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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime15Number1



特別展
火星を研究する意味

小松吾郎(国際惑星科学研究大学院、千葉工業大学/惑星科学)
 火星は太陽系の中でも特別の惑星とされている。SF小説や映画でも火星を舞台にした話は月を除いた他の地球外天体に比べて圧倒的に多いのではないだろうか。惑星科学の分野でも火星研究者の数はとても多い。なぜなのだろう。
 やはり火星は地球に似ているというのが最大のポイントだと思う。大気は薄いが重力は地球に近く、温度条件も地球の極地に類似している。そして地球に似ているということが、生命の存在の可能性を感じさせるし、将来の人類の居住先として有力候補となることを示唆する。
 現在の火星は寒く乾燥しているが、おもしろいのはこの惑星の表層が過去に液体の水が流れるような環境であった可能性が強いことだ。これは火星の地表に地球の砂漠地帯で見られる河床跡に似た地形が多数見つかっていることからわかる。地球の歴史を調べると気候環境が一定していた時期はほとんどなく、たえず変化し続けていたことがわかってきている。現在よりもはるかに温暖だった時期もあれば地球全体が氷に覆われるような寒冷な時期もあったとみられている。その原因は実はよくわかっていないが地球の軌道条件、内部要因、他の天体との衝突、生命の進化など種々の要因が関わっているとみられている。われわれの住んでいる星の気候は基本的には不安定なシステムでありそうだ。
 地球気候の本質である不安定さはそのまま火星にも当てはまるかもしれない。なぜ液体の水も流れるような表層環境を持つ星が極寒の乾燥惑星になってしまったのか。現在の条件になるまでに膨大な時間がかかっており、たぶんその変遷も紆余曲折だったに違いない。現在を視点にして過去の環境を推察しようとする我々にとってその変化をとらえるのは至難の業である。それでも我々は知恵を絞ってなんとかなにが起きたのか、なんの原因で起きたのかについて迫ろうと努力している。火星の気候が不安定なシステムを持つことはまず間違いないが、地球のそれと比べてどうなのかも大事な視点である。この意味で火星は我々の住む地球を理解する上で、気候システムの変数を変えることのできる比較実験室と呼ぶこともできよう。
 火星の地表にその証拠が観察される地質プロセスも非常に興味深い。地表の変遷を考える時に地球と同じように火成作用、構造作用、風成作用、重力による物質移動、液体や氷の水の影響、さらに衝突クレーターの形成の影響などを考慮に入れる必要がある。おおよそ地球型惑星と呼ばれる、水星、金星、地球、地球の月、火星のなかでは地球に一番近い複雑さを持っているようにみえる。今のところはっきりした証拠がないのは生命が関わるプロセスぐらいであろうか。それゆえ火星の地史を考察するときに考慮に入れておかなくてはならないことが実に多く、単純ではないのだ。さらにそれらのプロセスの空間時間分布が多様であるがゆえに火星の地形の複雑さを引き起こしている。
 火星の地質プロセスは地球に似ているようで微妙に違うかもしれない。特に地球に比べて低温環境、薄い大気、低重力など、これらの変数は結果として地表の素顔を地球とはかなり違ったものとしてしまう可能性がある。軌道上の探査機からのリモートセンシング(遠隔探査)調査で、ある程度そのような違いはわかってきている。しかしながら地表数十センチメートルのものまで見える凄まじく高性能のリモートセンシングでも限界があり、やはり地表に降りて調べるということは大事だ。降りて近くから観察する、物質を直接分析してみるなどの作業があってわかってくることも多々あり、火星の多様な地表の素顔を知るのには現在まで人類によって調査された10点以下の着陸地点の数はあまりに少なすぎる。
 よくわからないのが火星の内部構造と、それに起因する地表の地質プロセスと気候条件であろう。地球よりかなり小さい火星の内部構造については地球のそれとはだいぶ違う可能性がある。火星の内部構造を知ることは逆に地球の内部の作用を理解する手がかりを与えてくれるに違いない。
 地表下数キロメートルぐらいまでの比較的浅い地下環境を知ることも大切だ。火星の場合、地表の環境が少なくとも我々の知るような生物の活動にあまり適していないため、地表の厳しい条件からかなり遮断されている地下環境のほうが生命やその痕跡発見の可能性が高いとみる見方も存在している。そのため将来の火星探査では掘削や地中レーダーを使った探査も考慮されている。実は地球の地下環境、とくにそこでの生命の生息状況についてももそれほど良くわかっているわけではない。地球でも地下はなかなか手の届く環境ではないからだ。火星でそのような地下探査ができれば地球や火星の岩石圏の条件や生命について理解が進むかもしれない。
 火星の大気中にメタンが見つかったという話はエキサイティングだ。まだ完全な確認はできていないという話もあるが、本当にあれば火星の魅力がいっそう増すはずである。というのもメタンは地球では生命由来のものが大きな比重を占めるので火星でもその可能性があることが一つ、メタンは強力な温室効果ガスなので大気中に大量にあると地表がかなり温暖化することがもう一つの理由である。第一の点はもちろん生命探査の観点からは最重要視されてしかるべきだが、メタンは生命の存在と関係なく生成されることもあるのでこの点は気をつける必要がある。第二の点も面白い。メタンが気候変動の大きな要素となりえるという点では地球でもその可能性が示唆されている。実際過去の気候変動でもガスハイドレートと呼ばれる氷に含まれる大量のメタンが大気中に放出されて温暖化が進んだというような仮説も提唱されている。火星でもそうだったのか?これは研究がいずれに明かすであろう。
 このように火星のことを研究することは地球圏外の天体の理解を深めるということとともに、火星と十分似た我々の住む地球の理解にもつながるという視点が大きい。これは地球のような惑星が宇宙の中で唯一かごく稀な存在であるのか、あるいは条件さえ合えば生命も含めた同じような進化をとげる可能性のある天体が他にありうるのか、という大きな命題に寄与する可能性のある作業なのだと思う。
 無人探査機群による探査を露払いとして人類自身もいずれは火星に到達するだろう。その時に目にする赤い惑星の素顔は地球を思い出させるのか、あるいはまったくの異世界と映るのか、あるいはその両方とも感じるのだろうか。今後の研究が大きな影響を及ぼすかもしれない。

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図1 火星の全体画像。NASA提供。