海外学術調査

海外学術調査

情報技術の急速な進展は地球規模で知識の共有化を実現しつつある。同時に、ヒトやモノの遠隔交流の進展ぶりも著しい。そんな現代社会において研究者の関心、研究テーマが拡がりを見せないわけがない。身近に得られる証拠だけでは解決できない課題に挑むための研究手段の一つが、海外学術調査である。宇宙へのエクスペディションもが進む昨今、実地調査のフィールドを国内、国外で区別することなど意味のないことにもうつろうが、研究目的も手順もずいぶんちがうことは今もかわらない。その歩みや行く末を見つめることは野外科学をさらに育成していくうえで欠かせない。一次情報を入手すべくフィールドワークが欠かせない標本研究者が集う総合研究博物館においてはなおさらである。

歴史を振り返れば、本学では創立間もない19世紀末から海外での野外調査をさかんにおこなっている。最初期の野外調査は、お雇い外国人に代わる日本人教授候補者が欧米に留学する途次に各地を巡検し、知見を記録したというものが多い。あるいは、開国間もない明治日本にとって近隣諸国の自然その他の諸事情を知るための事業であったかも知れない。初期の海外調査の多くは、国外に出て、その目で日本を見ることが主たる目的とされていたようにみえる。

研究の関心が一気に変貌するのは第二次大戦後である。1950年代から復活した海外調査は学術の目的を大きく変えた。最初に組織されたのは1956年から57年にかけて実施されたイラク・イラン遺跡調査団である(東洋文化研究所)。ついで、1958年にはアンデス学術調査団(教養学部)がペルー、ボリビアなど南米に出かけ、さらに、1960年には植物調査団(理学部)がヒマラヤへ、1961年には洪積世人類遺跡調査団(理学部)が化石人骨調査にレヴァント地方へでかけている。イラク・イラン調査団がかかげた目的は文明の起源の研究。アンデス調査団も同様であり、人類遺跡調査団はヒトの進化。ヒマラヤ植物調査は当初は比較研究による日本植物相の起源を探ることを掲げていたが、やがては植物の高地適応という、より一般的な課題にテーマを変更している。国の内と外、あるいは日本中心の論点がよりグローバル、越境的になったことを反映していよう。海外調査がその数の補足も困難なほど増加した現在においても、その傾向は顕著に続いている。

総合研究博物館は、半世紀以上も続く上記四大調査をはじめとした、東京大学における海外学術チームが拠点をおく一大基地である。同時に、世界各地から集められたありとあらゆる分野の学術標本を蓄積、活用するための拠点としての役割もはたしている。初期の調査が総合調査として企画されたことは、収集標本の種別を著しく豊かなものにすることに貢献した点でたいへん意義深い。自然史、文化史問わず標本の多国間移動が制限されつつある現在、その巨大コレクションには二度と集積不可能な標本群が多々ふくまれている。多面的、融合的、越境的、さらに斬新な研究関心に応えうるデータバンクとして、それらコレクションを活用し、同時に成長させ維持、発展させる重要な責務を総合研究博物館は担っている。

西秋 良宏


参考文献 References

西秋良宏(1997)「エクスペディシオンと研究の越境」『精神のエクスペディシオン』:384-391、東京大学出版会。