東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime25Number1



研究紹介
海を越えた2つの人類

海部陽介(本館教授/人類進化学・形態人類学)

 「はじめて海を渡り、島に暮らすようになった人類は、ホモ・サピエンス」というのが、20世紀の人類学の常識でした。5万年前頃から、オーストラリアやニューギニアにホモ・サピエンスが出現することが、人類最初の渡海の証拠と思われていたのです。つまり、それ以前の原人や旧人は、大陸の外に出られなかったと考えられていたのですが、それを覆したのが、2003年のフローレス原人(Homo floresiensis)の発見でした。  本題の前に自己紹介いたしますと、私は本年6月に、当館研究部に着任しました。これまで国立科学博物館で25年間、人類進化の研究を続けてきましたが、そのさらに前は本学の学生として東京大学総合研究博物館に出入りしていましたので、四半世紀ぶりに古巣に戻ってきたことになります。  その学生時代から、アジアをフィールドとした研究をすることを夢見てきたのですが、今、そのアジア人類史が国際的に注目を集めています(当館の西秋良宏館長が推進中の大型研究プロジェクト「パレオアジア文化史学」も、それを捉えた動きの1つと言えるでしょう)。本稿ではフローレス原人を中心に、続々と発見されているアジアの化石人類について紹介しつつ、人類と海について考えてみたいと思います。

フローレス原人
 フローレス島は、インドネシア群島の東部にあって、体長3メートルになるコモドドラゴンや、75センチメートルの巨大ネズミなどが暮らす島です。フローレス原人の化石は、オーストラリアとインドネシアの合同調査隊により、この島のリャン・ブア洞窟から発見されましたが、いくつもの点で衝撃的でした。  まず、発見の場所が予想外です。フローレス島はアジア大陸と接続したことがなく、いつの時代も海の向うの島でした(図1)。ちなみに、同じインドネシアのジャワ島は、過去に大陸とつながったり離れたりを繰り返しましたので、そこにいたジャワ原人の祖先は、陸を歩いてジャワ島へ到達することができました。  さらに、その形態があまりに独特です。見つかった個体は永久歯が全て生えそろっていて、明らかに大人なのですが、身体は1.1メートル程度と、極端に小型。そして脳もグレープフルーツ大と、チンパンジー並みの大きさなのです(表紙・図2)。100万〜10万年前の化石が知られるジャワ原人は、身体サイズは現代人並みで、脳もチンパンジーの2倍(現代人の2/3くらい)ありましたので、同じインドネシア群島の原人でも、両者はずいぶん違っていたことになります。  そして、年代も予想外。石器の証拠も含め、フローレス原人は5万年前までこの島にいた証拠があるのですが、これはホモ・サピエンスが当地域に出現するのと同時期です。「最近まで不思議な人類が島にいて、ホモ・サピエンスの登場とともにいなくなった」、ということになります。  フローレス原人の起源をめぐっては、今でも論争が続いています。原人級の原始性があることはどの専門家も認めているのですが、もっと古い特徴があるかどうかについて、折り合いがついていません。私個人は、頭骨や歯の詳細な分析から、「身長1.65メートルほどのジャワ原人のなかまが矮小化した」と結論づけていますが(図3)、「ジャワ原人よりも古いタイプの人類が祖先だ」という説を推す研究者もいます。私は自説に自信がありますが、この論争は、フローレス島に最初にやってきた人類の化石が見つかるまで、続くかもしれません。  フローレス原人は、どのように進化したのでしょう? その後の調査で、ソア盆地という島の別の場所から約100万年前の石器が発見され、その頃に彼らの祖先が渡ってきた可能性が高まりました。2014年には、ソア盆地の70万年前頃の地層から待望の人類化石が発見され、フローレス原人の初期の姿を垣間見るチャンスが訪れました。それは、下あごの骨の破片と歯が数点というわずかなものでしたが、ゼロに比べれば大きな進展です(表紙・図4)。  私は、これらを発掘したインドネシアとオーストラリアの調査隊から原人化石の専門家として呼ばれ、解析を行いましたが、その結果「新たな化石はフローレス原人の祖先であるらしく、70万年前の時点で既に矮小化していた」ことが示して、Nature誌に発表しました。ホモ・サピエンスが現れる前の何十万年という長い間、インドネシアのジャワ島にはふつうの大きさの原人が、そしてそこから500キロメートルほど離れたフローレス島には矮小化した原人が、おそらく互いを知らずに暮らしていたらしいのです。

