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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime21Number3



インターメディアテク連続展示
『東京モザイク』―東京の都市記号学

大澤 啓(本館インターメディアテク寄付研究部門特任研究員/美学・美術史学)

 インターメディアテクでは、連続展示『東京モザイク』の第二弾を3月9日に開始した。昨年3月に始まった本展示シリーズでは、巨大都市東京の渾然としたヴィジュアル・アイデンティティを捉えるべく、各回で異なる「20世紀の東京像」を検証している。
 世界に発信されている「東京」とは、多種多様な記号集合体であり、具体的なイメージや統一的な概念に固定されたものではない。都市計画、広報や観光誘致を目的に、都や政府が発行する公的資料に見られる「理想都市東京」に対し、個人や民間組織が生み出した一時的印刷物(エフェメラ類)に紹介される「東京の実相」は多様であり、相容れない要素を含んでいる。地図、絵葉書、報道、宣伝広告、国内外向け観光ガイドを含むエフェメラ類は、多角的な東京像を形成し、歴史のナラティブに残る単一化されたイコノグラフィーとは対照的である。『東京モザイク』では、そのギャップを明らかにした上で、普段注目されることのない資料を介して、東京をめぐる視覚文化を記号学的な観点から分析する。
 昨年開催された『東京モザイク(1)― 帝都復興』では、近代東京の原像を形成する上で基礎的な役割を果たした、関東大震災に端を発する帝都復興運動を取り上げた(図1)。震災復興をめぐる調査報告や都市計画など、当時発行された膨大な資料体は近代都市東京の輪郭を描いた。なかでも、工学部教授内田祥三(1885-1972年)の監修のもとに旧東京帝国大学が纏めた各地区の写真調査や、同大学営繕課が編集した学内の『震災復旧営繕工事報告書』は興味深い。復興に向けた基礎的な調査資料は建物の耐久性や損害の分類に注目し、同時代のセンセーショナルな報道やニュース絵葉書と全く異なる東京像を生み出した。
 開催中の『東京モザイク(2)― 新生日本の貌』では、戦後まもなく発行された観光PR資料を纏めて紹介している。廃墟と化した首都は、東京オリンピックが開催される1964年までの僅か20年で復興を成し遂げると同時に、巨大都市として国際的に通用するイメージを形成した。復興の過程を記録した報道写真はよく知られている。しかし同時期のエフェメラ類を調査すると、記号論的な次元で複雑なプロセスが繰り返されたことが分かる。具体例を挙げよう。日本地図株式会社が終戦直後に発行した『帝都近傍圖 戰災燒失區域表示』は、その題名の通り、戦災を受けた地区を赤色で示し、その被害の規模を鮮明に伝えている。その僅か1年半後の1947年、東京都は外国人向け観光地図『Tokyo and Vicinity』を鮮やかな多色刷りで発行する(図2)。調査目的の地図と観光宣伝媒体とは性質が異なるものの、ここまで対照的な地図が同じ都市を示しているとは考え難いほどである。
 東京の復興と国際化に向けて、進駐軍を中心に行われた「記号のリセット」は、都市全体を変貌させた。旧東方社のメンバーが設立した出版社の文化社は1946年4月25日に『東京・一九四五年秋』と題した写真集を発行した。木村伊兵衛(1901-1974年)らによる写真には、英語表記の標識で埋め尽くされた都会風景が写る。同じく、1945年11月11日に神宮外苑球場で米軍主催のロデオ大会が行われ、翌年に改装が完了した国技館は「メモリアルホール」の名でスケートリンクに化ける。東京の象徴的な場所が本来の機能を失い、そこに新たな機能や意味がすり替えられた上で、戦後東京の観光戦略が発足したことが、このエフェメラ類において示されている。次第に新たな東京名所が指定され、その魅力が優れたデザイナーの仕事によって国内外に伝達され、1964年オリンピックに向けて「新生日本の貌」が構築されるプロセスを、本展示を介して振り返っていただきたい。

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図1 『東京モザイク(1)― 帝都復興』展示風景. インターメディアテク展示室「BIS」/2016年3月8日・5月8日/主催:
東京大学総合研究博物館/研究助成:DNP文化振興財団.

図2 観光地図『Tokyo and Vicinity』.1947年/東京都発行
/新世界通信社編集・印刷/紙に多色刷り/750×530ミリ.