東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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旧東京医学校本館外観図

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 旧東京医学校本館(現東京大学総合研究博物館小石川分館)は、東京大学の前身にあたる東京医学校時代の建物である。
  安政5年(1858)5月創設の神田お玉が池種痘所は、同年12月の下谷和泉橋通への移転、万延元年(1860)の官営化、文久元年(1861)の西洋医学所、同3年の医学所への改称を経て、慶応4年(1868)に解散を迎える。
  新政府は明治元年(1868)6月に医学所を復興、同年7月に下谷和泉橋旧津藩藤堂邸に仮病院を置き、横浜病院の移転を決定、これを大病院とし、明治2年2月に医学所を合併して医学校兼病院とする。明治2年6月に医学校、12月に大学東校と改称、明治4年に東校、5年に第一大学区医学校と改称、明治7年5月に東京医学校となる。同年11月に本郷旧加賀藩邸への移転を決定、明治8年に着工、翌9年に一応の完成を見る。以上がこの建物の創建までの経緯である。
  明治10年(1877)4月に東京開成学校と東京医学校が合併され、東京大学が創設される。以後、医学部本部・病室をはじめ各種の用途に用いられる。鉄門の正面に位置し、四面に時計を配した象徴的な搭屋の存在から「時計台」と称され、学内・界隈でもよく目立つ建物だったという。
  明治44年(1911)に前半部が赤門脇へ移され、史料編纂掛(後半部は神田錦町の学士会館)の建物となる。この際の平面規模の縮小と共に、屋根の上の搭屋、車寄の上の手摺などの形状が変更され現在見るような姿となった。
  昭和3年(1928)以降は営繕課や施設部の建物となる。昭和40年(1965)に解体され、44年に理学部附属植物園(小石川植物園)内の現在地に再建され、45年に国の重要文化財の指定を受ける。以後、南側に広大な緑地を臨む都内有数の恵まれた立地を享受しつつ現在にいたる。
  この建物は明治初年の木造擬洋風建築特有の様相を残すと共に、東京大学の創立以前からの長い歩みを見守ってきた建物でもある。この点、初等中等教育を含む明治以来の各種の学校建築や学内各分野の標本・器材を展示する場所としての歴史的由緒にも恵まれており、大学博物館の分館として今後とも有効に活用していく必要がある。