東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime20Number2



東京大学総合研究博物館モバイルミュージアム特別展
(練馬区石神井公園ふるさと文化館 平成27年度第1回特別展)

「蝉類博物館」 ─昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界─

矢後勝也(本館助教/昆虫自然史学・保全生物学)
関岡裕之(本館特任准教授/博物館デザイン)
洪 恒夫(本館客員教授/展示デザイン)

はじめに
 加藤正世博士(1898〜1967年)は、大正から昭和初期にかけて活躍した在野の昆虫学者である。昆虫全般に造詣の深かった加藤博士だが、特にセミやツノゼミ、ヨコバイ、ウンカなどの半翅目を専門としていたことから「セミ博士」とも呼ばれていた。東京郊外の石神井公園に隣接した自宅に加藤昆蟲研究所と併設した「蝉類博物館」を開館して、展示を通じた昆虫学の普及とともに、新種・新亜種を含む多くの論文や著書を世に輩出した。趣味の昆虫採集を通じた普及活動にも力を注ぎ、たくさんの少年・青年たちに影響を与え、社会現象にもなった昭和初期の昆虫黄金時代を築き上げた主要な人物としても知られている。
 2015年10月、この「蝉類博物館」がかつて立地していた石神井の地で、練馬区立石神井公園ふるさと文化館(以下、ふるさと文化館)との共催により標題の特別展をスタートした。以下に加藤博士の経歴を述べた後、今回の展示までの経緯や展示概要などを紹介する。

加藤博士の生涯
 明治31年4月19日に栃木県北高根村(現・高根沢町)で生まれた加藤博士は、6歳の頃からセミに特別の関心を抱いていた。8歳時に東京・芝区(現港区)へ移住、小学時代は昆虫採集に夢中になりつつ、模型飛行機を製作したりと、博士の才能はほぼこの時期に培われたようである。
 17歳の時には、初めての報文「蝉―Cicada」を発表したが、攻玉社中学卒業後の18歳頃から飛行機関係に専念し、大正7年には国民飛行会の記者となり、ペンネーム「黒鷲」として活躍した。大正9年には、協会に在職のまま飛行操縦士の練習生となり、2年後の24歳時には三等飛行操縦士の免許を取得した。日本初の女性飛行操縦士・兵頭 精とは同期の卒業生でもあり、同研究所練習生の高田秀子と結婚したのもこの年である。
 翌、大正12年からの5年間は台湾に滞在し、台湾総督府中央研究所農事試験場で雇用されながら、素木得一博士(中央研究所農業部応用動物科長)に師事しつつ、セミ類を中心に採集調査を行なった。帰国後は京都衣笠、東京世田谷と移り住み、その間にベストセラーとなった初めての著書「趣味の昆虫採集」(昭和5年)や名著「の研究」(昭和7年)などを発刊した。
 昭和10年に住まいを石神井に移し、「加藤昆蟲研究所」を開設、3年後の昭和13年に別棟12坪の「蝉類博物館」を開館して、以降は主にセミ類の研究や展示による昆虫学の普及に尽力する一方、昭和7年に「昆蟲趣味の会」を設立して、会誌「昆蟲界」を創刊、127号まで発行を続け、趣味の昆虫採集を通じた教育活動に力を注いだ。また、昭和15年以降は巣鴨学園(豊島区)の非常勤講師や富士見高校(練馬区)の専任教師として教鞭を執るなど、中等教育の教育者としても活躍し、日本生物教育学会理事、日本生物教育会理事なども歴任した。
 昭和33年には、岩崎書店から発行された「蝉の生物学」を学位論文として北海道大学から理学博士を取得し、昭和37年には、セミの生態研究と長年の博物館事業による功績で藍綬褒章を受章した。昭和42年11月7日に胃癌で逝去(69歳)。遺骨は富士霊園に埋葬、京都府八幡市の飛行神社に合祀された。

