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    東京大学にはじめて導入された装置はベルギーM.B.L.E社のTYPE PNR054である。真空管による回路で構成された装置で、アセチレンガスによる測定が行われていた(撮影:山田昭順)

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    試料からつくられたアセチレンは特性のガラスフラスコ(2.2L)に保管された。測定には炭素量で約0.5gが用いられた(撮影:山田昭順)

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    浅野キャンパスに位置するMALT。建物全体に収められた大型加速器を使って、東京大学の研究チームはAMS開発をリードした(提供:松崎浩之)

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放射性炭素年代事始め

リビーはボルチモアの下水処理場で有機物が発酵して発生したメタンガスに放射性炭素が含まれていることを証明した。メタンガスをガイガー計数管に入れて測定を行い、熱拡散によって重たい同位体を濃縮して測定することで、その濃縮率に比例して放射能が増加することを確認し、自然界に放射性炭素が存在していることを確認したのだ。

半減期が5730年と長く、炭素原子1兆個中1個ほどしか存在しない放射性炭素が壊変する量は少なく、十分な精度の計数を得るためには、多くの量の炭素を集めて、長時間にわたってβ線を計測する必要がある。さらに、放射性炭素が窒素に壊変するときに出るβ線はエネルギーが低く、固体の深い部分の放射性炭素から放出されたβ線は吸収されてしまって、出てこない。多量の炭素を集めることができても、その表面部分から放出されたβ線しか測定できないのである。リビーによって開発された測定装置は、試料から煤を作って、ガイガー計数管の内側にうすく塗ることでβ線を測定した。日本でもこの方法を活用するべく東京大学、理化学研究所、学習院大学などで研究が始まり、リビーが使用したものと同様の装置が理化学研究所に1952年頃に導入された(木越 1978)。宇宙から飛び込んでくる放射線、宇宙線が計測されてしまうのを防ぐため数トンの鉄板や鉛で囲まれた大がかりな装置であった。

ところが、核爆弾の大気圏内実験が行われるようになり、それに由来する放射性炭素が世界中にばらまかれ、人工的に作られた放射性炭素による汚染が問題となってくる。そのため、試料から炭素を抽出・精製し、純粋な化合物(例えば、気体のアセチレンや液体のベンゼン)に変換した上で、気体計数管や液体シンチレータによって測定する方法がとられた。コンパクトAMSの傍らに展示した古い装置は、1960年に本学に初めて設置された放射性炭素測定装置の一部で、年代測定の対象となる資料から精製、合成されたアセチレンガスから放射されるβ線を計測するための装置のエレクトロニクスである。この装置は多くの研究のために利用され、1967年からは全学委員会のもとに継続されることになる。そして、2010年からは総合研究博物館放射性炭素年代測定室が、学内共同利用施設として活動している。

長寿命放射性同位体に対して、壊変の際に放出される放射線を測るのではなく、壊変せずに存在している放射性同位体を数えるという新たな発想のAMS法の出現により放射性炭素年代測定は新たな画期を迎える。1977年にサイクロトロンを用いて試みられたAMS法は、その後、加速イオンのエネルギーなどの制御が比較的容易なタンデム加速器を用いることで実用性が高まり、広まることになる。日本でも、名古屋大学が1981年に米国GIC社から放射性炭素専用のタンデトロンを導入して年代測定を開始している。東京大学では1964年製のタンデム加速器を再利用して、1980年からAMS研究が開始され、ベリリウムに続き1985年には放射性炭素の測定に成功している。その後1993年に米国National Electrostatics Corp.製の5MVのタンデム型加速器(通称MALT)に装置が更新され、1998年からは放射性炭素年代測定室でも測定に活用することになった。MALTは2014年より東京大学総合研究博物館に移動して、コンパクトAMSと連携し、多核種AMSとして展開、今日に至っている。(米田 穣・尾嵜大真)