東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime25Number3



特別展示『疎と密 -- 音景 x コレクション』
解放される休符 について

森 洋久(本館准教授/情報工学)

 数年前から見えないものの展示をしてみたいという思いがずっとあった。たとえば、数学展のようなアイディアなどが浮かんでは消えた。数学という分野を俯瞰してみると、幾何学のような見える世界をフィーチャした分野の一方で、代数学のような抽象的な世界もある。このような具象的な世界と抽象的な世界を行ったり来たりすることによって、神の領域とも言えるような定理に到達する学問が数学である。しかし、展覧会に「数学」というテーマを与えてしまうと、その瞬間<見える>展覧会となってしまうのである。テーマ設定、事物の間の相関関係、通底する歴史や思想、研究たるものこうあるべきという外圧から品物を解放し断ち切っていくことはできないか。無関係性への解放に満ちた展覧会を繰り広げることはできないだろうか。なぞらえていうならば、シェーンベルクの十二音階技法のように、自分の意識が既存の音階の方向へ向いていかないように、あえて既存の音階とは異なる音程のルールを設け、丁寧に自分の作曲所作に亀裂を加えていく方法はないか。そのような思いを巡らしながら辿り着いた構想が、特別展示『疎と密 -- 音景 x コレクション』である。

 特別展示室に入ると闇である。来館者は立ち止まらざるをえない。徐々に青い光が空間を覆い始め、中央に五つのガラスの列柱が浮かび上がる。しばらく青い世界が続いたあと、青い光はやがて弱くおちつき、変わって、幻想的な白色光の光で包まれる。五つのガラスの列柱には、手前より、独特な光沢をもつ「ラスター彩把手付壷」、その向こうに「オイレウスフクロウチョウ」と「コノハチョウ」、さらに、「鳥像付き双胴笛吹きボトル」「蓄音器」「パラサイト隕石」と続く。天井からは四十八個のスピーカが吊り下げられており、ここから、北海道札幌市郊外にある国営滝野すずらん国立公園の鱒見の滝の音が流れ出る。会場の向こうには宇宙船のような加速器が横たわっている。滝の音とラスター彩にどのような関係性があるのかと考えても無駄である。コノハチョウと隕石の関係性も見出すことはできないだろう。しかし、滝の音を聞きながら展示物を眺めていると、その両者が体の中で自然と一体化してくるのである。一方で、時々、蓄音器や笛吹ボトルが鳴り出すと、かえって驚きを覚える。この無関係性の空間のなかで、一度、なにかを考えようとする行為を停止してみてはいかがだろう。

 作曲家ジョン・ケージが、1952年に『4'33''』という風変わりな曲を発表している。三楽章からなる曲で、すべての楽章が休符からなる曲である。どのような音楽にも普遍的に存在する「休符」という音楽の一要素は、単に音がないことを示しているのではない。聴衆は演奏家のある種のリズムを感じるかもしれない。あるいは、会場の内外の様々な音を聞くかもしれない。あえて休符のみを残したこの曲は、「無」や「休」ではなくそこには無数の音楽があるのだということを主張している。その無数の音楽たちは、『4'33''』の周りに勝手気ままに立ちあらわれ、どこまでも広がっていく。その音楽たちをわざわざコンサートホールで聴く必然性はない。街へ繰り出し、野山をかけめぐれば、そこには多数の『4'33''』が存在する。
 ここから、自然の音や身の回りの音へ回帰する考え方が生まれ、それがやがて、サウンドスケープ=音景の考え方となっている。

 展示物に混じって会場のそこかしこにdataと呼ばれる人形が置いてあったり、小さなプロジェクターで投影されている。このキャラクターの生みの親は、総合研究博物館改組まもなくの『東京大学創立120周年記念 東京大学展』にて出会い、ありとあらゆることについて語り合ってきたクリエイティブディレクターの齋藤俊文である。かつて、彼と私とでてがけたショウにはいつもdataがいた。dataは、互いにぶつかりあうことにより生み出され、すれ違うことでやがて消えていく。ひとりきりになった時世界は終わる。少なくとも、二値化された、つまり、デジットでないと成立し得ない現代人の憂鬱、あるいは無関係性への恐怖のようなものを表している。

 闇の世界からはじまるこの展示の照明の背景には、展示ケースやキャプションに組み込まれた三百数十個のLEDを個別にコントロールす技術がある。さらに、天井に吊られたスピーカと4台のセンタースピーカは、これらのLEDと同期して音が出力される仕組みとなっている。LEDとスピーカは、会場の天井や壁面に縦横無尽張り巡らされたネットワークによって結び合わされ、来館者の予約時間枠に合わせて中央制御室からリアルタイムコントロールされる。閉ざされた演出空間と捉えることもでき、その意味では、コンサートホールから解放されていく『4'33''』とは対立的な空間なのかもしれない。博物館という機能は、自然や文化がそれ自身のあり方で存在していたとこから、「採集」「蒐集」によって、事物を切り出し保存する機能である。その機能はある意味、"不自然"であり、"強制的"なのかもしれない。だが、一方で、対象に与える、このあり方の変更によって、自分自身のあり方で存在していた時には気づかなかった何かを見せてくれる。