展示の経緯
 加藤博士の没後に「蝉類博物館」は閉館し、標本・資料等は長野県茅野市美濃戸の「加藤正世記念昆虫館」に移された。それ以降はご遺族により長年管理されていたが、当時のふるさと文化館館長・小金井靖氏の仲介もあり、2010年10月に当時の管理者であった加藤博士の五女・鈴木薗子氏から東京大学総合研究博物館に寄贈され、現在まで多くの研究に寄与しながら、大切に保管されてきた。その間、加藤コレクションの展示としては、2011年に各機関の学芸員を対象とした東京大学総合研究博物館のリカレント教育事業「学芸員専修コース」の一環による企画展「學―加藤正世の博物誌」を2011年11月から4ヶ月間開催したが、小規模な展示に留まっていた。
 2014年春、かつて「蝉類博物館」が立地していた石神井の地で、加藤博士の特別展を行いたいとの要望をふるさと文化館から頂いた。加藤コレクションの標本は100年近く経過していて脆くなっていることに加え、戦中の大火を免れた昭和初期の広範な昆虫標本群は極めて少なく、学術的にも貴重な標本・資料が多く含まれている。そのため、展示には慎重な判断が必要となり、当初は後ろ向きな考えを示していた。ところが、ふるさと文化館の双川歳也学芸係長と奥野友美学芸員の真摯かつ熱誠な懇願により、展示・管理に細心の注意を払うことや本館の主導による大々的な展示を展開することなどを条件に協議を進め、2015年10月1日〜11月29日の日程で、このモバイルミュージアム特別展として実現するに至ったのである。

展示概要
 今回の展示では、かつて「蝉類博物館」に掲げられていたセミ形のシンボル看板や表札を入口に取り付け、会場を入ってすぐ正面にはターポリンメッシュ(テント素材)の表に加藤博士の写真、裏に直筆のセミの詩が印刷された巨大なスクリーンを吊るして、閲覧者の目を惹くように配置した(図1)。
 動線は右回りに設定し、左手前の壁は4段23列の計92箱で構成される昆虫の標本箱(一部クモなど)の列で敷き詰め、さらにその上部は2段23列の加藤博士自身により製作された生態写真パネルを配列した(図2)。標本箱の中には、セミ類を中心としたあらゆる分類群の昆虫が含まれ、1923〜1928年の台湾在住時代や1928〜1930年の京都衣笠、1930〜1935年の東京世田谷、1935年以降の東京石神井と、移り住んだ時代と場所に合わせて収集されたものが多く見られる。中でも東京近郊の昆虫標本は非常に貴重で、現在では絶滅した産地も少なくない。特に草原性チョウ・ガ類や水生昆虫などは、昭和初期の環境を知る上で重要な指標生物となり、石神井のベッコウトンボやコバンムシ、東京のオオウラギンヒョウモンやゴミアシナガサシガメ、横浜のヒメシロチョウは注目される。一方、昆虫の様々な特性を生かした生態標本も見応えがあり、生活史や天敵、擬態、保護色、警戒色などの生物事象を見事に再現している。加藤博士自身が残した展示説明や活字のような手書き文字も、新たな展示説明は躊躇われるほどの論理的な内容と独特な風情が感じられる。
 中央の展示ケースには、今回の展示の目玉とも言えるセミ・ツノゼミ類のホロタイプ標本計43点を展示した(図3)。その他に加藤博士の人物紹介に関する物や採集道具、出版された昆虫関係の専門書や一般書、雑誌、航空関係の図書、直筆のノートや落書き帳、虫玩具などを配した(図4)。これらのうち、専門書に掲載されているセミの描画の原版、当時の生活の様子が図付きで書かれたノート、晩年練馬区で過ごした著名な植物学者・牧野富太郎の直筆物などは、ひときわ興味を誘う展示品であろう。さらに各展示ケースの間には、一段高くした台を設け、その上に精巧なハチやセミの生態標本も均等に配列している(図4)。
 左奥の壁には、セミに関する伝説や迷信などを標本とともに紹介する標本箱を設置した。壁面の中央部には大きな映像スクリーンを設けて、「I. 加藤正世博士の生涯」と「II. 加藤正世博士が愛した蝉たち」の二本立てで写真や動画を映写した(図4)。後者の動画では加藤博士が新種記載したエゾゼミなど各セミの鳴き声も流れている。
 左奥正面の壁面に内蔵された展示ケースには、昆虫の液浸標本や生態標本、昆虫以外の様々な生物の標本を展示した(図4)。昆虫では、セミの生活史に関する生態標本と解説、外部・内部構造、セミに寄生するセミヤドリガやヒグラシヤドリバエ、セミタケの他、クワガタ幼虫やガロアムシなどが含まれる。また、カボチャのツルに巻かれて絶えた「カボチャに負けた蝉」はとても面白く、植物の生命力の強さが感じられる。一方、昆虫以外では、海綿、ヒトデ、ウニ、貝、魚、カエル、ヘビ、ウミガメ、トカゲ、ハリガネムシ、ムカデ、ゲジなどの液浸標本も見られ、加藤博士本人から出てきた蛔虫も目を惹く。セミの名がついた別の生物にも特別な愛着があったようで、セミエビやウミセミ、セミホウボウなどもある。
 中央奥から入口正面スクリーンの裏側スペースにあたる右奥は、加藤博士の研究室をイメージして空間を作り上げ、壁には巨大なグラフィックとして往年の「蝉類博物館」の館内写真を一面に吊り下げた(図5)。この入口となる中央奥にはセミやハチの生態標本箱を乗せた古風な本棚をサイン的に置き、その両側には加藤博士により緻密に描かれたミンミンゼミとニイニイゼミの解剖図を取り付けた。進んで左側には加藤博士が残した器具・文具、観察・撮影機材などを並べ、奥に書籍の閲覧可能な本棚も設置した。
 出入口付近となる右側手間の展示ケースには、教育関係として教員免許状の他に、加藤博士自身が手がけた石神井中学校の校章、富士見中学高等学校での教員時代に作成した学校案内の原版を並べた。最後の功績・受章に関する展示では、「セミの生態研究と蝉類博物館を通じた社会教育の振興」により授与された藍綬褒章、天皇・皇后両陛下からお言葉を賜る写真、褒章伝達式や園遊会の案内などを展示した。

