HOME ENGLISH SITE MAP

東京大学で教鞭をとった教授たちの肖像が、キャンパスの随所に飾られています。絵画もあれば、彫刻もあります。藤島武二、和田英作、中村彝、鏑木清方、新海竹太郎、朝倉文夫など、明治期から昭和期にかけて第一線で活躍した画家や彫刻家の手になるものが数多く含まれますが、その全貌はなかなか明らかになりませんでした。教授在職二十五年記念、退官記念、還暦記念、三回忌など、肖像が作られた事情はさまざまで、彼らの謦咳に接した人々がいなくなれば、その多くはひっそりと眠りにつくほかないからです。

そもそも人はなぜ肖像を残すのでしょうか。いうまでもなく、本人が目の前にいるかぎり、わざわざ肖像をつくる必要などありません。肖像とは本人に似せてつくられる身代わりであり、本人の不在が前提となります。そして、不在の最たるものが死でした。この世を去っていった人を追慕するために、古来、肖像は連綿とつくられてきました。

学問の場でも、祖師や先師を追慕するための肖像が必要とされました。大学の歴代教授たちの肖像もまた、この歴史を負っています。日本最古の肖像彫刻、奈良唐招提寺の鑑真和尚像は、鑑真の没後すぐに、弟子たちによってつくられたと言われます。一方、東京大学にある最古の彫刻は、医学を教えるために明治初年に来日したドイツ人教師レオポルド・ミュルレルの肖像です。1895年、教え子たちによって、彼の三回忌に建立されました。肖像製作の事情は、千百余年の時を越えて似ているといわざるをえません。

このたび、総合研究博物館は大学内にある肖像の所在調査を行い、およそ100点の肖像画と80点の肖像彫刻を確認しました。この中から、55点の肖像画、20点の肖像彫刻を選び、「博士の肖像」と題して公開いたします。


外山亀太郎像」
高島野十郎作、製作年不詳
64.5×52.0cm、油彩・布
画面右下にサイン「Y.Tkashima」
農学部養蚕学研究室蔵
撮影 上野則宏


東京大学コレクション VIII

特別展示

「博士の肖像 人はなぜ肖像を残すのか 」

会期:1998年10月01日 〜1998年11月15日

 

・図録

ウロボロス記事 「「博士の肖像」掃埃記」

ウロボロス記事 「“B”教授の胸像」

展示紹介 「出展物より」