東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime15Number2-3



小石川分館特別展示
「驚異の部屋」再考
  『ファンタスマ――ケイト・ロードの標本室』によせて

寺田鮎美 (本館研究事業協力者・日本学術振興会特別研究員DC2/文化政策・博物館論)
 「驚異の部屋」とは、大航海時代の西欧諸国において、王侯貴族や学者たちが不思議や驚異という感覚のままに、分野を隔てることなくさまざまな珍品器物を蒐集したコレクション陳列室のことを言う。その一角には、人魚、ドラゴン、ユニコーンの角といった架空の動物までもが並べられていた。これは、人々の無限に拡がる好奇心と飽くなき蒐集欲に支えられたコレクションの形成という点において、ミュージアムの原点と言うべきものである。一方、ミュージアムとは、ものごとを分類し、細分化することで、知を体系づけ、その価値観のもとに市民社会を形成してきた近代の産物にほかならない。コレクションは特権階級の私的な愉悦の対象から、公共的な財として体系的に意味づけられ、保存・公開されるようになる。しかしながら、前近代的な混沌を理性で制御したミュージアムの成立とは、まさに人々の知的発展でありながら、感覚的後退でもあると言えるだろう。なぜならば、すべてが眼に見え、把握されるものとする「視覚」という制度に支えられたミュージアムは、その制度下から外れた分からないものや曖昧なものを排除し、以前にあったはずの不思議や驚異という感覚を失わせていったからである。
 このようなミュージアムの成立や発展を自己批判的に捉え、その問題意識を自身で示してみせたのが、小石川分館の常設展示『驚異の部屋』である。東京大学現存最古の学校建築として国の重要文化財に指定されている小石川分館は、明治期に旺盛した擬洋風建築を現在の場所に移築再建し、2001年よりミュージアムとして利活用が図られている。常設展示では、その歴史的建築の内部に、1877年の創学以来、東京大学に蓄積された歴史的な学術標本を持ち込み、それらを用いて、「驚異の部屋」を現代に構築してみせている。これが近代以前の「驚異の部屋」の単なる再現を懐古主義的に目論んだものではなく、現代におけるミュージアムの知的活動として、自館の収蔵品である学術標本を活用して今日につくり上げた独自の世界である、という点に注目する必要があるだろう。ミュージアムが展示という基本機能を通じて、つまり人々の視覚を入り口として、どのように身体的、感覚的な驚きをその先に生みだすことができるか。これはミュージアムが自らの将来像の可能性を切り拓くための高度に知的な挑戦なのである。
 2010年11月6日−12月5日に開催された『ファンタスマ――ケイト・ロードの標本室』は、この挑戦を別の角度から捉えようと試みた展覧会であると位置づけられるだろう。本展では、オーストラリアの現代美術家、ケイト・ロードが人工的な素材を用いて表現する「フェイク」の動物・植物・鉱物の作品を小石川分館に招き入れ、ロードの標本室をその中に出現させた。小石川分館の常設展示を所与の条件とし、現代美術を一種のスパイスのように織り込むサイトスペシフィックな展示を再構成する。すなわち、小石川分館の空間内に展開されるロードの作品が時に既存の常設展示を侵食するかのように主張し、時にひっそりと片隅に潜み共存する光景をつくり上げた。タイトルの「ファンタスマ」とは「まぼろし」、「幻影」を意味するように、過去と現在、学術と芸術、実在と架空、という既存の領域を横断した重層的な未知の世界へと人々を誘い、常設展示とは異なる位相の新たな「驚異の部屋」的世界観を提示することによって、来場者に驚きや好奇心を喚起することが本展の狙いであった。さらに言えば、本展で見込まれる二つの来場者層、すなわち歴史や学術標本に関心のある当館のリピーターと現代美術に関心のある新規来場者層の両者にとって、新鮮な発見を与えることができるかどうかは本展の大きな課題であり、異分野を架橋するこの試みのバランスをとるための一つの指針であった。
