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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime22Number3



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「雲の伯爵」の行方―気象学者阿部正直の資料から

大澤 啓(本館インターメディアテク寄付研究部門特任研究員/美学・美術史学)

 去る9月22日にスウェーデンのウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」で特別展示『雲の計測−阿部正直が見た富士山』がオープンした。日本とスウェーデンの外交関係樹立150周年を記念する学術事業の一環として、2014年に総合研究博物館に寄贈された阿部正直(1891-1966)の気象学資料を紹介するものである。
 1926年から1941年まで富士山の山頂に発生する雲を絶えず観測し、当時急発展していた写真及び映画技術をもって記録し、さらに風洞実験などを通してその生成過程を再現した阿部正直の遺産をウプサラで展示することには、国際学術交流の範囲を超えた深い意味がある。なぜなら、1896年にパリで出版された世界初の『国際雲図帳』の著者の一人が、ウプサラに拠点を置いていた気象学者ヒューゴ・ヒルデブランド・ヒルデブランドソン(1838-1925年)であるからだ。
 アマチュア気象学者リューク・ハワード(1772-1864)が雲を四つに大別して以来、雲の普遍的な分類方法が求められていた。1894年に『クラウドランド−雲の構造と特徴について』を出版し、雲の生成と気候変動を関連付けたウィリアム・クレメント・レイ(1840-1896)は、比較研究の題材となり得る、いわゆる「雲の標本」が安定的に存在しないことを問題視していた。そこで三つの高度による十種類の雲の分類に務めたのが、世界各地における雲の共通性を証明するために二回も世界中を調査したラルフ・アバークロンビー(1842-1897)と、ウプサラ市の著名な気象学者ヒルデブランドソンであった。ヒルデブランドソンは、スイス人アルベルト・リッゲンバッハ(1854-1921)とともに雲の分類研究に写真撮影技術を応用したが、『雲図帳』では雲の各種類を代表するいわゆる「タイプ写真」の撮影にとどまっている。阿部正直の最大の貢献は、典型的な雲の撮影だけではなく、雲の生成過程そのものを継続的に撮影したことにあるだろう。また、彼が使用した撮影技術は写真にとどまらず、連続写真や映画、さらにはステレオ撮影にまで及んでいる。
 阿部正直の功績と膨大なアーカイブを網羅的に紹介すべく、ウプサラでは観測写真のゼラチンシルヴァープリント、観測ノート及び日記、観測撮影機器、研究資料や出版物を展示した。会場は1620年代にウプサラ大聖堂の真向かいに建てられ、三世紀に亘って増築された名建築物「グスタヴィアヌム」の三階に位置する企画展示室である。
 一方、10月27日にドイツのニュルンベルク新美術館で開始した特別展示『茶室の建て方−日本の美学への誘い』では、阿部正直が撮影した映像をもとに制作されたインスタレーション『クラウド・ボックス』が会場内の空中に浮いている。阿部正直が撮影した写真及びフィルムは、気象学観測資料として学術的な価値を有すると同時に、美学的に類のない先駆的な写真映画アーカイブでもある。戦後、デュッセルドルフ美術アカデミーにて「ベッヒャー派」と呼ばれる写真家たちが芸術目的で構想した「写真によるタイポロジー」は、阿部正直アーカイブそのものである。また、阿部正直は写真映画撮影技術に熱狂的な関心を抱き、観測研究の必要性に応じて新しい撮影・編集装置を次々と考案した。「クラウド・ボックス」を構想するにあたってこの技術的想像力を踏襲し、阿部正直の時代には技術的に不可能だった方法をもって、彼が撮影した約五百本の雲観測映像を再編集し、高さ3.45メートル、幅5メートルの四面のスクリーンから成るボックスを天井から吊り、そこに映像を繰り返し投影した。スクリーンの寸法が元の35ミリフィルムの百倍であり、その比率を維持していることから映像は完全にスクリーンに収まり、余白を残さない。来館者が「クラウド・ボックス」に入ると、富士山とその雲が四面に亘って空中に浮いている錯覚を起こす仕組みとなっている。このインスタレーションは、現在の建築及びデザインを通じて日本の美学を再考する特別展示の一環として公開されている。その文脈で、本インスタレーションを、日本の伝統的な概念である「借景」の現代的な再解釈として捉える来館者が多かった。会場となったのは、2000年に完成したフォルカー・シュターブによる設計のモダンな建物の2階企画展示室である。
 こうして、科学史から現代美術まで、ミュージアムにおける阿部正直アーカイブの様々な再活用方法を検証し続けている。

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特別展示『雲の計測−阿部正直が見た富士山』展示風景.
ウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」/2017年9月25日-2018年2月25日/主催:ウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」+東京大学総合研究博物館.

ヒューゴ・ヒルデブランド・ヒルデブランドソン『雲の分類』.
書物に写真16枚張り込み/初版1879年出版/ウプサラ大学バーリング社発行/ウプサラ大学図書館蔵.



映像インスタレーション『クラウド・ボックス』展示風景.
ニュルンベルク新美術館/2017年10月27日-2018年2月18日/主催:ニュルンベルク新美術館/写真撮影アネット・クラディッシュ ©Neues Museum Nűrnberg.