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    青銅爵。伝「北支那」出土、殷前期(二里岡期)、高さ13.0㎝、流尾長14.5㎝(c1123)

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    「亜●」銘をもつ青銅武器。中国、殷後期(殷墟期)、有銘青銅武器(戈)内破片、幅4.7㎝、残長6.0㎝(c118)。表・裏ともに、内の中央に「亜●」の銘が見られる(●は匕かんむりに其)

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    「亜●」銘をもつ青銅武器。中国、殷後期(殷墟期)、有銘青銅武器(戈)内破片、幅4.7㎝、残長6.0㎝(c118)。表・裏ともに、内の中央に「亜●」の銘が見られる(●は匕かんむりに其)

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    鳥を象る骨製簪。中国、殷後期(殷墟期)、鳥形骨製簪、長さはそれぞれ19.1㎝、17.5㎝、8.1㎝(残存長)(c700及びc705)

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    中国戦国時代の燕の土器の壺、高さ24cm (c-718)

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    ドンソン系銅盂(う)底部、径22cm(o-166)Bronze basin of the Dong-Son Culture. Decorated bottom. D: 22 cm (o-166) 後漢時代の中国南部(華南)では青銅製の盥

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古代中国の考古学

古代中国では、新石器時代に形成された各地域ごとの文化圏を基礎として、「夏」殷周時代に初めて、各王朝を中心とした緩やかなまとまりが、その範囲を徐々に広げながら形成されていく。その後春秋・戦国時代という動乱期を経て、秦漢王朝によって古代王朝として統一される。

青銅器は、古代中国を特色づける物質文化のひとつである。青銅器文化は世界各地に遍く見られるが、古代中国青銅器の特色は、王朝による統治のための政治的道具として生産・流通・使用されたことである。紀元前2千年紀前半、「夏」代になると、新石器時代以来の土器・青銅器作りの技術的伝統を背景に、複雑に組み合わされた土製の分割鋳型による青銅彝器の製作が始まる。下の展示品は、それよりもやや下る殷前期(紀元前約16世紀)の青銅爵である。1930年代に、江上波夫によって中国大陸よりもたらされたものである。器物全体の形は典型的な殷のそれであるものの、鋬に型持を設ける点で、「夏」の技術を残す珍しい例である。ここに、王朝の交替に際しての青銅器製作者たちの動きの一端が見て取れよう。現在、青銅彝器は「夏」殷周の各王朝が興った黄河中流域だけでなく、遠く長江流域でも数多く出土する。各王朝は、青銅彝器を各地に配布し、王室祭祀を実行させることで、支配の再確認を行ったと考えられている。

漢字もまた、中国を特色づける文化的要素のひとつである。現在の東アジアが「漢字文化圏」とも称される所以である。殷後期(紀元前約13~11世紀)に甲骨文として生まれた漢字は、青銅器・土器・簡牘・帛書などへと書写対象を広げ、政治のための道具或いは記録のための手段として、古代国家の形成に寄与していく。

本展示の古代中国遺物はすべて文学部列品室に収蔵される資料である。現在の文学部列品室は、明治43年文科大学が理科大学の一室に設置した列品室に由来する。ここに、学内で所蔵されていた各種の文化標本が陳列されていたという。大正12年の関東大震災でそのほとんどを焼失したが、その後再び、発掘調査・寄贈・購入などの手段によって資料の収集が進められ、現在では国内外の各種考古資料が収集・保管される。同時に、古くは戦前、殷墟遺跡出土青銅武器の化学分析が行われたのを始めとして、研究資料としても活用されてきた。この他、東京大学では、東洋文化研究所・総合研究博物館・教養学部美術博物館などにも古代中国遺物が収蔵されている。 中国では新石器時代以来、数多くの骨角器が用いられてきた。上の展示品はそのうちのひとつ、河南省殷墟遺跡で出土したとされる鳥形簪である。鳥形簪は、主に殷の王墓や王室関係者の墓の副葬品として出土する。古代中国において、簪とは単なる装飾品ではなく、身分や地位を表現するものであった。本展示品は、日本国内の研究機関ではほぼ所蔵例のない貴重な収蔵品であり、その製作技術などを見て取ることができる。1924(大正14)年3月27日、江藤壽雄氏による寄贈品である。 (鈴木舞)

燕は中国の西周時代から戦国時代(前11世紀~前3世紀)に北京付近にあった国である。戦国時代には強国となり、日本列島の弥生文化にも影響を与えた。本展示品は戦国時代の燕の土器の壺。表面に文字が三行にわたりスタンプされ、その一行に「廿二年正月左匋尹」と製作年月を記す。この「廿二年」は、壺の形態の特徴などから判断して燕の文公22年(前340年)であると考えられる。広く東アジア古代史を探る上でも貴重な年代がわかる燕の考古資料である。(石川岳彦)

後漢時代の中国南部(華南)では青銅製の盥水器(銅洗)が大量生産された。その一器種の銅盂が北部ベトナムに波及した際、外面に地元の青銅器文化(ドンソン文化)の紋様が付加され、創出された青銅器が「ドンソン系銅盂」である。本標本はその底部だけが残ったもので、元駐ハノイ総領事永田安吉氏の寄贈品である。裏側 (銅盂底部内面)には、漢系の銅洗底部内面に多く見られる双魚紋が残る。製作年代は2世紀前半頃と推測される。(吉開将人)

参考文献 References

鈴木 舞(2010)「東京大学文学部列品室所蔵青銅爵に関する考察-特にその製作技術の面から-」『東京大学考古学研究室研究紀要』24: 1–28。