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    エゾキンチャク(Swiftopecten swiftii (Bernardi))。巨智部(1883: 75, pl. 5, fig. 2)、Yokoyama (1925a: 27, pl. 2, fig. 1) および松原ほか (2010: 41, fig. 4.3a,b)による図示標本。茨城県日立市相賀町初崎、鮮新世(UMUT CM22311)

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    ビノスガイ(Mercenaria stimpsoni (Gould))。Yokoyama (1922: 148, pl. 11, fig. 11)による図示標本。千葉県大竹、更新世(UMUT CM21348)

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    ヒナガイ(Dosinia (Dosinorbis) bilunulata (Gray))。Yokoyama, (1922: p. 144, pl. 10, fig. 12) による図示標本。千葉県大竹、更新世(UMUT CM21326)

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日本における古生物学の黎明期

日本における古生物学の最初の研究論文はナウマンが1881年に出版した日本のゾウについての論文である。この論文はドイツの古生物学の専門誌に発表され、標本は当館の地史古生物部門に保存されている。ナウマンの次に着任したブラウンスもまたドイツ人で、貝化石やゾウ化石の論文を発表している。

日本人学生のうち最初に古生物についての論文を執筆したのは巨智部(1883)である。巨智部忠承(こちべただつぐ)は理学部地質学科の第二期生で,明治12〜13年(1879~1880年)にブラウンス の 指導を受け、卒業論文として茨城県常陸地域北部の地質と古生物を調査した。この成果が、明治16年(1883年)に 「概測 常北地質編」として出版されている。巨智部の標本の存在は長い間知られていなかったが、Yokoyama(1925)で記載された標本の中に含まれていることが判明した(松原ほか 2010)。

日本人で初代の古生物学の教授となったのは横山又次郎である。横山は当初は化石全般を研究しており、植物化石、アンモナイトの論文も執筆しているが、後に新生代貝類の研究に専念した。

横山博士の研究は、分類学的記載を中心に日本の各地の化石を場所ごとに報告するものであった。まだ日本にどのような化石が産出するかも把握されていない時代であったため、その詳細を明らかにした点は意義が大きい。また、化石種として記載された種の中には現生種として生残しているものがあり、現生種として記載された学名が横山博士の学名に先取される例が多数ある。従って、古生物学の分野のみならず生物学の分野でも引用されている。

横山又次郎以降、日本の古生物の研究は日本人の手によって行われる時代が到来した。横山標本の出版年は1890年代から1930年代に及んでおり、明治末期から昭和初期の標本として最も重要な位置を占めている。 (佐々木猛智・伊藤泰弘)

参考文献 References

松原尚志・佐々木猛智・伊藤泰弘 (2010) 「日本人による最初の新生代貝類の記載論文(巨智部1883)とその図示標本の発見について」『化石』 88: 39-48。