東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime23Number1



IMT特別展示
特別展示『ルドベック・リンネ・ツュンベルク-ウプサラ博物学
 三代の遺産より』および『アヴェス・ヤポニカエ(4)

松原 始

 学術文化総合ミュージアム・インターメディアテクでは、2018年4月24日より8月26日まで、特別展示『ルドベック・リンネ・ツュンベルク-ウプサラ博物学三代の遺産より』を開催している。
 この展示はウプサラ大学との協働により、双方で交換展示を行う計画の一部である。ウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」では2017年9月から2018年2月にかけて、東京大学総合研究博物館の所蔵する阿部正直関連の気象学資料を展示した。そして今回はウプサラ大学より、ルドベック、リンネ、ツュンベルクというスウェーデンの生んだ偉大な自然史学者ゆかりの物品が貸し出され、インターメディアテクにて展示されている。
 この展示は出版物や博物画から見る18世紀自然科学という側面を併せ持っている。この時代には正確な図像が出版物に含まれるようになり、飛躍的に情報量が増大した(ただし、大判の彩色図版は高価で贅沢なものであり、廉価な本にはせいぜいモノクロ図版を少数掲載するのが精一杯であった)。それと同時に、そのような図版を製作するために、科学と芸術が不可分となった時代でもあった。
 スウェーデンにおける自然史学の黄金時代は、オロフ・ルドベック(父・ルドベックには同名の息子がいる)に始まる。多方面に才能を発揮したルドベック(父・1630-1702)は1689年から1700年代初頭にかけ、12巻からなる大著「花図鑑」を著した。膨大な数の図版は、ルドベック(子)や、スイスから招聘されたテロット一家も手がけている。
 テロットは画工であり機器製作者でもあったが、テロットの息子たち、およびスウェーデン初の女流画家となる一人娘アンナ・マリーア・テロットも、父の手ほどきを受けて画工として参加している。彼女は疫病のため、わずか26歳で夭折したが、スケッチブックはグスタヴィアヌムに寄贈され、今回の展示では「花図鑑」と並んで収められている。
 図譜への愛好が高まる中で発行されたのが、オロフ・ルドベック(子・1660-1740))による『鳥図鑑』であった。これは1693年頃から1710年にかけて描かれており、原寸大の彩色画という点ではオーデュボンの『アメリカの鳥類』と同じながら、100年以上古い。「アメリカの鳥類」と異なり、雌雄差や生態を示す図像とはなっていないが、静物画的な構図はむしろ我々の考える原色図鑑に近い。
 なお、本展示では「図像の威力」を実感してもらうため、アオサギとカワアイサの原寸大図版の隣に、実際の剥製を展示している。アオサギの佇まいや、カワアイサの嘴の描写の正確さなど、比較してみるとよくわかるだろう。
 ルドベックの次の時代を担ったのが、かの「リンネウス」、カール・リンネ(1707-1778)であった。リンネはウプサラ大学で植物学を学び、オロフ・ルドベック(子)の個人教授を受けている。オランダで医学や園芸を学んだ後、ウプサラに戻った彼は医学、植物学の教授として就任する。この時代、植物学は薬学の一部であり、医学とも密接であった。
 リンネの最も重要な研究成果である「自然の体系」は、展示空間の中央を占めている。このうち、1735年発行の初版本は花の構造に基づいた植物の分類リストのページを見せてある。初版は植物のみを扱っているが、それにしても本の薄さに驚く。これはいわば分類表であって、その図表こそが真髄だったからである。
 1748年の第六版では動物が追加され、さらに1760年の第十版では重要な進展があった。二名法、すなわち属名と種小名による学名が導入されたことである。ただし二名法そのものはギャスパール・ボアンが17世紀に提唱している。リンネの功績は、動植物すべてに、統一的な学名のシステムを当てはめ、後代まで受け継がれるような、リーズナブルな分類体系を展開してみせたことと言えよう。特に「属名と種小名」という、下位分類や類縁関係を的確に示す体系的な学名を定着させた功績は大きい。
 三代目はカール・ペーター・ツュンベルク(1743-1828)である(ツンベルク、ツンベリーの表記が多いが、今回はこの表記とした)。リンネは自宅で個人的にも講義を行い、その際は、講義室である二階の部屋から人があふれ、階段にまで達したという。そのような生徒たちの中で、特に熱心で優秀な人々は使徒になぞらえられた。使徒の一人であったツュンベルクはオランダ東インド会社の船医としてアフリカ・アジアを周遊し、日本にも1775年から1776年にかけ、15ヶ月にわたって滞在した。ここに、ツュンベルクと日本の深い関わりが生まれる。
 この当時、江戸幕府は外国人の行動を特に厳しく制限しており、出島から出ることはもちろん、通詞のもとを自由に訪ねることもできなかった。その不自由の中でツュンベルクは日本人に西洋医学を伝え、一方で蘭学者や通詞たちはツュンベルクのために植物標本や文物を集めた。この時に持ち帰られた漆器や煙管、印籠などが、今回、里帰り品として展示されている。ツュンベルクは日本の文化に対して非常に好意的なだけでなく、煙管の使い方を詳述するなど、大いに興味を惹かれた様子である。
