東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime26Number2/3



研究紹介
博物館工学

森 洋久 (本館准教授/情報工学)

 「博物館工学」とは、1996年より総合研究博物館の助手時代に自分の肩書として名刺に書いていた専門分野である。1999年の10月に国際日本文化研究センターの准教授になってしばらくの間は使っていた。2000年になったころか、たまたま、上京し、総合研究博物館の西野嘉章氏を訪ねたとき、彼から「『博物館工学』という言葉を私にも使わせてくれないか」と打診された。「言葉は一人歩きしてこそ言葉であるから、いろいろと使ってください」と快諾した覚えがある。その後、MT研(ミュージアム・テクノロジー寄付研究部門)創設など、多岐に渡って展開され、一種、総合研究博物館の基盤的概念に発展させていただいたことは誠に光栄である。「博物館」と「工学」がなぜ結びつくのか、そして、「科学」ではなく、なぜ「工学」なのか、二十年余り経った今、ここに書き殴っておこう。
 私はもともと数学が好きな少年だった。小学生の時には微分方程式を解くこともでき、ケプラーの三法則からニュートンの重力方程式を導出したりして遊んでいた。一方、小学校で教わる「算数」という教科は、幼い私の目には奇異な教科のように映った。「1,3,□,7,9,…」 という列があったとき、□に入る数は5だと答えさせられた時、なんで、隣り合う数の差が2であると言えるのかと先生に噛み付いた。「万物は数」であり、森羅万象はシンプルな法則から導出される、しかし、その法則は人間が決めるものではなく、人間を超越したところですでに決まっている。すべての学問の基盤、最も純粋な科学である数学、少年の中にある科学はこれだった。
 中学生になると、技術の時間に電子回路なるものに出会った。教材の、スーパーヘテロダイン・5石トランジスタ・ラジオ・キットを卸している店を技術の先生から聞き出し、お店に談判して、余剰のトランジスタを百数十個もらってくることに成功した。それらを組み合わせ、記憶機能をもった簡単なデジタル制御回路を作った。その経験から、音楽を奏でるコンピュータ、つまりデジタル・シンセサイザーをつくることができるはずだと考え、コンピュータへの興味を膨らましていく。しかし、純粋科学から離れていく気分に罪悪感を覚えた。唯一の頼みのつなが、数学と並ぶ万物の根源である音楽からの動機であった。
 数学は、その真理は人の主観によらない。電子回路の動き自体も、数学と物理学の原理によるものであるから、同様に人間の主観によらないはずだ。しかし、出来上がったものをなにに応用するか、何のためにそれを作るのか、工学的モチベーションは人間の主観である。社会のため、自然界のため、と言ったとしても、その「ため」が問題なのだ。
 しかしなぜ、ギリシャ人は、音楽を万物の根元と考えたのだろうか。ディドロは、『俳優に関する逆説』で、偉大な俳優は、洞察力と無感受性によって演技をすると指摘している。つまり、演劇では、自分の奥底から溢れる欲求を理性によって抑え、制御しなければならない。そこから推察するに、対立的に、音楽を奏でる欲求は理性を解さなくても、それ自体で成り立ちうるのかもしれない。音楽は主体となる人の主観を超えているのだろうか。
 1988年、本学の理科二類に入学した。ここは、生物化学系と一応はうたわれているが、努力次第で、理工学系や医学系、文科系の学科へも進学が可能である。大学入学時点で、自分の行く末決められなかったこともこの類を選んだ理由であるが、一方で、私としてはあまり追求をしてこなかった生物化学系へ、生物化学の知識がなくても入学できるというのも魅力的であった。数学や物理学は論証的である。一方、生物系は記載的である。対象を記載することによって世界の真理に近づくという方法論である。必然的に対象世界には記載されたものと記載されていないものが存在する。記載されていないものが発見されると、それらは観察され記載される。誤りが発見されるとそれは訂正され、注意深く、過去の科学者の主観は取り除かれていく。この連綿とした記載の連鎖によって、記載全体は科学的真理へと漸近する。
