東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime25Number2



スクール・モバイルミュージアム
美しい蛾の世界 ―舞い飛ぶ天使の化身―

矢後勝也(本館助教/昆虫自然史学・保全生物学)
遠藤秀紀(本館教授/比較形態学・遺体科学)

 東京大学総合研究博物館は、本学とほぼ隣接する文京区教育センターとの連携によりスクール・モバイルミュージアム事業が進められてきた。2013年からスタートした本事業は、最近の先端研究の動向や本館教員の研究成果を展示等による発信を通じて、科学的な好奇心を芽生えさせたり、教科書では得られない学習効果に結び付けたりすることを目的として展開してきたプロジェクトである。文京区教育センター内の2階に大学連携事業室が設けられ、広さ約12×8×2.6 mの空間を展示スペースとして、これまで年2回程度のスクール・モバイルミュージアム展が実施されてきた。令和3年最初となるスクール・モバイルミュージアム展では、「美しい蛾の世界 −舞い飛ぶ天使の化身−」展が、2021年1月9月〜3月27日のおよそ3ヶ月間の日程で開催されている(図1)。
 一般に蛾(ガ)といえば、夜に鱗粉を散らしながら飛ぶイメージなどから、地味で気味の悪い印象が強いかもしれない。ところがよく観察すると、その翅の形は多種多様で、色彩も艶やかで美しいものが多いことに気づかされる。翅を羽ばたいてひらひら舞う姿は、天使の化身に例えられることもある。今回のスクール・モバイルミュージアム展(図1)では、このような蛾を題材として東京大学総合研究博物館所蔵の多くの標本に囲まれながら、その多様性を創り出した系統発生の道筋のほか、擬態、フェロモン、翅の進化、蛾と植物との共進化、最近発見された新種・新亜種等に関する研究を解説した。展示物は主に岸田泰則・日本蛾類学会会長による寄贈標本で、東京大学ならではの歴史的標本や貴重な標本も一部展示した。また、蛾類の一般的な観察・採集方法や国内外の調査の様子等を映像で紹介した。この機会をきっかけに、普段は味わえない美麗な蛾の魅力に触れながら、科学的な関心や興味を抱いてもらうことを本展示のねらいとしている。以下に具体的な展示解説とその内容を記述する。
 14のパートにより構成された今回の展示について、右壁面から反時計回りの順路に沿って説明していくと、まず「はじめに」として前述の挨拶文や謝辞を掲載し、次に導入部として「美しい蛾の魅力とは −その多様な色・形と生態−」の表題で、蛾の美麗さや面白さに起因する擬態や隠蔽色、翅の退化、未記載種、フェロモン、相利共生など、本展示のトピックスを概説した。このパートの展示標本には、主に警告色や擬態と深く関連するマダラガ科、ツバメガ科、アゲハモドキガ科、ヒトリガ科等の美麗蛾類の各種を用いた(図2)。
 続いて、表題「蛾の尾状突起の役割 −コウモリへの対抗進化−」では、ヤママユガ科を例に挙げながら、尾状突起の進化について解説した。ヤママユガの尾状突起には、超音波を用いた反響定位により捕食するコウモリからの攻撃を体部から逸らす働きがあり、尾状突起を攻撃させることで捕食から逃れる。ヤママユガ科の分子系統樹を図示しながら、系統樹上に尾状突起の進化を復元させることで、尾状突起を持つ種が同科内で何度も独立に生じていることを表した。
 次に「蛾の採集方法と標本作製」と題した解説では、最も一般的な灯火採集法やジュース+酒+酢の混合液を霧吹きで撒いて誘き寄せる糖蜜採集法、人工的に作り出した擬似フェロモンを使って誘引するフェロモントラップ、さらには展翅板と展翅テープ、玉針を用いた標本作製法等を紹介した。また、奥の中央部には本物の灯火採集の道具を設置し、この道具に張ったシーツの白幕に「冬の蛾の探し方 −皇居の生物相調査(2009-2013)から−」と「中国広東省南嶺自然保護区中日合同調査(2010-2014年)」の動画を投影して、蛾の採集方法や調査の様子をリアルに伝える工夫も施した(図3)。
 「家蚕と野蚕 −カイコ・クワコ類とヤママユ類−」のコーナーでは、人が絹糸として利用してきたマユをつくるガ類のうち、家畜化された「家蚕」いわゆるカイコと、野外に生息するクワコ等の野生カイコガ科やヤママユガ科、カレハガ科、ギョウレツケムシガ科に属する「野蚕」との違いを比較した。主要な野蚕であるヤママユガ科の特徴も記述し、世界最大のカエサルサンとヘラクレスサン、美しい極彩色を持つモモイロヤママユ(表紙中央の標本)のような代表種を紹介した。また、著者の一人・矢後らによる最近の核DNAに基づいた分子系統学的研究とカイコの近縁種イチジクカサンの系統的位置やフェロモンに関する研究等を概説した。
