Profile
東京大学総合研究博物館小石川分館について
■小石川分館
東京大学総合研究博物館小石川分館は、1970年に国の重要文化財に指定された東京大学現存最古の学校建築〈旧東京医学校本館〉です。1876(明治9)年に東京医学校(東京大学の前身)の中心建築として本郷に創建され、その四面に時計を配した象徴的な塔屋、現状の倍近くの屋根・奥行を持つ、擬洋風木造二階建ての建築は、学内外のランドマークとして親しまれていました。1911(明治44)年、赤門の脇に移築された際に、塔屋は通気口へ、窓枠は西欧の古典主義様式風へ、手摺は日本の擬宝珠高欄形式風へと改造され、ほぼ現在のような姿となります。赤色塗装は、赤門や医学部煉瓦造校舎群との視覚的な連続性が意識されたことによると考えられています。1965年に本郷で解体、69年に「標本館」として小石川植物園内の現在地へ移築再建、2001年11月に総合研究博物館の分館として一般公開され、現在に至っています。
■常設展について
大航海時代の西欧諸国では、「驚異の部屋」と呼ばれる珍品陳列室が、王侯貴族や学者たちによって、競ってつくられたことが知られています。現在開催中の常設展示「驚異の部屋」は、このミュージアムの原点とも言うべき世界観を現代に再現しようと、博物館の収蔵品によって構成された展覧会です。人は誰しも生まれたばかりのときには、目に見えるもの、手に触れるもの、「世界」を構成するありとあらゆるものが「驚異」であったはずです。
このような「もの」をめぐる原初的な「驚異」の感覚は、体系的な知の体得へ先立つものであるとともに、新たな知の獲得へと人々を駆り立てる潜在的な原動力ともなっているものです。交通・通信技術の発達とともに地理的な「世界」が縮小されていく一方で、知の「世界」は加速度的に拡大され、高度に細分化され、その先端的な広がりの全貌を把握することは、もはや容易ならざることとなっています。このような21世紀という時代において、東京大学草創期以来の各分野の先端的な知を支えてきた由緒ある学術標本をもとに、「驚異の部屋」が構築されることは、次世代の知を担うべき人々にとっても、少なからぬ意義をもつことでしょう。大学の過去・現在・未来へ通底する学際的かつ歴史的な原点とは何なのかということが、本常設展示へ込められたひとつの問いかけでもあります。
■コレクションについて
展示コレクションとしては、国内有数の自然史標本に加え、お雇い外国人教師エドワード・シルベスター・モースの直弟子らの動物標本、薬理学教室の薬草標本、クランツ商会の古生物・鉱物模型、総合図書館の地球儀・望遠鏡、医科大学初代学長三宅秀の医学標本、数理科学研究科の数理模型、工部省工学寮ゆかりの工学模型・機器、そのほか本学の教育研究を担ってきた博士らの肖像、本学の教育研究の現場を支えてきた標本・図画・模型・機器・什器など、様々なコレクションがあります。