東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime18Number2



特別展示
「驚異の部屋−京都大学ヴァージョン」開催にあたって

松原 始(本館インターメディアテク寄付研究部門特任助教/動物行動学)

 紅萌ゆる丘の花 早緑匂う月の色
 都の花に嘯けば 月こそかかれ吉田山

 京都大学は筆者の母校でもあるが、旧制第三校等学校のテーマソングであった逍遥の歌の通り、どことなく浪漫の香りを漂わせたバンカラの聖地である。一方、東大側の旧制第一高等学校寮歌が「嗚呼玉杯」であり、「行く手を阻むものあらば 斬りて捨つるに何かある 破邪の剣を抜き持ちて(中略)金波銀波の海静か」と勇壮であり王道、悪く言えば覇権主義で帝国主義的であるのとは対照的とも言える。京都大学の前身とも言える舎密局の設立は1869年、高等学校令により第三高等学校ができたのが1895年。そして京都帝国大学が設立されたのが1897年である。東大の元祖を1877年の「東京大学」とすれば、20年たって作られた第二の国立大学ということになる。
 最高学府を含め日本の新しき物、中心となる物が全て東京に集まった時代に、わざわざ「京都」帝国大学を設立した理由は、(京大の某教官に言わせれば)「あらゆる意味で政治に近すぎる官僚養成校であった東大に対し、もう一つの最高学府をもってカウンターウェイトとする」ことであったらしい。この説に従うならば、京大は生まれた時からアンチ東大の宿命を背負っていたとも言える。
 京都大学は未だに東京大学に対して奇妙な対抗意識を持っており、研究費や偏差値で二番手でありながらノーベル賞(理系)の数で凌ぐことを誇りとし、学会においてはいかに独創的で面白い(言い換えれば破天荒で成功の保証のない)研究を披露するかに血道をあげ、学生たちは自らの垢抜けない風体物腰を自嘲と自負をこめて「イカキョー(いかにも京大)」と呼ぶ。そこには「お上にべったりの優等生と一緒にしないでもらいたい」という独立独歩の反骨が潜む。これを「京大関係者の共通認識である」と主張すれば飛躍が過ぎるだろうが、学生時代から京都大学に十数年間在籍した身としては、そのように感じられて仕方ない。

 さて、このたび、東京大学総合研究博物館は京都大学総合博物館と恊働し、「驚異の部屋?京都大学ヴァージョン」と銘打った企画展示を行うこととなった。この企画は、京都大学に残された旧制第三校等学校、京都帝国大学時代からの標本から50点を選び、東京大学総合研究博物館のプロデュース、デザインをもってインターメディアテクに展示しようとするものである。東京での展示は2013年11月1日から2014年5月25日まで開催され、その後、同様のパッケージングによる展示を京都大学総合博物館で開催する予定である。展示品は少数精鋭に絞り、展示デザインも含めたミニマムなパッケージングによって機動性を高め、展開・撤収を容易なものとする… そう、この企画展示は総合研究博物館が手がけてきたモバイルミュージアムとしての性格も併せ持つと言えるだろう。
 このような学術遺産の恊働利用は初めての試みであるが、東大総合研究博物館の自負する展示デザイン、MADE IN UMUTが他館にも認められたという点で嬉しく思う。一方、「丸の内に京都大学がやって来た」と聞けば、少なからぬ人が興味を引かれるに違いない。また11月28日には京都大学総合博物館館長の大野先生をお迎えし、東大×京大の館長対談も予定している。

 この企画にあたり、筆者は標本調査のために京大総合博物館を訪れる機会を得た。京大総合博物館は2001年に開館したので、筆者も京大にいた頃、何度か訪れた事はある。だが、今回は初めて、博物館の心臓部たる収蔵庫に入ることができた。
 羨ましいほど立派な庫内を案内して頂き、目当ての三高・帝大時代の標本を目指す。黒漆の台座に据えられた、埃をかぶった骨や剥製… ああ、これは見慣れた旧帝大の遺産だ。日焼けし、ひび割れた紙に墨書されたデータ。鉛筆の走り書き。タイプライターで打たれたラベル。鉄と真鍮とニスがけした木材の佇まい。それは東大の古い標本と同じく、百年の時を飛び越えて、当時の学術研究の場を思い起こさせるものである。