 展示場奥の両サイドにはそれぞれアクリル展示ケースを設置し、「東京大学所蔵の歴史的標本 −佐々木忠次郎と加藤正世−」と「タイプ標本と雌雄型」(図4)に関する展示を行なった。前者では明治期の近代養蚕学の開祖として知られる帝国大学(のちの東京大学)養蚕学教室初代教授の一人・佐々木忠次郎博士の履歴やエピソードを記しながら、当時の教室から伝わるカイコ標本や台湾帝国大学教授・素木得一により採集されたヨナグニサン標本等を展示した。また、昭和初期の昆虫黄金時代を築いた加藤正世博士の業績紹介と共に、アシナガモモブトスカシバやイネコミズメイガのような当時の東京の湿地環境が窺い知れる希少な標本も出展した。一方、後者では新種・新亜種の発表時に必要な学名の基準として指定されるタイプ標本を展示した。特に新種として最近発表されたばかりのクロビロードスカシバのホロタイプ標本も披露し、通常の展示では公開することのないタイプ標本とその価値を理解する場を提供した。合わせて日本蝶類学会会長・菱川法之博士からのご好意により2020年12月末にご寄贈頂いたばかりのヒメクジャクヤママユとヤママユの一種Syntherata janettaの貴重な雌雄型標本を展示し、昆虫における雌雄型の発生メカニズムの概要も記した。
 左壁面の奥では「蛾類に見られる翅の退化 −性的二型の進化とその多様性−」のパネルを掲示し、翅が縮小・消失して飛翔能力のないフユシャクガ類のメスと、翅の段階的な退行進化が見られるミノガ類のメスについて解説した。早春に出現するフチグロトゲエダシャクや最近再発見されて注目を集めているカバシタムクゲエダシャク(図5)、外来の寄生蠅により近年減少したオオミノガを代表例として取り上げながら、日本蛾類学会前会長・中島秀雄博士からご寄贈頂いた日本産フユシャクガ類全36種と新津修平博士から借用したオオミノガの実物標本も展示した。
 左壁面の中央には主要な展示標本の寄贈者である岸田泰則・日本蛾類学会会長の経歴や業績等を解説パネルで示すと共に、今回の展示の目玉としてキシタバ類やトラガ類のような美麗種を含む3×6列となる計18の標本箱を壁面に敷き詰めて、標本が持つ圧倒的な美しさを華々しく表現した(図6)。
 この左隣では、本学理学系研究科附属植物園の川北篤教授による「ハナホソガとコミカンソウ科植物の絶対送分共生」の展示パートを配置した。一般に蛾の幼虫はある特定の植物を食べるのみの寄生的な関係であるが、ハナホソガ成虫はコミカンソウの受粉をする代わりに、コミカンソウは生長した種子の一部をハナホソガ幼虫に提供し、しかも互いに1対1の高い種特異性を示す絶対的な共生関係が成り立っていることを示した。
 展示場の出入口に近い廊下側壁面の奥では、「蛾や蝶の交尾器とは −形の違いが雌雄や種間の違いを示す−」と題して、サツマニシキやキタキチョウ等を例に、雌雄で異なる蛾と蝶の交尾器を双眼実体顕微鏡で比較できるコーナーを設けた。美しい翅を持つサツマニシキの雌雄標本をルーペで観察するコーナーも設置した。これにより雌雄の翅の斑紋はよく似ているが、交尾器の形は雌雄で全く違うことを認識できるようにした。
 この展示に隣接した位置には、蛾類関連の専門書や図鑑、論文等を本棚に収納して、自由に閲読できるスペースを提供した。また、当館で進められている標本データベースのプロジェクトを解説パネル「書籍とデータベース −標本の役割とその活用−」で啓発すると共に、当館から出版された昆虫関係の標本資料報告も並べながら、データベースの重要性を伝えるための研究発信の場も設けた。
 最も出口に近い場所にはガラス製の水槽2つを設置し、ちょうど発生期を迎えたフユシャクガ類をこの中に入れ、それらの生きた姿を観察できるようにした。この展示はフユシャクガ類を専門とする中島博士の協力により実現したもので、冬季にしかできない生体展示である。特に翅が消失したメスの姿はなかなか野外で見られないため、生きたメスが一般の来館者にも閲覧できる良い機会となるだろう。
 最後に、本展示の関連イベントとして「昆虫学者の講演会」の開催を企画している。矢後による演題「蛾と蝶のちがいとは?」(3/6)の講演の他、展示標本のほとんどをご寄贈下さった岸田会長をお招きして演題「世界の美しい蛾とその魅力」(3/13)を語って頂く予定となっており、これらの講演を通して聴衆に蛾への興味・理解をさらに高めて頂ければと考えている。
 今回の展示開催にあたり、日本蛾類学会と日本鱗翅学会からご後援を頂いた。岸田泰則、中島秀雄、菱川法之(敬称略)からは今回の展示品に関して特別なご援助を賜った。また、宮内庁の他、下記の諸氏からも多くのご支援を頂いた。井上暁生、王 敏、王 厚帅、大和田守、勝山礼一朗、紙屋(伊藤)勇人、川北 篤、河原章人、工藤誠也、久保田瑛子、四方圭一郎、神保宇嗣、谷尾 崇、中村 涼、新津修平、長谷川大、原田一志 (五十音順、敬称略)。文京区教育センターの真下 聡、保坂美加子、阿部遼太郎、木村祥子(敬称略)をはじめ、多くの方々にもご協力頂いた。この場を借りて心よりお礼を申し上げる。



