今回の常設展は3つ目的を持っている。まずは、博物館の基盤と言える標本資料に関わる日々の営みの象徴として、標本資料報告集そのものの存在をアピールすることである。展示では、80冊の標本資料報告集を総覧し、またそれら自身をオブジェとし展覧している。(図1)
次に、当館の主要コレクションの窓口として機能するため、植物タイプ標本、古生物タイプ標本、地質鉱物標本、考古学標本について、標本資料報告集と関連した展示コーナーを設けた。
最後に、中核テーマを人類学とし、日本における「骨」と「先史」の研究史上の「名品」「優品」を一部初公開している。我が国の先史考古学の曙期をまさに担った資料群と、当館が誇る古人骨コレクションの、近年5から10年にわたるキュラトリアル・ワークの成果発表の展覧会でもある。標本の仕事現場は、個々のキュレータならびに大学院生らアシスタントの「表現の場」であり、そのため、「キュラトリアル・グラフィティ」の展覧会名を設けた。
図1(下方)、図2(下方)
主要展示物
1)大森貝塚、モースコレクション全点
1877年、日本における初めての科学的な考古学発掘による標本資料として知られている。大森の出土品の主要部は、1879年の理学部紀要に報告されており、252点の土器、石器、骨器などの出土遺物からなる。このコレクションは、本学において代々継承されてきたが、長年の経過の中、近年では3分の1ほどが行方不明状態であった。そこで、2003年から2006年にかけ、関連標本の収蔵状況を可能な限り網羅的に調査し、2009年7月にその成果を標本資料報告集79号として出版した。現存を確認できた紀要標本の数は191点に増え、紀要掲載の標本以外でモース関連と確定できたものが、さらに72点あった。その全点を初公開している。
図3、図4、図5(下方)
2)陸平貝塚、佐々木・飯島コレクション全点
佐々木忠次郎らは、師匠のモースが帰米する前後の1879年に茨城県の陸平貝塚を発見し、発掘した。日本人による初めての学術発掘であった。陸平の出土品の主要部は、1883年理学部紀要に報告されており、128点の土器、石器、骨器などの出土遺物からなる。大森コレクションと同様、近年では3分の1ほどが行方不明状態であった。そこで、2003年から2006年にかけ、関連標本の収蔵状況を可能な限り網羅的に調査し、2006年にその成果を標本資料報告集67号として出版した。現存を確認できた紀要標本の数は110点に増え、紀要掲載の標本以外で佐々木関連と確定できたものが、さらに51点あった。その全点を初公開している。
図6
3)坪井正五郎の発掘調査、初期の発掘資料
日本の人類学を先導した坪井正五郎がイギリス留学から帰朝まもない1892年の12月、西ヶ原貝塚の発掘調査を実施した。モース・佐々木以来の初めての本格的な調査とされており、その後、坪井門下により椎塚貝塚、福田貝塚など、1890年代前半に次々に発掘された。今回は、その代表的な発掘品を厳選して展示している。
3-1)坪井が1892年12月に発掘、1893年に「殆完全なる土器」として記載報告した西ヶ原貝塚の土器。
3-2)椎塚貝塚出土、加曾利B1式の土器。1893年4月に発掘、同年6月にスケッチ図と共に東京人類学会雑誌に報告された。
3-3)福田貝塚出土、注口土器。1894年3月に発掘、同年6月に石版画の図版と共に東京人類学会雑誌に報告された。
図7
4)坪井正五郎が選定した土偶
坪井は土偶から先史時代人の生活習俗を読み取り、自身のコロボックル説に役立てていた。1905年には「人類学写真集、日本石器時代土偶ノ部」を出版している。この写真集に掲載されている土偶全36点のうち、31点が現存しており(標本資料報告25号)、今回は、そのうちの14点、顔面部を残しているものを中心に展示している。
図8
5)日本の古人骨、研究史上の名品総覧
当館の古人骨コレクションは、1877年の大森貝塚の発掘に始まり、その後は主として小金井良精、松村瞭、長谷部言人、鈴木尚の4名の解剖学者・人類学者が主導し、縄文時代から歴史時代にわたる研究コレクションが集積された。
当時、「石器時代」とされていた縄文時代の古人骨は、19世紀末までは断片的なものしか知られていなかった。保存の良い縄文時代人骨は、1904年から1906年にかけ、全身骨や計測可能な頭骨が、初めて発見された。また、長谷部言人は1918年ごろから活発に古人骨の収集にあたり、大正期の大量発見の一翼を担った。鈴木尚は1930年代から縄文時代人骨の発掘収集に携わり、1950年代以後は日本の歴史時代を通した古人骨群を収集、研究し、日本人の成り立ちに関する人類学研究を先導した。
今回の展示では、小金井、長谷部、鈴木の各古人骨コレクションから、研究史上、最もキーとなった標本を展覧している。
5-1)初めての縄文人の全身骨(堀之内貝塚、1904年出土)
5-2)顔面が復元された初めての縄文人頭骨(三ツ澤貝塚、1906年出土)
5-3)小金井石器時代人骨、第1号(加曾利貝塚、1907年出土)
5-4)長谷部言人収集の最初の頭骨(橋本囲貝塚、細浦上の山貝塚、1919年出土)
5-5)鈴木が自ら発掘収集した最初の頭骨(伊川津貝塚、1936年出土)
5-6)鈴木が自ら選定し書籍などに写真が掲載されている日本人の各時代の代表的な頭骨14点。
図9、図10
6)骨を学ぶ
骨から性別、年齢、変異などの情報を読み取る基礎を展示している。標本室における専門家の営みをそのまま展示場で体験できるように、レファレンス骨標本と、破片からなる実際の現場の標本の双方を展覧し、来館者が学びばがら観覧する展示コーナーとしている。
6-1)成長と歩行、6-2)性差、6-3)頭の破片骨、6-4)年齢推定、6-5)四肢骨の形態の変異
図11
7)植物、考古、地質鉱物、古生物
当館を代表する大型コレクションの幾つかについて、ミニ展示コーナーを設け、関連する標本資料報告集48冊と共に展覧している。
植物のタイプ標本を扱った資料報告集が11冊出版されている。今回は、それらと対応する形で数ヶ月ごとに展示標本を入れ替え、少数ながらタイプ標本を展示している。最初は植物タイプ標本集の第1号で取り扱われた、サトイモ科である。
考古標本としては、全7冊の標本資料報告が出版されている西アジア関連のものを展示した。今回は、他の展示室で土器が多数出展されているため、旧石器の変遷を示すこととした。
地質鉱物標本の一例として、「石の記憶―ヒロシマ・ナガサキ」特別展で扱った被爆資料に再登場いただいた。ただし、展示品は初公開のものであり、広島、長崎それぞれについて、爆心近くから離れてゆくかたちの、少数標本ながら、興味深い展示コーナーを設置した。
当館の古生物コレクションは、出版論文に対応した標本管理システムといった、ユニークな運営体制を持っている。標本資料報告集も、これと対応した大部のものが複数冊出版されている。今回のミニ展示コーナーでは、この特徴的なコレクション運営を紹介する意味をもこめ、タイプ標本のバラエティーを、軟体動物から哺乳動物まで展示してみた。
図12
(本館教授、形態人類学)
図1 第一室内観。入口正面にオブジェ化して展示される資料報告集
図2 展示デザインのスケッチ(本館特任教授: 洪恒夫)
図5 第三室内観。大森と陸平コレクションの展示室
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