東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime26Number1



研究紹介
東京大学総合研究博物館の魚類コレクション
−魚類の多様性を調べるということ

小枝圭太(本館特任助教/魚類学)

 海のなかでもっとも種の多様性が高い生き物は何だと思いますか?答えは魚類、と多くの方がイメージされるのではないでしょうか。正解は貝類です。意外に思う方もいるかもしれませんが、国内という範囲でもみても魚類の種数は4,607種(2020年5月27日時点)、貝類は8,000種以上といわれていますから、ほぼダブルスコアをつけて貝類の種の多様性が高いといえます。では、なぜ多くの方が、多様な海の生き物としてまっさきに魚類を思い浮かべるのでしょうか。
ひとつは彼らの姿形、生きざま、棲んでいる場所といった彼ら自身の多様性の高さが考えられます。みなさんご存じの最大種のジンベエザメと最小種のゴマハゼでは数百から一千倍も大きさが違います。チョウチンアンコウのように丸い種から、チンアナゴのように細長い種まで全く違った姿をしています。トビウオのように海から飛び出したかと思えば、ムカシウナギのように約2億年もまえから深い洞窟のなかでひっそりと暮らしてきたものまでさまざまです。進化の歴史のなかで彼らが長い時間をかけて獲得した突拍子もない姿や生き方は、ときに私たちの想像のはるか上を飛び越えるような驚きを与えてくれます。
もうひとつは彼ら自身の多様さにも起因することですが、採り方、採れる時期、食べ方、美味しさ、といった点など、食を通じた人間との関わりの多様性の豊かさではないかと思います。長い人類の歴史のなかで、人は穀物を育て、野菜を育て、家畜を育て、受け継ぎ、改良していくことで、より安定して食を得ることができるようになってきました。しかし、どうでしょう。スーパーマーケットに並んでいる生鮮食品のうち、魚だけはほとんどが野生のものを採って売られています。一般食としてだけでなく、ときには贅沢として、または儀式として、さらにはダシや魚?などの調味料、農作物の肥料にいたるまで、魚類と人は極めて多様なかたちで関わってきたのです。
それでは、その多様なかかわり方をしてきた魚類について、私たち人間がきちんと知っているかというと、そうでもありません。多くの生き物が暮らす海の生き物としては比較的、研究の進んだ分類群であることは確かです。それでもなお、ヨコヅナイワシという生態系の頂点に君臨する大型の種が東京から目と鼻の先にある駿河湾から新種として発見されたように、すぐ目の前の海にですら、どんな魚類が暮らしているのかわかっていない現状です。そして海にはもう一つ、大きな問題がおこっています。それは皆さんもよくご存じの地球温暖化による海水温の上昇です。私たち恒温動物とは違い、魚類のほとんどは体温の調節機能がない変温動物であるため、水温の上昇の影響をもろに受けることになります。するとどういうことが起こるかというと、いま分布している場所にいられなくなる、もっと暖かい場所からきた別の種が増えてくる、といった現象があちこちでおきてきます。私たちがまだまだ知れていない海のなかが、静かに移り変わっているのです。そんななかで、私たちができることは、今ある自然を切り抜き、保存し、伝える、まさに博物館がおこなっていることなのです。東京大学総合研究博物館はそのことを日本でもっとも古くからおこなってきた機関であり、国宝級ともいえる標本や資料の数々が収蔵されています。
当博物館には動物部門(現在は理学部)に所属する魚類標本コレクション(ZUMT: Department of Zoology, The University Museum, The University of Tokyo)と水産動物部門(現在は農学部)に所属する魚類標本コレクション(FUMT: Department of Fisheries, The University Museum, The University of Tokyo)が収蔵されています。