 帰国後も、彼と日本との繋がりは続いた。
 1824年、ある書簡が晩年のツュンベルクのもとに届いた。日本滞在中に親交のあった通詞、茂節右衛門の息子である伝之進が、父の師であるツュンベルクにあてた手紙を書き、長崎に滞在中のフランツ・フォン・シーボルトに託したのであった。彼らの往復書簡は10通あまりにのぼるが、そのうちの1通、伝之進からツュンベルクへの手紙が、今回展示されている。巻き紙を掛け軸のように縦に使い、茶筅など日本の文物を淡彩で描いた上から、流麗な筆記体で綴られたオランダ語の書簡である。そして、手紙の下半分には、ツュンベルクが植物学者であることを意識してであろう、花をつけた木瓜の枝が描かれている。
 展示のために来日したアールンド教授が、ツュンベルクの肖像画を開梱しながら言った言葉が忘れられない。
 「彼はまた日本に来られて喜んでいるよ、見てごらん、こんなにいい笑顔じゃないか」
 もう2点、ウプサラより借用した重要な展示品に触れておこう。一つは、ツュンベルクが実際に用いた顕微鏡である。拡大像を磨りガラスに投影し、一種のライトボックスとして使用できるところに特徴がある。  当時、詳細な観察スケッチは非常に重要であった。このような機器、あるいは肉眼による観察がどのように使われたかを示すのが、チャールズ・デ・イエール(1720-1778)に関する展示である。彼はプロをも凌ぐアマチュアとして大成した、スウェーデンの実業家にして昆虫学者だった。今回、手書きのメモとスケッチを綴じた私家本、そのスケッチから起こした銅版、さらに、銅版から転写された印刷物の3つがセットで展示されている。何人もの学者や画工の目と手を通じて残されてきた、図像による博物学の姿が、本展示のもう一つのテーマである。
 日本の本草学も図像を重視していた。ツュンベルクは持ち帰った日本の図鑑を通し、洋の東西を問わず、図と文章がセットとなる形の「博物学」が存在することを知っただろう。一方、ツュンベルクが帰国後に著した「日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)はシーボルトによって日本に持ち込まれ、これが日本の蘭学者によって翻訳されて、「泰西本草名疏(たいせいほんぞうめいそ)」として出版される。ここにはもちろん原文と同じく、リンネ式の分類体系と学名が採用されている。明治維新以前に日本と交流を持ち、西洋の学問を伝え、日本から標本を持ち帰り、その研究成果がまた日本に持ち込まれ…… こうした応酬の中で学問が育っていったことを考えると、スウェーデンが近しいものと感じられてくる。
 本展示では、東京大学総合研究博物館、および理学部植物園の所蔵する、日本の本草学、博物学にまつわる物品も、図像を中心に展示している。
 同時に、特にこれと関連させたわけではないが、収蔵展示室Studioloにおいて、「アヴェス・ヤポニカエ(4) ディテールへの執念」を開催した(6月23日に終了)。
アヴェス・ヤポニカエは、日本画に描かれた鳥と、絵と同じ種の剥製標本を並べて配置し、実物そのものである剥製と、画家の目を通した「リアル」である絵を見比べるというシリーズ展示である。
 このシリーズでは河辺華挙が江戸末期から大正時代にかけて編纂した、「鳥類写生図」を展示している。これは粉本、すなわち、実物を前にしての眞写(スケッチ)が不可能な時に手本とする、いわば「紙に描いた標本」であり、設定資料集である。
 アニメの設定資料には、キャラクターの特徴、立ち姿、細かいポーズの付け方、髪型など「そのキャラらしく描くための注意点」が細かく指定されている。アニメーターはそういった元設定に基づいて絵を描くのだ。これはまさに、粉本と同じ役目である。 そう思ってみると、粉本の執念深い描き込みが非常によく理解できる。例えばヨシガモの脇腹にある、細かい漣模様を羽毛1枚づつ描き出す、といった執拗な手技である。後ろから見た頭部の飾り羽の様子や顔のクローズアップは墨色一色の線描で示されており、まさに彩色前のセル画である。また、アカハジロの幽かな灰色は単に色を塗っただけでは表現しきれなかったのであろう、和紙の裏から胡粉を塗る裏彩色が施されている。このような細部を理解してこそ、そして、その上で日本画としての決まった構図に落とし込んでこそ、日本画に描かれる鳥は完成したのだということを、この巻物は示している。絵の奥に配された剥製を画家と同じ視線で見てみれば、カイツブリの足を鱗1枚まで描くとはどういうことか、そこに空恐ろしささえ感じられるであろう。


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図1 展示会場.(撮影・松本文夫)

図2 『自然の体系』スウェーデン語訳第二版.
(ウプサラ大学図書館所蔵)

図3 カール・ベルクヴィストによるデ・イェール著
『昆虫の自然史としての記録集』の銅版挿図.
(ウプサラ大学図書館所蔵)

図4 アヴェス・ヤポニカエ(4)よりトモエガモ.