東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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モンゴルの草原

オルミンゴル谷のゲル

カラマツ林

ガゼルの放遂

捕獲したガゼル

「草原の国の野生動物――モンゴルから寄贈された哺乳類標本」展
によせて


高槻成紀 (麻布大学教授、本館特任研究員、動物生態学)

 東京大学総合研究博物館はモンゴル科学アカデミーとの共同研究としてモンゴルの野生動物の生態学的研究をしてきました。1990年代から研究交流を始めましたが、現地調査が実現したのは2002年の秋でした。
  ゴビ地方でそれまでまったく謎であったモウコガゼルの移動ルート解明に着手しました。捕獲には苦労がありましたが、ついに成功し、電波発信機を装着して衛星経由で位置情報をとらえました。それによって夏と冬に300kmも移動することがわかったのです。また中国とロシアを結ぶ鉄道がガゼルの季節移動を阻んでいることも明らかになりました。モンゴルは1990年に社会体制が変化し、市場経済になったため、人口も家畜も数が増えました。その結果、放牧が過度になり、草原の荒廃が進行しています。我々がガゼルと家畜の食物を調べたところ、ウマはずいぶん違うものを食べていましたが、ヤギとヒツジはガゼルと非常に似通った植物を食べていることがわかり、これらの家畜の増加がガゼルの生息をおびやかしていることも明らかになりました。
  このようなことから、家畜の放牧が重要であることに注目して、放牧が草原生態系におよぼす影響を調べることにしました。放牧が強くなるとそれまであった植物が減少し、草丈も低くなります。とくに虫媒花(ハチなどの昆虫によって受粉する植物)が大きく減少することがわかりました。したがって放牧圧の強い場所では植物の種類が少なくなるだけでなく、訪花昆虫も少なくなり、草原が本来もっている生態的な機能もそこなわれることがわかりました。
  ところで、モンゴルの人々は私たちが魚を好んで食べるようにマーモットという大型のネズミの仲間を食べます。ネズミの仲間は繁殖力が旺盛なので食べられながらも集団を維持してきました。これも日本人と魚の関係と似ています。しかし狩猟圧が強くなりすぎるとさすがのマーモットも少なくなります。そこで、モンゴル政府はマーモットの狩猟に制限を設けるようになりました。これは人がマーモットを獲りすぎるから減るので、それを抑えるために獲ることを止めるという考えです。それはまちがっていないのですが、生態学者はもう少し広く自然をとらえようとします。マーモットは地下にトンネルを掘りますが、その結果地下の土が掘り出されてマウンドができます。モグラ塚のようなものです。その結果、均質な草原に異質なマウンドが生じます。マウンドをよくみると周りにはない植物が生えています。その中には虫媒花があり、昆虫が訪れます。つまりマーモットがいることは草原に異質性を生み、それが草原の生物多様性とその機能を高めているのです。したがってマーモットを獲りすぎるということは、単にマーモットが少なくなるだけではなく、草原の生物多様性そのものが失われることを意味しているのです。
  人間社会の変化がその国の自然、ことに野生動物の運命を大きく変えることは、多くの国が経験してきたことですが、モンゴルの場合は1990年までよい形で共存してきました。そこには近代化を急いだ日本が学ぶべき物がたくさんあるはずです。しかしその伝統も雪崩を起こすように急激に崩壊しつつあります。生物学者はそのことを阻止するために努力すべきだと思います。
  このような研究を通じて日本・モンゴル共同調査隊はモンゴルの野生動物の生態学的研究を進めるとともに、その保全に貢献すべく努力してきました。その協働を記念し、日本隊の貢献を感謝して、モンゴル科学アカデミーからモンゴルの野生動物の標本が本館に寄贈されることになりました。本展示はその紹介を目的としたものです。
  ところで、海外における野外調査は現地の人々の支援なしには実現できません。モンゴルの人々は大らかで、人を暖かく迎える美風をもっています。異なる環境でわれわれが困難に直面したとき、いつもモンゴルの人々の笑顔と暖かさに励まされました。そうしたことから、私たちは研究成果を学問の世界に閉じこめるのではなく、モンゴル市民に還元したいと考えてきました。今回、日本学術振興会の科学研究費によりそのことが実現し、モンゴル国立自然史博物館において7月6日より9月30日まで「Mongolian Wildlife ? Findings of Japan-Mongolia Joint Team」展が開催されています(→展示案内)。

 




広大なモンゴル草原

展示室風景