東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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写真:マーズ・リコネッサンス・オービター (MRO)に搭載
されているHiRISEカメラが撮影 した火星の表面(下4点)

火星―ウソカラデタマコト          宮本 英昭

 あなたは火星人が居ると思いますか?──いまから10年くらい前に,こう科学者に問いかけたら,きっといやな顔をされただろう.火星生命などというのはフィクションの世界の話であって,そのような問いかけは科学的でない,そんな風潮があったように思う.たしかに実際のところ,火星人は映画や小説などでしか話題にのぼらないし,そこでみる火星人は,冗談とも本気ともとれない奇抜な格好をしていたりする.しかしそうだとしても,火星人はどういうわけか世にお馴染みの存在だ.どうして金星人や木星人ではなくて,火星人なのだろう?

火星人の誕生

 ことの発端は19世紀後半の火星大接近にさかのぼる.このときミラノ天文台のジョバンニ・スキャパレリは,望遠鏡で火星を観察して詳しい火星の地図を作り上げた.物語はこの地図のささやかな誤訳ではじまった.火星表面に見られる筋のような直線的な模様を,溝などを意味する「カナリ(canali)」と名付けたのだが,これがフランス語や英語に翻訳されるときに,人工物の意味合いの強い「運河(canal)」と訳されてしまったのだ.火星に人工的に作られた運河があり,これが地球から見えるほどの大きさであるということは,火星人は地球人よりもはるかに進んだ文明を持っているに違いない….これを最も強く主張したのは,米国のパーシバル・ローウェルだ.彼は干ばつに脅かされた知的生命体が,極域にある水を都市に運ぶために巨大運河を作った,という仮説を発表し世間を驚かせた.
こうした背景の中で,H. G. ウェルズが火星人が地球に攻めてくるという小説「宇宙戦争」を発表する.これは世界的にも大きな反響をひきおこした.その後もこの小説にヒントを得た作品は数多く発表され,火星人という想像上の生き物は一定の市民権を得るに至る.科学的な発見が発端となって想像が膨らみ,地球以外の星にすむ宇宙人とはすなわち火星人,という雰囲気が作られたことは興味深い.
 
火星の探査

 しかしローウェルの説は一般に広く受け入れられたわけでは無く、科学者はほとんど反対していた。惑星探査機の登場は,決定的であった.1970年代にマリナー探査機などが火星で「その場観測」を行ったところ,ローウェルが見た運河などは全く見当たらなかったのだ.そしてローウェルは,ひどいペテン師と呼ばれ,彼の主張は完全に無視されるようになった.さらにバイキング探査機(70年代後半)は火星着陸に成功し,火星表面は完全に乾燥しており,生物の痕跡は全く見つからないことをあきらかにした.こうして「火星人という考え」は科学的には葬られ,火星人捜しという意味では,火星探査は失敗と失望の歴史をたどった.
しかし本当は,小さな希望も残されていた.火星探査機が取得したデータをつぶさに解析すると,地表には洪水の痕跡のような地形があるではないか.想像の世界で作られた火星人像があまりにも鮮烈だったことも,ひょっとしたら一因かもしれない,火星探査は続いた.90年代以降の先進的な探査が明らかにした事実は,実はかつて火星は地球とかなり似た環境を持っていたことだ.そのためこの文章の冒頭の問いを,現代の火星科学の研究者にぶつけたら,10年前とは全く異なる回答をするだろう.研究者によっては,「火星に生命が居た時期があると思います」とか,「今も火星に生命が生き続けていると考えている」などと言うかもしれない.火星人かどうかは別として,火星の生命は科学的に議論の的になっているのだ.

