、先述の「第3世代美術館」論を検討することを手がかりに、次世代ミュージアムの具体的で実現可能な企画について考えてみたい。
磯崎の提唱した「第3世代美術館」論は、岡山県の「奈義現代美術館」(荒川修作の作品と、円筒形の展示空間が一体化した美術館)の誕生を高く評価し、奈義を「第3世代」の嚆矢と位置づけたものだった。しかし、かつてはその可能性や発展が大いに期待されていたものの、結局今までのところ、奈義に続くような試みはほとんどなされてきていないのが実情である。その大きな理由はやはり、展示空間としての美術館と美術作品が渾然一体、あるいは不可分で切り離せない状態にあるということは、理論上、美術館の展示形態がコレクションの常設展示に限られてしまい、テンポラリーな企画展示ができなくなる、という難点にある。さらに常設展とは言っても、第2世代の美術館における常設展では、定期的に展示作品の入れ替えが可能であるのに対し、第3世代ではそれもできない。また、作品と展示空間とを一体化させる以上、置くことのできる作品数はかなり限られてくるといったように、美術館の展示が非常に限定された固定的なものになってしまう、という点が、磯崎による第3世代ミュージアム・モデルの欠点であるといえる。
そこで、私が考える第3世代ミュージアムの修正モデルにおいては、ホワイト・キューブ型の展示空間と、サイト・スペシフィック型の展示空間を、一つの美術館において並存させることを提案したい。今、多くの美術館はコレクションを展示するための常設展示室を持っているが、それは企画展示室と同様のホワイト・キューブであることがほとんどである。そのコレクションが、他でもないその美術館にあることの意味を、見る人に対してより鮮明に伝えることのできるような展示空間・および展示方法の模索が、次世代のミュージアムには求められるのではないか。

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次世代ミュージアムを構想する
東京大学大学院学際情報学府 平野智紀

1.
 次世代ミュージアムとは何か。まず、「ミュージアム」という言葉、「次世代」という言葉を考えるところから始めたい。
「ミュージアム」という言葉は、ギリシアの美の女神ミューズ、あるいは学問の殿堂ムセイオンに由来すると言われる。すなわち、ミュージアムは世界中のあらゆる知と美が集合した一種の学びの場である。そこには学びを求める市民が集って、学問を行い、美的経験を感受する。
 そのようなミュージアムの「次世代」には何が求められるのか。新しいミュージアムの機能として、さまざまなコミュニケーションを促進するということが挙げられるのではないか。それは、来館者と学芸員のコミュニケーションであり、来館者と芸術家、科学者、歴史家のコミュニケーション、あるいは来館者同士のコミュニケーションでもあるだろう。Hooper-Greenhill(1994)はミュージアムで起こるさまざまな次元のコミュニケーションをモデル化し、その重要性を指摘している。文化研究などの知見から、ミュージアムで起こっているのはメッセージを伝え合うというのとは別のレベルの、インターラクティブ・ミスコミュニケーションであるとさえ言われている(橋本1998)。
 先にミュージアムは学問と美的経験の場であると述べた。ミュージアムでは学びでさえも美しくなければならない。ミュージアムでの学びは苦しいものであってはならない。つまりそこには、エレガントな学習環境がなければならない。広い意味での「学習環境のデザイン」(美馬・山内2005)である。そこでのキーワードが、コミュニケーション、なのではないか。ミュージアムはコミュニケーションをデザインするのだ。先行研究から、来館者は展示だけから学ぶのではなく、「博物館体験」をより大きな文脈で見る必要性が語られている(フォーク・ディアーキング1992=1996)。展示だけではなく、ミュージアムの全体のリデザインがなされなければならない。

2.
 ここまで大きな話を述べてきたが、ミュージアムの現場をほとんど経験していない駆け出し研究者の私から、地に足のついた提案はできない。まずは次世代ミュージアムについて夢を膨らませるという意味で、私なりのイメージを自由に描いてみたい。コミュニケーションの鍵になるのは「演劇」である。
 次世代ミュージアムには、劇場を作りたい。橋本(1998)の言うように、ミュージアムの展示はある種の演劇の場であり、ミュージアムは劇場である。展示室内では、来館者・学芸員と展示との間にダイナミックなコミュニケーションあるいはミスコミュニケーションが起こる。それは特殊な、非同期性の演劇として見ることができる。ミュージアムに劇場があることで、非同期性の演劇である展示と、同時性・一回性を特徴とする演劇が同時に存在し、多層的なコミュニケーションの場、学びの場としてミュージアムが機能するのではないか。演劇は、その協調的・目標中心的な特徴から、美しいエレガントな学びにつながるのではないか。
 国立民族学博物館で言われる「フォーラムとしての博物館」(吉田1999)とは、人が集い、時と場を共有し、対話をしながら理解を作り上げていく場のことである。演劇を見ること、展示を見ること、そして対話的に演劇・展示を作ること。ミュージアムは人が集い学びあうためのフォーラムでなければならない。演劇は、そこにひとつの可能性を提示するのである。たとえば東京都写真美術館は昨年、コンテンポラリーダンス(非常に演劇的な身体表現でもある)に関する展覧会を開催している。あるいは、世田谷パブリックシアターは市民参加型のワークショップや公演を数多く行っている。展示室内で起こる演劇的コミュニケーション(ミスコミュニケーション)の創出に着目した展示のデザイン、市民参加の演劇ワークショップの開催、そして、そこから来る演劇と展示の有機的な結合。次世代ミュージアムでは、ミュージアムと劇場の境界はありえない。両者が有機的に結びつき、さまざまな活動が生まれ、新しい演劇的コミュニケーションの場(=フォーラム)として機能することで、人々の学びと美的経験を促進するのだ。

フォーク・ディアーキング(1992=1996)『博物館体験』雄山閣
Hooper-Greenhill(1994)Museums and Their Visitors. Routledge (UK)
橋本裕之(1998)「物質文化の劇場−博物館におけるインターラクティヴ・ミスコミュニケーション」『民族學研究』62(4) pp.537-562
吉田憲二(1999)『「文化」の発見』岩波書店
美馬のゆり・山内祐平(2005)『未来の学びをデザインする』東京大学出版会

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