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図1 「美しい蛾の世界」展の展示場の様子.主に岸田泰則・日本蛾類学会会長からの寄贈標本で構成された多くの標本箱と共に壁面には解説パネルを展示し,奥には灯火採集の道具とアクリル展示ケースを設置した.

図2 美麗な蛾類の代表的な標本.右から2列目には上から有毒なシンジュツバメガ,ルリオビツバメガ,有毒な蝶に似た無毒のオウサマアゲハモドキ等の蛾が並んでいる.

図3 実物の灯火採集道具を展示場奥の中央部に設置した.この道具の白幕には国内外での蛾類調査・採集の様子を映像でプロジェクター投影している.

図4 雌雄型標本とタイプ標本の展示.左側の標本箱では菱川法之博士寄贈のヒメクジャクヤママユとヤママユの一種Syntherata janettaの貴重な雌雄型標本を出展し,右側のスカシバガ類が入った標本箱の中央では2019年に新種として発表されたクロビロードスカシバのホロタイプを展示した.

図5 メスの翅が退化するフユシャクガ類の標本.いずれも中島秀雄博士による寄贈標本で,早春に出現するフチグロトゲエダシャク(左側の列)や最近再発見されて話題となったカバシタムクゲエダシャク(中央の列)等が並んでいる.

図6 壁面と展示台に敷き詰めた美麗蛾類の標本箱.壁面中央には岸田泰則・日本蛾類学会会長の経歴や業績等を解説したパネルを吊るした.