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    放射性炭素濃度測定を行った海水資料(資料提供:海洋研究開発機構)(撮影:山田昭順)

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    熱塩循環のベルトコンベアモデル

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    調査船「みらい」の調査航海で海水試料は採取された(提供:海洋研究開発機構)

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未来の海水と2000年前の海水

貝殻に記録された海洋リザーバ効果は、どうしてオホーツク海で非常に大きいのだろうか。その背景には、地球全体をゆっくりと循環している深層水の影響が考えられる。グリーンランドや南極の周辺で、海水は非常に低温になり海氷がつくられる。海水は低温になると比重が重くなり、海氷ができることによって塩分濃度が上昇して、ますます重たい海水になる。この重たい海水が数千メートルの海底に沈み込む力が引き金となって、海洋の深層ではゆっくりとした海水の流れ、すなわち「熱塩循環」が形成される。この循環は、地球を半周するなんと2000年もかかる緩やかな流れで、当然その間に含まれている放射性炭素の放射能は減少し続ける。海洋には放射性炭素が減衰した膨大な炭素が溶け込んでおり、それがゆっくりと海洋表層に戻ってきているという循環が存在するのだ。

オホーツク海に隣接する北西太平洋はこの熱塩循環の終着点のひとつだ。2014年に海洋研究開発機構の海洋調査船「みらい」によって、三陸沖の北西太平洋(北緯39度56.83分 東経147度42.79分)で採取されたこれらの海水は、水深4900mでは1980年前の炭素を、水深10mではマイナス450年という「未来の年代」に相当する炭素を含んでいる。「未来の炭素」というは、天然の大気に含まれている濃度(1兆個に1個)よりも多くの放射性炭素が含まれているということを意味する。

これは、大気圏内核実験によって発生した放射性炭素の影響であり、海洋学の研究ではこの核実験起源放射性炭素が大気から海洋にどのように拡散しているかを手がかりに海水の循環を調べている。一方、深層の約2000年前の海水は、全海洋で最も古い海水に相当する。北西太平洋の高緯度ではその古い海水が浅層に湧昇するメカニズムがあり、同海域および隣接する縁辺海の海洋リザーバ効果を大きくしている。しかし、核実験以前に海水に含まれていた放射性炭素の濃度は現代の海水を調べてもわからない。そのため、我々は明治時代の貝殻に含まれる放射性炭素を調べる必要があった。

深層水の熱塩循環は地球全体の海水を攪拌して、赤道付近から高緯度地方に熱を運ぶベルトコンベアの役割も果たしている。このベルトコンベアが止まってしまうと、地球全体が急激に寒冷化する。1万2千年前には、氷期から間氷期に変換して急激な温暖化がおこったが、陸上にたまっていた氷が一気に淡水として海洋に流れ込んだため、熱塩循環が停止したと推定される。ヤンガードライアスと呼ばれるこの一時的な寒冷期には、ヨーロッパでは高山植物であるチョウノスケソウ(ドライアス)の花粉が急激に増加し、反対に人々が暮らした遺跡の数は激減した。ネアンデルタール人が絶滅した原因のひとつも同様の寒冷化といわれている。 (米田 穣・熊本雄一郎)