 だが、よく見れば微妙な違いに気づく。標本の多くに「島津」のタグがつけられているのだ。島津製作所は京都を本拠地とする会社である。東大にも島津製の標本はあろうが、京大ほど多くはない。そのせいだろうか、鉄製のリングに支えられて宙に浮いたダチョウの卵の標本(図1)など初めて見た。化学実験のようでもあり、あるいはエッグスタンドやコート掛のようでもあり(京大の収蔵庫には支柱を卵が取り巻くようなデザインのものもあった)、大変興味深い。
 京大標本はかなりの部分が国産である。東大ができた時、日本には教材にすべき標本がなかった。だからせっせと海外から物品を購入した。京大に残された標本は、海外の物品を手本として作られた国産品の第一世代であろう。東京大学の設立から京都帝国大学設立まで20年、その間に、日本は海外から買い付けなくても、舶来品を手本に自ら制作できる時代になりつつあったのである。
 筆者が学んだ京大教養部(現・総合人間学部)の生物の授業には、古びた標本が次々と出て来たものだった。教卓の端から端まで所狭しと並んだ標本の中には、三高由来のものもあったかもしれない。実は、筆者は京大在学中に教養部の標本庫に入ったことがある。タヌキの骨格について知りたいことがあったので、故・小林教授を訪ねたのだった。その時に「君、これは何だかわかるかね?」と指差しておられた古いゾウの頭骨を、今回の訪問でも確かに見たと思う。カモノハシの剥製もその時に見かけて驚いた記憶がある。当時は深く考えなかったが、あれは三高、帝大の時代から受け継がれた標本であり、後に京大総合博物館へと受け渡されたのだろう。

 今回の展示には、筆者は浅学にして見た事も考えたこともなかった標本が登場する。例えば巨大なカイコの模型。紙粘土に彩色した、分解して体内を見ることが可能な模型だ。同じような発想の教材模型はもちろん、他にもある。当博物館もウシの解剖模型を所蔵している。だが、これはカイコだ。その背中をパカッと取り外すと内部構造が見えるようになっている。実物大では作るにも見るにも小さすぎるので、約10倍の拡大模型だ。理屈はわかるが、全長50センチのカイコは、もはやモスラである。その内部を見るというのは、大伴昌司のウルトラ怪獣図鑑の趣がある。
 あるいはミツバチの拡大模型。これも拡大率は20倍ほどだ。全体を褐色にしてあるので、一見するとミツバチに見えない。第一、サイズ感があまりに違いすぎて、昆虫に対する識別眼が働かない。あまりの存在感に最初はスズメバチなのではないかと思ったが、よく見ると脚の特徴がミツバチのものだと気づいた。もとの所蔵は農学部。昆虫学の基礎を学ぶためか、それとも養蜂を学ぶためか。この模型は日本製だが、セイヨウミツバチなのだろうか。時代の持っていたある意味で無邪気な発展・発達への渇望は後の時代に生態系への影響までも引き起こすことを予見し得ただろうかと、ふと考える。
 さらに、収蔵庫の棚にさり気なく置かれていた、妙に細長い大きな魚の剥製(図2)。埃をかぶったガラス越しに見える姿は、まるでウナギのように長い。だが、ガッと開けた口が、明らかにサメだ。ラブカだ! しかも全長1メートルを軽く超える立派なものだ。ラブカは原始的なサメの一種だが、明治時代に相模湾で捕獲されて記載された種である。ミツクリザメと共に日本発の珍種だ。
 あるいは教育用掛図。掛図はIMTでも展示しているが、今回見つけた中にはオトヒメノハナガサというヒドロ虫類を描いた彩色図があった。描かれた図は、恐らく、西洋の図鑑か論文の図版を模写したものだろう。だが、その筆遣いは、どことなく日本画である。赤と白を基調に、しゃなりしゃなりと水に揺れるような絵と「乙姫の花笠」という名前からの連想か、ついつい白粉や紅が思い起こされ、なにやら美人画か、彼岸花の習作を見ているような気分だ。赤の上から白を重ねた部分を見ると、西洋の透明水彩ではなく胡粉、日本画の画材なのかもしれない、などと妄想してしまう。実際、こうした掛図はお抱えの画工、あるいは芸大の学生に描かせていたはずであり、時に手慣れた自分の画風が出て来たに違いない。原画ではペンとインクで、あるいは活字によって記されていたであろう学名も、どこか見慣れた線で描かれているように見える。恐らく、行書に慣れた筆でアルファベットの活字体を横書きしたのだろう。この、「重厚でハイカラなのに、どことなく和風」な空気が、妙に気分をなごませてくれる。西洋料理店で恭しく供されるハヤシビーフのように。
 往時、教授が講義を行う教卓にはモスラの幼虫のごとき模型が置かれ、取り外した部品を手に教授が解説したのだろう。あるいは教卓の横には、柳腰の美人画のごときオトヒメノハナガサの彩色画が掛けられている。ニュージーランドの珍鳥キーウィの剥製が惜しげもなく教材となる。そして研究室に行けば、ほんの20年ほど前に日本で採集され記載された新種のサメ、ラブカ(しかもタイプ標本と同じ相模湾で採れたものだ)の標本が鎮座している。鉱物学の研究室では、先日噴火した一切経山の調査から戻った教授が火山灰標本を持ち帰ったという話だ… これを筆者の学んだ京大の姿と重ね合わせると、不思議に違和感なく、その想像の中に遊ぶことができるのである。紅萌ゆる都の息吹を、これら京大標本から感じ取って頂ければと思う。

