東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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火星はなぜ赤いのか          宮本 英昭

 人類が火星探査機を通じてこれまでに取得することに成功したデータは,既に膨大な量に達しています.この展示会で展示されているデータは,そのごく一部でしかありませんし,膨大なデータの先には,奥深い火星科学の世界が広がっております.ご来館の方々の中には,単に画像や展示品を見るだけでなく,もっとその奥深さを覗いてみたい,このようにお考えになる方もおられるかもしれません.せっかく大学博物館にお越しいただいたのですから,是非より本格的な科学的側面もご覧いただきましょう.そのために読み応えのある展示図録を用意いたしましたので,ご興味をお持ちの方はこちらをご覧下さい.この場では多少背景をご説明いたします.
 一個の天体として火星をみるのであれば,火星の起源と歴史は既にそれなりに理解されています.火星は地球よりも小さいため,熱源となる放射性元素が少ないと考えられます.熱源の量が天体の体積に比例(つまり半径の3乗に比例)し,冷却の効率が表面積に比例(つまり半径の2乗に比例)することを考えれば,地球よりも火星の方が冷えやすいことが理解できます.早々と冷え切ってしまう火星では,大気を構成するための内部からの脱ガスは火星の歴史のごく初期に限られてしまいます.大気はその後,長い時間をかけて火星から失われてゆきます.火星は相対的に冷えやすいため,ダイナモ活動を維持できず,大気の散逸を防ぐ磁場が早くに消えてしまったかもしれませんし,そもそも地球より重力が弱いので大気は宇宙空間へと失われやすいでしょう.しかも火星は地球よりも少し太陽から遠いので,地表面で利用できる太陽エネルギーも小さくなります.大雑把にはこうしたことが原因で,大気が薄く乾燥凍結した天体となったと考えられます.
 しかし生命という側面で火星をとらえるならば,残念ながらこのような説明はそれほど役に立ちません.生命が誕生したのか,生き残ったのか,ということを考えるには,天体進化の意味では些末な,地表におけるさまざまな現象や,地域的な熱的環境を理解することこそ,むしろ重要な要素となるからです(地球大気が,生命活動によって,酸素を多く含む大気に完全に作りかえられたことを思い起こして下さい).これは当初考えられていたよりも,遥かに難しいようです.というのも,欧米を中心としたこれまでの火星探査で明らかにされた火星の姿が,予想をはるかに超えるほど複雑であったからです.この複雑な惑星を理解するには,それぞれ異なる時間スケールで応答する多層圏間(電離圏,大気圏,地殻,マントル,金属核など)の相互作用を総合的に把握する必要があるのです.
 この展示会で紹介されるMELOS火星探査計画のワーキンググループでは,この難しさを早い段階から認識していました.そしてこれをひとことで言うならば「火星がなぜ赤いか?という問に答えるのが難しいということだ」と考えています.もちろん火星が赤いのは表面に赤い砂や岩石が広域に分布しているからで,この赤は風化作用によって錆びた鉄,特に酸化鉄(赤鉄鉱)や水酸化鉄(ゲーサイト)であることは知られています.この風化物が地球のように深海底で形成された縞状鉄鉱床のようなものなのか,そうではなくて単に表面のごく薄い層のみが酸化しているだけなのかはわかりませんが,いずれにせよなぜ酸化鉄が存在しているのかといわれると,答えることは容易ではないのです.これは本質的には火星全体のシステムの進化,特に大気と固体の進化と相互作用が理解できていないからに他ならないと思います.
 表層を酸化させるほどに攻撃的な酸素を,火星大気がなぜ持ったか,そしてなぜ地表まで紫外線が降り注ぐ環境で二酸化炭素の大気が安定して存在しうるか,ということを理解するには,大気の形成史と進化,すなわち大気組成がどのように決まったのか,大気圧が火星史を通じてどのように変化し,気候がどのように変動したのか,などを知る必要があります.そのためには現在の大気の循環や散逸過程に加えて,大気への揮発性成分の流入を支配する固体火星の熱史や脱ガス史ついても理解する必要があり,それには内部構造が重要な手がかりとなるでしょう.さらに火星大気の歴史において固体表層との相互作用が重要な役割を果たしたことから,固体表層の進化についても明らかにしていく必要が生じます.
 現在検討が進んでいるMELOS火星複合探査計画とは,これら多層圏について,周回機で地表より上側の,着陸機では下側の素過程を中心に,火星の歴史を総合的に明らかにしようとする計画であります.火星を惑星システムとして理解するために,必要な全ての圏のデータを取得することを念頭に計画している点が,これまでの火星探査計画と異なる特徴的な点です.そしてこれこそが,地球外生命の有無という,惑星科学,いや人類の知的好奇心にとって最大級の問題に答えるための近道であると,私たちは考えているのです.

(本館准教授 固体惑星科学)


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