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    幾何学文様三角鉢。ペルー、ワヌコ州、シヤコト遺跡、コトシュ・ワイラヒルカ期(形成期前期)。高さ21cm(SC-01)

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    ジャガー文様鐙型ボトル。ペルー北部海岸、形成期中期。高さ20.5cm(SAAU-P1)

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    (左より)コトシュ・ワイラヒルカ期(形成期前期)、コトシュ・コトシュ期(形成期中期)、コトシュ・チャビン期(形成期後期)、コトシュ・サハラパタク期(形成期末期)の土器片。ペルー、ワヌコ州、コトシュ遺跡(KTE9152ほか)

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アンデス文明形成期の土器

アンデス考古学では農耕定住、大規模公共建造物、製陶・冶金術など、文明の基盤が次第に形成された時期を形成期と呼ぶ。20世紀前半、文明形成過程の研究とは「チャビン文化」の解明とほぼ同義であった。ペルー北部山地の大神殿遺跡チャビン・デ・ワンタルは、迷宮のような回廊網を擁する精妙な石造建築で、神殿を飾る石彫や出土遺物には様式化されたネコ科動物など洗練された図像表現が見られる。この神殿の影響が広がり、類似した工芸品や図像を伴う神殿が各地に現れた、という説が有力であったのである。「チャビン様式」の土器は高度に磨研され、彩文よりも刻線やスタンプ押捺など立体的装飾が多い点が特徴とされた。展示品の鐙型ボトルもその一例と言えようが、逆にこのような海岸部の土器の方が古いとする研究も現れた。東京大学が参画した1960年頃のペルー考古学界では、社会像を論ずる以前に、データの蓄積と編年の精緻化が課題だったのである(なお現在の基準では、角張った鐙型注口や浅く細い刻線などからこのボトルは形成期中期対応とされる)。

コトシュの出土土器は「チャビン様式」の範疇のものばかりであるが、大規模な層位発掘と慎重な観察が奏功し、土器とそれを伴う建築群は4時期に分類された。最終時期のコトシュ・サハラパタク期の土器は光沢がやや弱く、独特な幾何学文を反復する。その下から出土したコトシュ・チャビン期の土器はまさに、金属的な光沢を放つ「チャビン様式」土器の典型であった。さらにその下、コトシュ・コトシュ期の土器は器形や装飾が一変し、焼成後に赤・黄・白の顔料や黒鉛を塗る技法が多用される。さらに下層のコトシュ・ワイラヒルカ期の土器の例として、約5km離れたシヤコト遺跡の三角鉢を展示した。三角形のほかに舟形など変則的な器形や、区画内に細い線を刻み赤色顔料を充填する装飾が特徴的である。ペルー最古級の土器でありながら技法も意匠も完成の域にあり、製陶技術がペルーの外で誕生・成熟したのち到来したことを物語る。「チャビン様式」より古い土器、さらに土器より古いコトシュ・ミト期の神殿が出土するに至り、単純に「チャビン文化」を文明の起源とする見方は否定された。

コトシュ発掘後間もなく団長の泉靖一を失った調査団は、70年代に寺田和夫のもとラ・パンパ遺跡へ、次いでワカロマ遺跡へと北進し、80年代はワカロマと並行して近郊のセロ・ブランコ遺跡等を発掘した。寺田の没後には大貫良夫らが今世紀初頭まで15年かけてクントゥル・ワシ遺跡を発掘した。小さな発掘坑を点々と掘って終わる調査が多い中、調査団は土器包含量の多い山地の神殿群を大規模に発掘し、充実したデータを遺跡間で比較し、約40年かけて北部ペルーの精緻な形成期土器編年を作り上げた。さらに形成期の社会変化を神殿の果たした役割に着目して論じ、神殿の登場以降を形成期早期(前3000–1800年)、土器の登場以降を形成期前期(前1800–1200年)、中期(前1200–800年)、後期(前800–250年)、末期(前250–50年)とする編年案を提示した。 (鶴見英成)

参考文献 References

加藤泰建・関 雄二(編)(1998)『文明の創造力:古代アンデスの神殿と社会』角川書店。

Onuki, Y (1972) Pottery and clay artifacts. In: Izumi, S. & Terada, K. (eds.) Excavations at Kotosh, Peru, 1963 and 1966, pp. 177-248. Tokyo: University of Tokyo Press.

Onuki, Y. & Inokuchi, K. (2011) Gemelos prístinos: el tesoro del templo de Kuntur Wasi. Fondo editorial del Congreso del Perú y Minera Yanacocha.