 デジタル技術を駆使した展示は、最近ではそう珍しいものではない。プロジェクションマッピングなどといったキーワードはイベントでは当たり前と言ってもいいだろう。しかし、そのほとんどが映像技術であり、展示物ひとつひとつと協働的に作動するデジタル技術というのはいままでなかったのではないだろうか。たとえば、前後それぞれ4つ合計八個のLEDが組み込まれた昆虫標本箱によって、資料をピンポイントでいろいろな方向から照明する仕組みである。展示物の性質、大きさによってきめ細かくLEDの配置や大きさ、色を適切に選んでいくというのは、全てが縦と横のピクセル数に還元してしまう映像技術とは異なり、実空間の理解から始まる高度で複雑な技術である。天吊りスピーカの場合も、対照的な音空間でダイナミックな音を作り出すサラウンド技術とは異なり、空間を歩く閲覧者や、設置されてある展示品の位置に合わせて、適切に音を配置していく非対称な技術である。我が博物館のような研究博物館が実践していくデジタル的取組みがあるとするならば、プロジェクションマッピングのようなデジタル技術ではなく、このような研究資料の個別性にフィーチャしていくようなデジタル技術への取り組みであろう。

 ところが、このような個別性、非対称性の高い技術を一つの展示にアプライしていく作業はとても大変な作業である。構想したのは去年の夏頃であるから、かれこれ、一年たつかたたたずやである。展示品や空間に合わせて木材やアクリルを切り出し、それを丹念に組み立てていく作業が延々と続くプロセスである。最近は、設計通りに材料を切り出すレーザカッターや、三次元に形状をモルディングする三次元プリンターといったものを、我々のような者に提供するファブが街中に多数存在しており、これは物づくりに革命をもたらしているといえよう。これら切り出された材料を組み立て、四十八個のスピーカや昆虫標本箱、あるいは、ガラスの列柱の照明器具を作ったのは、二十数人のヴォランティアたちである。黒のペンキを塗ったり、半田付けを行い、天井に配線を通す作業などが続いた。リズミカルに鳴る工具の音、繰り返される単純作業がヴォランティアたちをある境地に誘う。あるヴォランティアは、これは舞踊であると言い、別のヴォランティアは無我となった。ヴォランティアたちが行っていたことは単なるものづくりではない。標本を納める箱や道具の構造や裏側を体験していると言える。これらの道具の裏側には、特に展示期間中に故障した場合どうするかを顧慮した設計が施されている。このような冗長な工夫は、展示が始まってからではみることができないから、裏側をいろいろ眺めていて、工学的解剖学のように楽しんでいる人たちもいた。ある意味、今回の展覧会は別の形で一年前からすでに始まっていたともいえるかもしれない。

 作業は徐々に終盤となり、はしごは片付けられ、養生は外される。会場は、やがて本番仕様となり、システムはスタンバイする。ヴォランティアは一人帰り、二人帰り、いなくなった。そして、特別展示の幕が開け秒読み段階へと入る。「作業ライトダウン」「システムスタート」。漆黒の闇から、青い光が立ち上がってくる。徐々に数を増す光には、それは観る人の脳裏の作り出した想像かもしれないが、ヴォランティアの舞踊する人、無我の姿が蘇ってくる。天井からの滝の音から、工具のリズミカルな音が蘇ってくる。さらに、想像は「闇」=「休符」から解放され、やがて照らし出される品々の中にも多彩な人物が見えてくる。ラスター彩のろくろを廻していた陶芸家はどんな人だったのだろうか。鳥像付き双胴笛吹きボトルを吹いていた人たちは神官だったのだろうか。パラサイト隕石を発見したのは意外とこどもだったかもしれない。蒐集されたコレクションはそれ自身の生命を取り戻していく。ヴォランティアが一体となって展示会場を作ってきたように、事物を収集し、研究した人物がいて、稀有な運命と人々の連鎖の果てに、私の目の前にこの展示品たちがいるのである。見えないものの展示とは、これらの品々に関わってきた人々のことだったのかもしれない。

 現在のコロナ感染症の中、最初のオープンは学内限定の予約制となりそうである。そのような中、展示の様子やサウンドスケープ、あるいは、ヴォランティアたちのメイキングなどの情報をアーカイブしたヴァーチャルミュージアムをウェブで公開している。展示期間中も情報を増やしていく予定でいる。

特別展示『疎と密 -- 音景 x コレクション』HP

http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2021SparseAndDense/index.html


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写真1 展示会場全景(闇から立ち上がる空間).

写真2 天井から見下ろした展示会場全景(ヴォランティアの製作したスピーカと機材が見える).

写真3 滝のイメージの画像エフェクト(松本文夫).