ウソカラデタマコト

 結果的には,ローウェルは火星科学に貢献したといえる.そもそもスキャバレリが自書の中でカナリと書かずに素直にチャネルと書けば,または翻訳者がカナリを運河と誤訳しなければ,こうした流れは生まれなかったかもしれない.これを「嘘から出たまこと」とは言い過ぎだから,ウソカラデタマコトとカタカナで書いても同じことか.
ALH84001という隕石がある.これは1984年にアメリカの南極観測隊が発見したもので,火星から来た隕石であることがわかっているものだ.1996年に,この隕石は急に脚光を浴びることになる.NASAの研究者らが,この隕石から生命の痕跡を発見したと発表したからだ.これは特に米国では大きく報道で取り上げられ,科学史上最大の発見ではないか,とする意見もでたほどであった.ときを同じくして,マーズアタック!という映画が公開され,さらに翌年にマーズ・パスファインダーというごく小さな探査車が火星に着陸したため,米国内での火星に関する意識は非常に高くなった.
映画がフィクションなのは良いとして,生命の痕跡といわれた発見については,後の研究で大きな疑問符がつけられてしまったことだ.発表当時はそれなりに受け入れられていたこの説だが,次第に反論が積み重ねられていき,結局この発見に対しては,あまりに大風呂敷を広げすぎてしまったのではないか,という否定的な雰囲気が形成されていったのだ.だがそうとはいえ,この発表に端を発した当時の大いなる盛り上がりが,2000年頃以降の火星探査ラッシュにつながったことに疑いの余地は無い.面白いのは,この火星ラッシュの結果として,たとえば火星におけるメタンや炭酸塩塩の発見など,生命の存在を示唆しているようにも見える発見が多くもたらされていること.これもまたウソカラデタマコトと言いたくならないか.

 ところで私たちは火星ではなく地球に住んでいる.これはなぜだろうか――?

 これは私たちとは何ものなのか,という究極的な問につながる重要な問題だ.特に火星における生命の存在が科学的に現実味を帯びてきたいま,この問題の側面から火星科学は新たな局面を迎えていると言える.火星を単なる怖いもの見たさで調べる時代は終わった.火星はその意味でよく調べられた.そこでわかったことは,わたしたち地球生命のルーツを知るために,火星が最も近道だということ.地球を知るために火星を調べる時代に突入したのだ.
こうした背景の中で,日本では国内外の100人以上の研究者が集まり,MELOS と呼ばれる新たな火星探査計画の検討がはじめられている.ここでは非常に興味深い議論が続けられている.火星に生命が誕生したとして,それを本当に見つけることができるのか?厳しい火星環境において,数十億年にわたって生命が生存しえるのか?そのためには,どの場所でどのような条件が揃う必要があるのか?なぜこれまでの探査では生命のささやかな痕跡すら見つけられなかったのか?先に述べた単純な疑問に答えるには,実は地球の進化と比較できるほど,火星を理解する必要があるのだ.それもこの星の内部構造から熱の履歴を辿り,表層の些末に見える構造から地表付近での活動史を知ることにはじまり,火星の原材料物質は何でどのように進化し,大気がどのように形成され失われていったかという部分まで,大雑把でも幅広く火星という天体を達観することが重要となる.つまり火星という星を構成するさまざまな要素とその相互作用も含めた火星システムの理解が必要となるのだ.私たちはこれを端的に言い表すために,「火星はなぜ赤いか明らかにするのだ」,と表現する.火星の赤は酸化鉄の赤だが,乾燥しきった火星になぜ酸化鉄が広く存在するか,答えることは難しい.この問もまた,火星システムの理解へつながっているのだ.
今回の火星展では,このMELOSプロジェクトを検討段階であるにもかかわらず,広く一般に公開し,この火星探査計画をめぐる熱い議論の現場をそのまま示している.ここでは近年飛躍的に進歩した火星探査の成果だけでなく,研究の現場でどのような提案が実際になされているか,計画に関連した機器と共に公開される.各種の計画への人気投票や,素朴な感想・コメントを集めるコーナーも設けてあるが,これは来館者と研究者や大学院生とを有機的につなげることで,この企画と探査計画を連動させることを狙っている.つまり来館者は,火星探査計画を立案する,まさにその現場に立ち会うこととなる.
いまはまだ,ウソまたは戯言のようなものでも,あなたの一言で,マコトとなるかもしれませんよ.

(本館准教授 固体惑星科学)


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