学術標本の歴史

学術標本の歴史

東京大学が明治政府によって創設されたのは1877年である。誕生当時、法理文医の4つの学部で構成されていた東京大学は、それぞれがいくつかの「学科」をもっていた。教員数は91名程度、学生数は1750名だったという(文部科学省)。以後、140年ほどの歴史を重ねた現在の東京大学は10学部、15研究科、専任教員数は約3800、学生、大学院生数は2万7000を超えている(東京大学ホームページ)。日本国の人口は、この間3.5倍ほどになっているとは言え、大学の人員の増加はそれ以上の違いをみせる。この発展は、時代の変化とともに本学の歴史が経験した、とてつもない学術の広がり、専門分化を反映しているのだろう。

しかしながら、いつまでも研究者が増えていくわけではない。右肩上がりはとうに終わっている。構成員には、限られたキャパシティの中で学術の伝統をひきつぎ、かつ新たな分野を開拓していくことが求められている。そのための格好の道具となるのが学術標本であろう。学術標本とは、研究や教育の所産として生成された各種の標本群のことを言う。研究や教育のために収集された標本はもちろん、それに用いられた機器類を含むこともある。学術過程を証拠だてる物品と言って良い。常に繰り返される学術の新陳代謝にあって、忘れられた分野などあってほしくない。また、忘れられてよいものではない。学術は、ヒトの文化と同じく蓄積的、累積的な営みであって、先人の仕事の上にのって、次の世代に展開していくものだからである。その理解がない学術活動は行方を見失うに違いない。

総合研究博物館が保管する大量の学術標本は歴史を刻む東京大学の学術の記録そのものであり、先人たちが切り開いた多種多様な学問分野の証にほかならない。今回の展示にあたっては、「コレクション・ボックス」としたガラス部屋什器に、先人たちの研究標本のいくらかを選別して並べた。縄文土器発見者として知られるE. S. モースが日本初の大学紀要に掲載した大森貝塚出土土器や、ナウマンゾウの命名由来となったH. E.ナウマン収集のゾウ化石、P. F. フォン・シーボルトの植物標本、さらには国内最古級の昆虫標本を残した佐々木忠次郎収集品など江戸、明治期の優品が含まれている一方、第二次大戦後日本の海外学術を彩ったアンデス地方の黄金細工や古代メソポタミアの壺など20世紀後半の学術標本もならべられている。

普段は個別の収蔵庫に納められている標本を一堂に会させてみれば、本学のコレクションが、いかに多岐にわたり、好奇心を引き立てる存在であるかがわかる。同時に、それらは、新たな知識の創出、継承に欠かせない資源でもある。本章図録では、おおよそ地学系(A1-7)、生物系(A8-29)、文化史系(A30-43)の順に収録したが、展示ではミックスさせてある。融合的連携研究の発想源ともなることを期待したい。

西秋良宏


参考文献 References

文部科学省「学制百年史」http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317599.htm