 大学に入り、数学や物理学に代表されるような論証科学と、生物学に代表される記載科学という対立的な概念に出会ったのだ。だが、驚くべきことはここからだ。後々、和算という数学の一分野はまさにこの記載科学であるということに気づいた。和算は、中国の算術をベースに日本で発達した数学である。その意味で、論証的方法論をとる西洋数学とは異なることはいうまでもない。和算家は数学の難しい問題を解くことができるとそれを扁額に記載し神社に奉納する。このような和算の扁額が日本各地に残っている。江戸時代の末期、和算家 建部賢弘らは、円周率を級数展開で求める方法(図1)にまでたどり着く。西洋数学においては、解析学的な手法で円周率を求める級数を得る。しかし、このような解析学的な方法では、その級数が幾何学的にどのような意味を持っているのか一見わからない。一方で和算家の編み出す級数は、細かい正多角形で近似された円から導出された級数であり、結果は解析学によるものと同じなのだが、その級数が幾何学的な意味を持っているのである。解析学的には、円周率という記号の言語として、級数は与えられるが、ほぼ、そこまでである。一方、和算における級数には、さらにその指示対象として幾何学的な円、もしくは、円に漸近する正多角形が背後にある。
 ミシェル・フーコーは、自然そのものを記載する科学、つまりは生物学などの前駆体としての博物学を、自然の連続性と錯綜状態を秩序正しく文節化するための諸特徴についての学問と称し、可視的な対象に名を与える作業と位置付けたが、この和算における扁額は、まさに、数学の博物学といえよう。一転、18?19世紀の西洋における物理学に目を転じれば、実は、類似の様相が見えてくる。この時代、多くの物理学者が、光とはなにか、音とは何か、陰極線とはなにか、電気とは何か、というように、物理学的な記号とその記載に挑戦している。様々に観察される自然現象を命名し、そのメカニズムを記述する。しかし、連綿とつづられる膨大な記載の大部分は、ある時、ニュートンの重力方程式とマックスウェルの方程式という、ほんの数個の式に収斂してしまう。さらに、そこからこぼれ落ちる記載も20世紀初頭、アインシュタインの相対性理論によって回収される。最終的にシンプルな真理に縮退するというのが論証科学の最も美しい形式であるのだが、そこにいたる道筋は、実に記載科学のかたちなのである。無論、古典物理学からさらにこぼれ落ちる現象が見つかり、つまりは、現代においても、記載の科学としての物理学は続いているといえよう。
 西洋数学におされ、脇役となってしまった和算であるが、この、記載的方法論のもつ幾何学的リアリティーには驚かされた。私が幼少期に奇異に感じた算数が、和算を基盤に構成された教育であると考えるならば、その奥深さを初めて知ったのであった。
 ヒトゲノム計画が1990年に始まる。その時、私は大学二年生だった。これからは分子生物学の時代だ。そういう、生化学系にある種の高揚感のあった時代だった。分子生物学の講義の講師であった馬渕一誠氏から生物学へ進学しないかと誘われた。「コンピュータなんて作ったらできてしまうものだと思う。生物の世界は、いまだかつて誰も知らないものを追い求める世界だよ…」と。そのときもだいぶ進路について迷っていた。ワトソン・クリック・モデルという生物学のセントラル・ドグマからはじまる分子生物学の登場は、生物学を記載科学から論証科学へと転回させる出来事だ。しかしそれは、物理学のように、膨大な進化論の記載が縮退を起こし、シンプルな真理へと転回するわけではなさそうだ。あるいは、数学のような純粋科学へと転回されたということでもないだろう。むしろ、細胞分裂や、細胞の様々な機能が、遺伝子や代謝系による化学的変換の連鎖として解釈される様は、細胞をコンピュータとしてとらえ、代謝経路をアルゴリズムとして捉える世界だ。生命を機械として工学的世界へと転回する出来事と言った方がよい。