おわりに
 今回の特別展では、東京大学総合研究博物館ならではの展示デザインと映像技術により、一層引き立てられた演出がなされている。まるで加藤博士の時代に舞い戻ったかのような、昭和初期のレトロ調な雰囲気を、再び甦った「蝉類博物館」の標本・資料の中に覚えながら、標本保存で使われているナフタレンの香り漂う博物館らしい雰囲気に浸りつつ、昆虫学の研究と教育・普及の両面に尽力した加藤博士の世界を体感してもらうことを一つの趣意とした。
 一方、展示品に関しては、劣化リスクを最小限に抑えながら、加藤コレクションの中でも学術的に価値の高い、選りすぐりの標本・資料をあえて出展した。この機会に学術標本の持つ意味や研究の重要性を広く認知頂ければという“念い”からである。アブラゼミの一生は7年、成虫の寿命は約一週間など、多くの方々が一般に知り得ているセミの知識は、すべて加藤博士の業績による。そのような加藤博士が、セミだけでなく様々な昆虫や動植物を収集、研究し、それが今、生物相から当時の環境を復元できる貴重な標本・資料にもなっている。現代の子供達にも、加藤博士の幅広い興味や科学的な探究心を感じてもらえたら幸いである。
 末文ながら、ふるさと文化館の岩崎均史館長や東京大学総合研究博物館の西野嘉章館長をはじめ、下記の方々に多大なご協力を頂いた。石川忠、石塚詩織、伊藤元、伊藤勇人、井上暁生、大野正男、小川結子、大村宣雄、奥野友美、奥野雅司、岸田泰則、岸本年郎、河野謙一、小金井靖、小沼彩子、佐藤大樹、品田穣、神保宇嗣、鈴木薗子、鈴木真理子、須田孫七、谷尾崇、知久寿焼、長瀬博彦、中坪啓人、西野瞳子、林正美、双川歳也、丸山宗利、室紀行、吉田良和(敬称略・五十音順)。また、山崎学園富士見中学高等学校、練馬区立稲荷山図書館、練馬区立石神井中学校にもご支援頂いた。新日鉄興和不動産にはご協賛頂き、日本昆虫学会、日本半翅類学会、日本鱗翅学会、日本セミの会にはご後援頂いている。この場を借りて心よりお礼を申し上げる。

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図1 ターポリンメッシュの巨大スクリーンに
印刷された加藤正世博士.



図2 4段23列の計92箱で敷き詰められた昆虫
標本箱. 上部は加藤博士により撮影された
2段23列の生態写真パネル.


図3 セミ・ツノゼミ類のタイプ標本.
エゾゼミ、クマゼミ、リュウキュウアブラゼミ、
ユミガタツノゼミ、ミミナガツノゼミ、
ミドリズキンツノゼミなどが含まれる.



図4 展示会場中央の展示コーナー.
加藤博士の人物紹介に関する物品、採集道具、
タイプ標本、出版物、直筆物、虫玩具など。
展示ケース間に設けられた台上の展示品は
ハチやセミの生態標本.
その奥には映像スクリーン(左)や
液浸標本のコーナー(右)も見える.



図5 加藤博士の研究室をイメージした展示コーナー.
背景の壁には往年の「蝉類博物館」の館内写真を
一面に吊り下げている.