東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime22Number3



本館特別展示
大森貝塚と陸平貝塚のあいだ―知られざるモース発掘資料を探る―

初鹿野博之(宮城県教育庁文化財保護課・本館研究事業協力者/考古学)

 1877(明治10)年に来日したエドワード・S・モースは、横浜から東京に向かう鉄道の車窓から大森貝塚を発見し、日本で初めての科学的な発掘調査を実施した。モースは東京大学の初代動物学教授として教鞭をとり、1879(明治12)年に彼が帰国した直後には、弟子の佐々木忠二郎と飯島魁が陸平貝塚(茨城県美浦村)を発見し、その発掘を日本人のみで行った。大森貝塚と陸平貝塚の報告は東京大学の紀要第1号として刊行され、日本の人類学・考古学黎明期を飾る学史上重要な遺跡として広く知られている。両遺跡の標本について、本館人類先史部門では2003〜2006年度にかけて、現存状況の確認調査を実施し、その成果は標本資料報告第67号『陸平貝塚出土標本』(2006)と同第79号・84号『大森貝塚出土標本』(2009・2010)として刊行してきた。
 しかし、モースがおよそ2年間の日本滞在中に発掘した遺跡は大森貝塚だけではない。大森貝塚報文の冒頭には、以下のような記述がある。
 「大森貝塚についてのこの紀要を準備する間に、私は、蝦夷西海岸小樽、函館の同種の貝塚、東京市内の二、三の貝塚、また九州肥後国では最大級の広がりと厚さをもつ貝塚を、後に名前をかかげる諸君とともに調査した。これらの貝塚のどれからも大量の遺物が蒐集されたが、今それらは東京大学の考古学博物館にある。」(E.S.モース著、近藤義郎・佐原真編訳『大森貝塚』岩波書店、1983年)
 このうち、東京市内の貝塚は小石川植物園内貝塚(文京区)と西ヶ原貝塚(北区)、九州肥後国の貝塚は大野貝塚(熊本県氷川町)ということが分かっている。しかし、モースによる調査については、これまで文献で断片的に紹介されることはあっても、その具体的な内容が把握されたことはほとんどなかった。今回、大森貝塚や陸平貝塚の標本調査を進めていく過程で、これらの遺跡の標本も人類先史部門に現存することが確認されたため、継続的に調査を進め、その全体像を明らかにするに至った。
 モース調査標本を特定する根拠となったのが、彼が晩年を過ごしたアメリカ・マサチューセッツ州セイラムにあるピーボディー・エセックス博物館に所蔵されている遺物図である。現地で図面を実見したところ、小樽・函館・小石川・大野貝塚などから出土した土器・骨角器の図101点が確認された。本館所蔵の大森貝塚遺物図と同様、実測に使用された補助線や針の穴があり、モースが日本人画工に指示して描かせた実測図と考えられる。
 もうひとつ特定の根拠となったものが「東京大学理学部博物場」の番号注記である。博物場はモースの提言により、1880(明治13)年に当時東京大学があった一ツ橋に開設された、日本初の大学博物館である。その一画に「古器物」陳列室が設けられ、大森・陸平出土遺物をはじめ、国内外の土器・石器・民族資料など2千点以上の標本が展示されていた。前述の大森貝塚報文中にある「東京大学の考古学博物館」とは、この博物場の陳列室のことで、1884(明治17)年には展示品目録が出版されている。標本には目録と一致する番号が赤字で注記されており、今回照合した結果、200点以上の標本の出土地を特定することができた。
 上記成果の詳細については、本館の標本資料報告第116号『E. S.モース関連標本』にまとめてある。
 最後に、なぜこれらの標本がこれまで知られずに埋もれてきたのか、という点に触れておきたい。1つめの理由として、報告書が未刊に終わったことがある。大森貝塚報文中では「第二冊には、蝦夷・東京・肥後の貝塚の土器を示す予定である」としており、ピーボディー博物館所蔵の図面からも準備を進めていたことが分かるが、結局出版には至らなかった。2つめの理由として、完形の土器がほとんどないことが挙げられる。大森貝塚や陸平貝塚はそれぞれ数日間かけて発掘されており、特徴的な文様をもつ完形の縄文土器が複数出土していることから、その後の研究においても「大森式」「陸平式」が設定されるなど、注目されてきた。しかし、それ以外の遺跡の発掘は半日〜1日程度で行われていることもあって、大部分が破片資料である。全国各地を行脚したモースは、遺跡の存在を知ると直ちに発掘に赴いている。例えば、北海道の小樽に到着した際に、近くに遺跡があることを知ると、現地の鍛冶屋に採掘道具を作らせ、その日の午後に発掘を行っている。また、西ヶ原貝塚を見に行ってその場で発掘を始めたところ、地権者に咎められたことを同行した外山正一(文学部教授)が記している。これらの遺跡の出土遺物は、モースの日本先史時代への情熱を物語るとともに、破片資料であっても特徴を余さず報告しようとするモースの学問的姿勢を示すものとして、学史の1ページに加えておきたい標本群といえる。

東京大学総合研究博物館 併設展示
『人類先史、曙ー東京大学所蔵明治期の人類学標本』
会 場:東京大学総合研究博物館、1階展示場第3室
会 期:2017年10月20日(金)より継続中
休館日:常設展示期間中は土、日、祝日休館
時 間:10:00より17:00まで(ただし入場は16:30まで)
アクセス:東京都文京区本郷7-3-1 地下鉄丸ノ内線・大江戸線本郷三丁目駅下車、徒歩7分
入館料:無料
ハローダイヤル:03-5777-8600


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小石川出土土器.

大野貝塚出土土器.

モースコレクションを中心とした、明治期の人類学標本の展示.