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明治初期という学問の黎明期に、東京大学の前身である開成学校に迎えられた外国人お雇い教師は、教育・研究を行うために必須の標本を大量に輸入しました。その代表的な標本群に、通称「クランツ標本」があります。ドイツのボンに現存するクランツ商会は、アダム・クランツによって1833年に始められました。1872年にアダム・クランツは死去し、甥のフリードリヒ・クランツによって事業は継続されました。東京大学総合研究博物館には、明治初期にクランツ商会を通じて輸入された鉱物・岩石・鉱石・動物化石・植物化石の1万点を越える標本が収蔵されています。その多くの標本にはアダム・クランツの名前の入ったラベルが添付されており、ヨーロッパ全体から北アメリカまで広い範囲にわたって収集されています。本展示では、学問の黎明期を飾り、当時の研究教育の原点となった代表的な標本を、クランツ商会の協力を得て、当時の台帳などと共に公開し展示します。


クランツ商会の創始者
アダム・アウグスト・クランツ

 


東京大学コレクション XIV

常設展示

「クランツ標本展」

会期:2002年07月27日 〜2003年06月20日

 

クランツ商会は、1833 年に Adam August Krantz によって設立された、世界的に有名な鉱物・岩石・化石標本商である。Adam Krantzによる鉱物標本、木製の結晶模型などの教育標本、展示用標本などは、世界中に販売されて、地球科学の魅力を人々に伝え、学問の発展に貢献した。

東京大学総合研究博物館には「クランツ(Krantz)標本」と呼ばれている標本群(鉱物標本約3000点、岩石標本約2000点、鉱石標本約1000点、化石標本約6000点)が収蔵されている。これらの標本は、東京大学が開成学校、東京開成学校と呼ばれていた明治初期に、クランツ商会から購入されたものとされている。

明治政府は、急速な近代化を推し進めたが、近代化の基盤には、それを担う優秀な人材の必要性を強く認識しており、その可能性を持った人物の発掘と育成に全力を注いだ。近代的なエリート教育を施し、そのために必要な教育・研究制度を一気に整備していった。東京大学を中心に多額の援助を行い、必要とあらば教育制度の変革をも行ったのである。

明治6年、開成学校が設立された。開成学校における鉱物学や地質学に関しては、ドイツ部(鉱山の学科を主眼とする)に外国から購入した約150点の鉱物標本と教科書としてドイツのヨハンネス・ロイニース著「博物学」 が一冊しか備え付けられていなかったと伝えられている。これらを用い、ドイツの鉱山技師でドイツ語教師のカール・シェンクが鉱物学の講義を行ったのが、我が国における近代的な鉱物学の起こりと言われている。日本の鉱物学の先達である和田維四郎は、当時ドイツ部に入学し、シェンクの鉱物学の講義を受けた。

東京開成学校では、多くの標本類が購入されたが、購入は横浜在留のアメリカ人ウエットモール、ハルトリー、イギリス人コッキング、ドイツ人ハーレンスらを介して、各国に注文したらしい。鉱物標本等はハーレンスを通じ、ドイツ、ボンにあるクランツ商会等に注文したものと思われる。

開成学校及び東京開成学校の頃に数多くの鉱物・岩石・鉱石・化石標本がドイツ等から購入され、その中核をなしていたのがクランツ商会から購入した「クランツ標本」であった。

今回、東京大学総合研究博物館の誇るクランツ鉱物・化石標本を常設展「第十四回東京大学コレクション展」として開催し、現在でも生き生きと活躍の場を与えられているこれらの標本の中に、これからも新しい学問を生み出し続ける博物資源の息づかいを感じ取っていただきたい。

 

・図録

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