 デカルトは純粋数学を基盤として全ての学問が立ち現れてくる様を想像した。しかし、現実は違った。生命の世界を捉えようとするならば、あまりにも純粋数学とはかけ離れた工学の世界へと吹っ飛んでいってしまう。ふと、アインシュタインの言葉が思い浮かぶ。「数学は処女のように美しい。だが、子供を産まない。」この宗教的逆説を含む名言は、数学と他の学問の本質的な違いをよく言いあてている。処女マリアは子供を産む。そして生まれた子は、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」(マタイ10.34)と言いはなった。アインシュタイン(図2)の言う数学以外の学問の姿とは、こういうものかもしれない。
 馬淵氏には「確かに生物学的真理は美しいし、惹かれる。しかし、なぜか自分は、人間の主観の蠢く学問へ行くべきなのかもしれない。」と言って、私は情報科学科へ進学した。それが馬渕氏とお会いした最後だった。2008年、下村脩氏がノーベル賞を受賞した時に、ある番組で馬淵氏がその功績について解説をされていたのを見て懐かしかった。
 18世紀の啓蒙主義の時代のうねりのなかで、博物学の誕生と発展は、人間と自然の、神学からの解放の歴史としてみることができる。それまでの宗教的なストーリとしての「主観」からの脱却の歴史である。現代における生物学や生命科学は、生命の分類手法に博物学の片鱗を残しつつも、人間の主観は丁寧に排除されたと考えられている。そのように考えられているから、科学が現代社会においてオピニオンリーダとして常に現れ、我々はそれを参照して行動している。一方で、現代における諸科学は工学なくして成り立たないことはいうまでもない。昨今人類を悩ましているパンデミックに対して、ワクチンの開発・製造技術、ロジスティック、検査体制、統計情報、どれをとってみてもそれは工学の塊である。現代人は、科学と工学をふんだんに駆使し、黒死病の時代や、スペイン風邪の時代とは明らかに異なる時代を築き上げようとしている。しかし、その新しい時代が、黒死病やスペイン風邪に続く時代より良い時代になるのかどうか、誰も答えられない。科学における客観性の「穴」というべきものだ。その「穴」の立役者が工学である。
 工学は、ともすると、利便性の追求や、現在の利益に走りがちである。さらには人間の欲望のエンジンとなり、それが自然界のバランスを崩すまでに至っている。では、工学的発想だけがなければ良いのか。しかし、現代の科学が工学がなければ成り立たないことは見ての通りで、工学と科学は不可分なのだ。となれば、人間が人間性を取り戻すための工学というものがあるのではないか。人間性とは主観である。人が失ってはならない主観である。
 1996年、総合資料館から改組するにあたり、『資料館ニュース』という冊子のタイトルをもっと気の利いたものにしたいという話が持ち上がった。そして、館内の教員からタイトルを公募することとなった。私も一晩二晩考えて二つの案を出した。一つ目の案は『ニュースの森』、もう一つは、『ウロボロス』という案である。おそらく西野氏が考案したイコノグラフィーだと思うが、今もそうであるが、総合研究博物館のロゴがウロボロスである。単純にそれをタイトルにしただけなのだが。
 現代の工学に立脚した科学を追い続ける科学者は、自然を問い続けるだけでは不十分である。そのプロセスの中で人間性を取り戻すための科学とは何か、常に自分の尾を追いかけ、齧り続ける運命にある。


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図1 建部賢弘の級数から円周率を求める.『綴術算経』(1722年).

図2 伝アインシュタイン・エレベーター.理学部旧1号館にあったエレベーター.自由落下するエレベータから着想を得たとされる一般相対性理論はたくさんの子を産んだ。身近なものでは,スマートフォンの位置測位システムが一例で、現代人は一般相対性理論無くしては,デートの待ち合わせすらできない.