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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime23Number1




マリーの部屋

森 洋久

 「マリーの部屋(Mary's Room)」または「スーパー科学者マリー(Mary the super-scientist)」と呼ばれる哲学的思考実験は、フランク・ジャクソンが「随伴現象的クオリア」"Epiphenomenal Qualia" (1982)、さらに「マリーが知らなかったこと」"What Mary Didn't Know" (1986) という論文の中で提示したものである。
 聡明な科学者であるマリーは色覚に関する研究を行っている。なんらかの事情によりあるときから、白黒の部屋に閉じこもり、外界の情報も白黒テレビを通してのみ接するようになった。マリーの研究は、熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる色彩についての情報を物理的、神経生理学的に捉えることである。このマリーが白黒の部屋から開放され、あるいは、部屋にある、テレビがカラーになったときになにがおこるだろうか。なにか新しい知識を得るだろうか。というものだ。
 これは、知識として得られる情報と、感覚の情報はどのように関係しているのか、ということを問う思考実験である。感覚を知識に転換することはできるが、知識を感覚に転換することはできるだろうか、という問いである。
 類似の議論は、時代を遡り、ウィリアム・モリヌークスが1693年3月2日付けの手紙でジョン・ロックにした質問も見られる。先天的な盲人が、球体や立方体を手で触れることによって、その幾何学的形状について知識を得ていたとする。この盲人があるとき視力を回復し、初めて目でその球体と立方体を見た時、それらに触れることなくどちらが球体でどちらが立方体かを告げることができるだろうか。ロックは、1694年刊の『人間知性論』第二版で、第2巻第9章「知覚について」でこの質問と、これに対すると自身の回答を書いている。このモリヌークスが提起した知覚の問題に対して、ロック、ライプニッツ、バークリー、その他の18世紀の哲学者が様々な思索や解答をしている。
 我々は見知らぬ土地へ行く時、あらかじめ地図で確かめることをする。目的とする宿は駅を降りてからどのように行けばたどり着けるか、交差点の角にお風呂屋があり、公園を通り過ぎるとそこに目的の宿がある、といった、あらかじめの「知識」があれば、実際に駅を降り立った時、初めて見る風景、道、たたづまい、にもかかわらず、確かに宿にたどり着ける。地図を眺めながら想像していたことが、実際に、その通りだった場合もあれば、そうでないこともある。
 我々の日常生活においても、初めて得る感覚とそれに対する前知識の差がさほど大きくない時、感覚は知識によって補完される。マリーにとって、白黒の世界と色に関する知識がと、実際に見たカラーの世界の差がさほど大きくなかった場合は、新しくみるカラーの世界は、マリー自身にある種の発見をもたらしながらも、「そうこれは『赤』ですよ、これは『青』ですよ」と知識と感覚を即座に結びつけることが可能かもしれない。しかし、それがかなりの距離がある場合、全く認識はでず、色の世界へ戻ってきたことも認識きない可能性もある。
 18世紀の哲学者たちの思索を総合すれば、おそらく、知識と知覚が離れすぎていて、マリーは色を認識できないという、もし後者の立場から出発したとしても、マリーはカラーの世界で経験を積み重ねて行くにつれて徐々に色の身体性を獲得していくだろう。
 話は変わって、コンピュータのディスプレイはRed, Green, Blue の三原色によって自然な色を再現している。これを、三原色色覚という。色は光の波長に対応している。可視光の波長は400nm から800nm程度までの間の波長に分布している。波長が短くなるほど青、長くなるほど赤色となる。音ならば、波長の異なる音を二つ重ねると和音になる。重ねた二つの中間の波長の音になることはない。しかし、色の場合、すべての場合ではないが、二つの波長の異なる色を重ね合せると、ほぼ中間の周波数の色と同じになる(グラスマンの法則)。また、人間の目は、虹の色にはない、白という色を認識するということも、光が波動であるということだけからは説明がつかない現象である。これらの現象は、三原色という考え方を持ち出せばある程度理解できる。
 人の眼底には、4種類の視細胞で埋め尽くされている。そのうち3つは色を認識するもので錐体細胞と呼ばれるものである。残りの一つは明暗を認識するもので桿体細胞と呼ばれるものである。それぞれの錐体細胞はそれぞれの感光特性をもっており、それぞれの錐体細胞がどの程度興奮するかによって三原色の混合の割合が決まると考えられる。
 だが事態はそんなに自明なことではない。3つの錐体細胞は、それぞれ、異なった色の感度のピークを持つものの、互いの錐体細胞の色も、若干ではあるが反応するのである。つまり、は赤色を見ても、Rの錐体細胞だけが反応するのではなく、微量ながら、B やGの錐体細胞も反応しているのである。
 1920年代〜1930年代にかけて、ウィリアム・デビッド-ライトとジョン・ギルドによって、行われた様々な実験によって、この複雑な問題が、CIE1931色空間というモデルにまとめられた。このモデルによれば、虹色の緑と青の間の色に、三原色では表すことができない色がある。たとえば、500nmの単波長の色は、GとBを少量足したものから、Rを引くことができなければ実現できない。実際にこのようなことはできないので、500nmの単波長の色は三原色では実現できないのである。さて、その実現できない色がどんな色か、ここで示すこともできない。なぜならば、印刷物も三原色によるものだからだ。実際にプリズムで太陽の光を分光してたしかめてほしい。
 そもそも、現代の印刷物や最先端のカラーディスプレイの色システムは、この1930年前後に行われた実験に基づいていることも驚きであるが、人間の色覚は複雑な構造をもっている上に、個人差、民族差がある。さらには、配色や光の増減、様々な動的な環境変化の中で大きく色の感じ方は変化し、色にまつわる様々な錯覚現象があることも、よく知られたことである。そういった複雑な感覚の機構が、解明されているわけではない。
 昨今、都会人たちは、RGB系列の様々な機器を絶え間なく使うようになった。直接目視した時に美しいものではなく、RGBディスプレイに映し出されたときに美しい商品が売れ、CanonやEpsonの大型プリンターで出力したようなファッションが蔓延する。また、CO2排出量削減と称し、LED照明が普及し、生活環境そのものがRGB化している。このような急速な人工発色の普及は、色への感受性の多様性の崩壊につながっていく。
 言ってみれば、現在、世界中で「マリーの部屋大実験」が進行中なのである。テクノロジーは世界中の都会人たちを「RGBマリーの部屋」に閉じ込めている。マリーはその部屋から開放されたが、都会人たちはいつ開放されるのだろうか。

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