動物部門の魚類コレクションZUMTの歴史はきわめて長く、古くは日本の魚類学の礎を築いた田中茂穂先生が1904年に東京帝国大学を卒業したのちに全国、さらには世界中から魚類を収集したことに始まります。標本台帳(図1)をみていると「見たことがない魚が採れたので送ります。なんという魚か教えて欲しい。」といった手紙がはさまれたものなども散見され、当時、日本でもっとも魚に詳しかった田中先生と各地方の魚好きの方との熱量ある交流が伝わってきます。また、今のようにインターネットも日本語の文献もないなかで、こうした交流のある方々から田中先生が教わった地方名が現在の標準和名のベースにもなっているという点においても、まさに近代の日本の魚類学はこのコレクションから始まったといっても過言ではないでしょう。その後、田中先生の弟子であり日本のハゼ学の創始者である冨山一郎先生、フグ類の分類などで数多くの業績をあげられた阿部宗明先生によって歴史は綴られることになりますが、戦後、冨山先生は東京大学の三崎臨海実験所に、阿部先生は農林省水産試験場へと移られました。その後は、冨山先生の弟子である富永義昭先生が家業である海運会社で代表取締役あるいは社長として働かれる合間に、理学部の非常勤講師としてハタンポ科などを中心として1990年頃まで魚類コレクションを管理し、研究を進められました。これまで蓄積された標本は約60,000点にも及びます(図2)。その後は魚類の専任教員のいないなかで、部門主任の上島 励先生と富永先生に師事した藍澤正宏さん(元宮内庁)と坂本一男さん(おさかな普及センター資料館)が研究事業協力者としてコレクションの維持作業をしてくださっています。現在は外部の研究者や学生ボランティアたちの手も借りながら保存液や瓶の交換をする作業や、コレクションの現状を整理した標本リストを作成する作業を進めています。
一方、水産動物部門の魚類コレクションFUMTにおいてもその歴史は古く、標本台帳をみるかぎり最も古いもので1902年に採集されたものが保存されています。とりわけ古い標本には北日本や朝鮮半島の魚市場で得られた水産種の標本が数多く含まれており、標本台帳に記録はないものの、これらの標本は1908年に東京帝大農科大学水産学科第一講座(現水産資源学研究室)の教授に任命された岸上鎌吉先生によって収集されたものであると推察されます。また、標本だけでなく岸上鎌吉先生が比較解剖学的研究をおこなった際に作成した詳細な解剖図の原図や水産学の講義に用いた掛け軸(現在でいうところのパワーポイントスライド;図3)など貴重な資料の数々が保管されています。その後は、20世紀初頭にイカ類を専門とされた石川 昌先生をはじめ、農学部水産学科で長く教鞭をとられた檜山義夫先生、同じく農学部の水産資源学研究室でサメ・エイ類を専門とされた谷内 透先生、博物館で助手を務められた望月賢二先生などの先生たちによって国内外から幅広く、実に様々な標本が収集されてきました。これまで蓄積された標本は10,000点以上になり、そのなかには模式標本だけでなく、谷内先生らが世界各国で収集してきた大型のサメ・エイ類200点や大陸の淡水魚など現在では入手が困難な標本も数多く含まれています。現在は、水産資源学研究室の高須賀明典先生、山川 卓先生、当博物館でも勤務された黒木真理先生により管理されています。当博物館の標本室(図4)では標本収蔵スペースが飽和しているため、サメ・エイ類を中心に標本群の一部が農学部の地下標本室にほぼ手つかずの状態で保管されているなど、取り組むべき課題があります。
とりわけ大学博物館の収蔵標本については、教員の入れ替わりや専門性の推移、また収蔵スペースや建物そのものの都合により、管理が難しくなる例が日本中でみられます。特に魚類標本の場合は、その多くがエタノールなどの液浸標本であるため、定期的な管理が必要となります。しかしながら、冒頭でも述べました通り、標本コレクションは生物の過去から現在の記録そのものであり、一度失われれば二度と同じものを再現することができないものです。当博物館においても、どのようにしてこれら魚類コレクションを永続的に維持、管理していくかを検討し、新たな管理体制の構築を進めていく必要があるといえるでしょう。



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図1 田中先生が作成したZUMTの標本台帳.外国と対比して内国と書かれている.

図2 ZUMT標本室の様子.分類群順に整理されているが,瓶が割れているものもある.

図3 水産学の授業で使用されたと思われる掛け軸なども保管されている.

図4 FUMT標本室の様子.目的の標本をすぐに見つけ出すのは難しい状態.