アジアにあった驚くべき多様性
 フローレス島での発見は、この後アジアではじまった、新しい化石人類の発見ラッシュの口火を切るものとなりました。「かつてアジアにいた古代型人類」と言えば、北京原人、ジャワ原人と記憶されている方が多いでしょう。ところがフローレス原人の発見以来、台湾にいた原人(澎湖人)、南シベリアから報告されたネアンデルタール人と“デニソワ人”、そしてフィリピンで見つかったルソン原人などが、次々と報告されました。以前から知られていた中国やインドの旧人も加えて、ホモ・サピエンスが現れる前のアジアには、実に多様な古代型人類が暮らしていたことがわかってきたのです。
 彼らはどこから来た誰だったのか、なぜ多様な進化を遂げたのか、どうして今はいないのか・・・? 新しい疑問がどんどん湧いてきますが、本稿では、渡海に絞って話を進めていきたいと思います。

人類が海を渡るということ
 原人もホモ・サピエンスも、ともに海を越えているのですから、両者はさほど違わないのでしょうか? 考える手がかりが、いくつかあります。
 フローレス原人に加え、ルソン島のルソン原人(Homo luzonensis)の祖先も、まだ確定ではありませんが、海を越えた可能性があります。一方で台湾の澎湖人は、氷期の海面低下時の化石群集から発見されているので、台湾がアジア大陸の一部となっていた当時の、大陸の動物相と考えられます。
 アジア大陸の辺縁地域で発見されたこの3つの古代型人類には、とても興味深いコントラストがあります。孤島で暮らしていたフローレス原人とルソン原人は、どちらも極端に小さいのですが、大陸の構成員だった台湾の原人は、見つかっている下あごが大きいことから、やはり大陸のメンバーだった北京原人やジャワ原人と同等の体格をしていたようです。つまり原人のなかまでも、島で孤立した集団だけに、劇的な矮小化が起こっているのです。
 ホモ・サピエンスは、島に渡っても、それほどの小型化を示しません。ネグリトと呼ばれるフィリピン群島の背の低い人々も、平均身長は150センチメートル以上あります。そもそも、島に暮らしている現代人が皆小型化しているわけではありませんので、原人とホモ・サピエンスとでは対照的です。「両者が経験した時間が違う」というのは正しい指摘ですが、現代社会では身体サイズを下げるメリットがありませんので、数十万年後であっても、日本列島を含む島のホモ・サピエンス集団がどんどん小型化していくことはないはずです。
 さらにどちらも海を越えたことは確かですが、両者の渡海はスケールが全く違います。ちなみにゾウは泳ぐのが得意で、東南アジアの島々でもオーストラリアに近いティモール島まで進出していました(今は絶滅していますが化石が見つかっています)。小型のネズミ類は漂流しやすいためか、オーストラリアまで到達しました。一方で原人の分布域は、フィリピン群島からインドネシア群島にかけて、ゾウの分布範囲よりもやや小さな範囲にとどまっています。そこで1つのシナリオとして、「原人たちは大陸から近い島に漂着したが、そこに閉じ込められてそれぞれ独特な進化を遂げた」という仮説が導かれます。
 この仮説は証明には至っていませんが、何はともあれ明らかなことは、ホモ・サピエンスの海洋進出は対照的で、巨大な海流を越え、遠くの見えない島々におよび、やがて太平洋の中心部を含む地球上の全ての海を制覇したという事実です(図5)。つまりこれは、単純な海を渡ったか渡らなかったかの話に帰すべきではなく、どのような海をどう渡ったのかという次元で考えるべき問題だと思うのです。
 過去の人類に対する私たちの認識は、いくつかの点で修正されなければなりません。まず、原人が海を越えたことはもはや事実ですから、それを説明して原人のことを捉え直さなければなりません。一方で「原人には越えられなかったけれど、ホモ・サピエンスは突破した壁」というものが明らかに存在し、それを数万年前(後期旧石器時代)から成し遂げた祖先たちがいる、ということも確かです。そしてそこには、偶然を越えた「未知への好奇心」や「挑戦心」という人間の心理が、垣間見えるような気がするのです。
 私は、原人たちの知られざる世界と比較しながら、後期旧石器時代の祖先たちが積み上げてきた、そうした挑戦の歴史を解き明かしたいと考えています。その1つの取り組みが、昨年完結した実験航海のプロジェクトでした(図6)。草、竹、木と原始的な舟で海を渡ることの現実を体感したその内容と、「祖先たちはなぜ危険な海に出て行ったのか」という疑問への私なりの回答は、拙著「サピエンス日本上陸」(講談社)に記しています。


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図1 インドネシアとその周辺地域.薄いグレーの領域は海面下120 m 以浅の海域.背景地図はGeoMapAppで作図.

図2 フローレス原人の骨格化石を前にした筆者(右端).いかに小さな人類だったかがわかる.

図3 想定されるフローレス原人の小型化の程度.

図4 70万年前の人類化石や石器が発見されたソア盆地の発掘地.

図5 ホモ・サピエンスによる海洋進出の証拠.古い「初源期」(点線)とその後の「発展期」(グレーの矢印)の移住を色分けしてある(海部陽介著「サピエンス日本上陸」から講談社の許可を得て転載).

図6 実験航海プロジェクトのタイトルサイン.