東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime26Number2/3



コレクション紹介
速水貝類コレクション

佐々木猛智 (当館准教授/古生物学)
伊藤泰弘 (当館研究事業協力者/古生物学)

 速水格博士は20世紀の日本を代表する古生物学者である。当初は地質学的古生物学の一環として化石の分類研究をされていたが、後に化石を生物としての観点から研究するパレオバイオロジーに転換され、東大における生物学的古生物学の研究の方向性を確固たるものにされた。博物館においては地史古生物部門の基礎を作り上げられた功労者であり、市川健雄氏とともに、標本のカタログ化を進められ、標本登録管理システムを確立された。
 速水博士の本業は貝化石を材料とした分類学、進化学、機能形態学の研究であった。一方で、3つの趣味をお持ちであり、ご自身でそのことを「3M」と称された。その筆頭が軟体動物 Molluscaの貝殻収集である(他の2つは音楽のマーラーと麻雀)。職業としての研究でも貝類を対象にされていため、完全に趣味と実益を兼ねておられたことになる。当然そのような研究者のコレクションには通常では得がたいものが含まれることは想像に難くない。例えば、ご専門の研究対象であったイタヤガイ科(図1)は標本が非常に充実している。
 速水コレクションは個体数が1万点を遥かに超える大型コレクションである。ロット数は約9000点に達しており、個人コレクションとしては規模が大きい。コレクションの特徴は以下のように要約することができる。
 (1)種数:種数は少なくとも3700種あり、日本の代表的な海産種はほぼ網羅している。特に大型種は全て揃っている。海外種については有名な種は含まれているが、日本とその周辺域の産出種が中心である。小型種はあまり興味をお持ちでなかったようでトウガタガイ科のような微小種は種数が少なく、非海産種も収集対象外であるが、それ以外のものはほとんど揃っていると言える。ご自身で採集できないものは交換や購入によって補われており、様々な手段を駆使して網羅的に収集されている。
 (2)個体数:個体数の多いロットが数多く含まれている。速水博士は少数個体の検討で安易に種を記載するような研究に対して批判的な態度を取られており、常に変異(集団内変異、地理的変異)の研究を意識しておられたように思われる。美麗なものを少数並べただけの貝殻収集とは一線を画しておられたことが良く分かる。
 (3)産地の網羅性:産地が多いことも特徴であり、730地点に達する。日本国内は北海道から沖縄まで全ての都道府県の標本があり、特に和歌山、奄美、沖縄、千葉、神奈川が多い。さらに、海外調査をされていたことから、ご自身で採集されたものが多く含まれる。特に、フィリピンが多く、タイ、パラオ、グアム、ヤップ、トンガ、オーストラリア等の標本がある。現在では標本の輸出許可を容易に得られない国が増加しているため、貴重なコレクションである。
 (4) データの信頼度:ご自身が採集された標本は、採集地と採集年月日が詳細に記録されている。採集の期間は1949年8月から2012年9月であり、63年間に及ぶ。コレクションの科学的価値は採集データの精度によって決まるが、間違いなく科学的価値の高いコレクションである。他人を経て入手された場合は、入手先が必ず記録されている。
 (5)ラベル作成:収集者の性格はラベルに如実に現れる。速水博士の場合は、緻密な性格をお持ちであったことがラベルから明らかである。ラベルは全てワープロで印字されラミネートフィルムでコーティングされており、手書きの原ラベルがある場合も全て保存されている。ラミネートされたラベルは折れ曲がることがなく、印字が消える恐れも無い。ここまで完璧なラベル作成は他に例を見たことが無く驚異的である。このようなラベルを作成するには相当な労力が必要なはずであり、これは定年退官後にご自宅でこつこつと作成されたものであると伺った。
 速水コレクションはご自宅にあり、ご逝去の後にご遺族から寄贈された。驚いたことに、死後博士の所有物についてどのように処理するべきかということが仔細にメモされて残されており、貝類については博物館の佐々木に相談することと書かれていた。佐々木は速水博士の生前にご自宅にお招きいただきコレクションについての様々なご説明を受ける機会があったが、これはご寄贈の準備段階であったことに後になって気がついた次第である。
 速水博士が研究された化石や現生種のうち出版物に使用された証拠標本は出版時に博物館に登録されており、未出版の標本もご逝去の後にご遺族から博物館に寄贈され、速水コレクションは全て博物館に収蔵されたことになる。専門分野における膨大な研究業績に加えて、質量ともにレベルの高いコレクションを構築され、立派な足跡を残された。研究者として目指すべき理想像の一つである。



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図1 速水コレクション中の標本の例. イタヤガイ科. A ナンキョクツキヒ 南極 ロス海 69 mm. B コガタツキヒ フィリピン マクタン島 54 mm. C シロチョウニシキ オーストラリア ブルーム 50 mm. D コブナデシコ フロリダ 51 mm. E アザミニシキ フロリダ 23 mm. F ナナスジニシキ ノルウェー 38 mm. G セキトリニシキ パキスタン 129 mm. H メキシコキンチャク メキシコ 148 mm. I カスリヒオウギ パラオ 52 mm. J チョウセンニシキ 津軽海峡 40 mm. K シゼツホタテ 沖縄本島 32 mm L オオハリナデシコ 相模湾 26 mm. サイズは殻高.