 最後に、本展示の開催にあたりご協力を賜った、京都大学総合博物館、京都大学大学院・人間環境学研究科の皆様、展示品解説を執筆頂いた東京大学総合研究博物館の皆様、展示準備に協力頂いた東京大学博物館工学ゼミの学生諸君に心からお礼を申し上げる。

■展覧会基本情報
名 称:『驚異の部屋-京都大学ヴァージョン』東京展
会 期:2013年11月1日から2014年5月25日
時 間:11:00 - 18:00(木・金は20:00まで開館時間延長、入館は閉館時間の30分前まで)
    *時間は変更する場合があります
休館日:月曜日(月曜日祝日の場合は翌日休館)、年末年始、その他間が定める日
会 場:インターメディアテク3階企画展示スペース「MODULE(モデュール)」
主 催:東京大学総合研究博物館+京都大学総合博物館
協 力:京都大学大学院人間・環境学研究科
入館料:無料
住 所:東京都千代田区丸の内2-7-2 JPタワー2・3F
アクセス:JR東京駅丸の内南口より徒歩約1分、丸ノ内線東京駅地下道より直結

■『驚異の部屋-京都大学ヴァージョン』展実行委員会
大野 照文  京都大学総合博物館館長
関岡 裕之  東京大学総合研究博物館インターメディアテク研究部門特任准教授
寺田 鮎美  東京大学総合研究博物館インターメディアテク研究部門特任助教
冨田 恭彦  京都大学大学院人間・環境学研究科教授/研究科長
永益 英敏  京都大学総合博物館准教授
西野 嘉章  東京大学総合研究博物館館長・インターメディアテク館長
松原  始  東京大学総合研究博物館インターメディアテク研究部門特任助教
松本 文夫  東京大学総合研究博物館ミュージアム・テクノロジー研究部門特任准教授
本川 雅治  京都大学総合博物館准教授
元木  環  京都大学情報環境機構/京都大学学術情報メディアセンター助教
山下 俊介  京都大学総合博物館特定助教

■IMTカレッジ 「驚異の部屋-京都大学ヴァージョン」関連ディスカッション・イベント
東大×京大「二人の館長、『驚異の部屋』をおおいに語る」
日時:11月28日(木)18:00-19:30(開場17:30)
会場:インターメディアテク2階「ACADEMIA(レクチャーシアター)」
ディスカッサント:
西野嘉章(東京大学総合研究博物館館長/博物館工学・美術史学)×大野照文(京都大学総合博物館館長/古生物学)
定員:48名
料金:1,000円(事前チケット購入制)

■展覧会に関する問い合わせ先
TEL/03-5777-8600(ハローダイヤル)



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図1 ダチョウの卵 (Struthio camelus) 1907年3月購入
東京動物標本社/旧制第三高等学校旧蔵
京都大学総合博物館所蔵


図2 ラブカ (Chlamydoselachus anguineus)
1908(明治41)年1月採集/相模/島津製作所製
京都大学総合博物館所蔵.