 会場構成は、1階と2階で大きく性格が分けられる。1階部分は常設展示そのままの空間が広がる。小石川分館にロードの作品が招き入れられる、という展示コンセプトから、来場者は小石川分館が表現する「驚異の部屋」をそのままに体感することになる。中央階段から2階に上がる途中には、頭上のイッカクがロードの作品として初めて目に飛び込んでくる。これがまさに常ならず忍び込ませた「フェイク」のアイコンとなり、2階の展示室が常設展示をベースとした特別展示の空間となっていることを予兆する。2階は、ロードの標本室をイメージして構成された小部屋を中心に、医学の部屋、鉱物・貝類・珊瑚・昆虫の部屋、植物の部屋、工学の部屋の5つの空間で構成された。
 まず、ロードの標本室は、壁一面に深紅の台座に鹿の角や動物の頭部、珊瑚・ヒトデなどをモチーフとした樹脂による壁掛け作品が集約的に並ぶ。明治期のお雇い外国人であったW.E.エアトン教授の机として知られる中央奥の木製什器には、色鮮やかな樹脂の台座にフェイクファーやフラワーペーパーによる動物や植物が組み合わされたロード作品を中心に、骨格標本や剥製がずらりと並べられ、一種のキッチュな祭壇のように混沌としつつも神々しい世界観をつくり出して見せた(図1)。この小部屋からこぼれ出るかのように、ロードの作品を配置したのが、医学の部屋および鉱物・貝類・珊瑚・昆虫の部屋である。ここでは、展示台とした木製什器や本館の収蔵品を新たに持ち込み、小石川分館とロードの作品世界がともに織りなす空間として再構成するために、常設展示部分についても大きく組み換えを行った。窓際に配した二体の人体全身骨格と中央テーブルに置かれたヴィトリーヌ作品のピンクのラメの骸骨(図2)。さまざまな鉱物標本とそれを模したカラフルなポリエチレン樹脂作品(図3)。ロードが制作の着想源とした学術標本と作品とを、強弱をつけながら同じ空間内に配し、どちらがオリジナルでどちらがフェイクかは一見してわかるものの、両者のつながりを互いの存在を際立たせる鏡像関係に置いた。2階の脇に配された植物および工学の部屋では、まさに常設展示にこっそりとロードの作品が忍び込んだかのように、生薬瓶棚の上にはロードがその瓶を真似て制作した作品を数本加えるにとどめ、また工学機械の展示ケースでは一棚のみがロードの作品に置き換えられた。
 本稿が「驚異の部屋」の再考として省みようとするのは、現代美術の文脈におけるロードの作品批評ではなく、このような展示空間を通して見えてくるものとは何であるかという、先に述べた本展の目的に照らしたミュージアムとしての空間表現である。1階から2階へ、そして2階のそれぞれの部屋へと進んだ来場者は、モチーフの移り変わりとともに、ロード作品の密度により表わされた学術標本と作品間の物質的存在としての力関係の変容を体感することになる。この時、両者の間にハレーションがあればあるほど、この変容は強く違和感を引き起こし、インパクトのある体験となるだろう。さらに、すべてを見終わった時に、視覚に加え皮膚感覚による通時的な体験として統合される過程を経ることで、初めに意識されたはずの、常設展示とロード作品が加わった展示の入れ子状の関係やそれぞれを隔てていた領域の境界線が消滅し、空間全体として渾然一体となった新たな位相の「驚異の部屋」の世界がそこに立ち上がっていたことを認識する。リピーターにとっても新規来場者にとっても、見たことのあるようで見たことのない世界に包まれるこの驚きの感覚こそ、常設展示の「驚異の部屋」の空間表現とは別に、「ファンタスマ」として本展が表現しようとしたものにほかならない。ミュージアムが自らの知的活動として、身体的、感覚的な驚きをも喚起する空間表現を行う。このために、小石川分館というサイトスペシフィックな空間において、自館の収蔵品である歴史的な学術標本とともに、今回招き入れたロード作品を魅力的な対比アイテムとして使いこなす演出ができていたならば、本展が知性的なミュージアムであり、感性的な「驚異の部屋」でもあるような、今後のミュージアム像の可能性の一端を実験的に提示しえたと言うことができるのではないだろうか。
 たとえ、それが現実的なかたちとして成し遂げられなかった部分があったにせよ、ミュージアムによる自己批判的な問題意識を、展示という創造活動において実践的に示そうとしたという本展の試みの意図は強調しておきたい。本展は、東京駅前丸の内地区に2010年秋にオープン予定の総合文化施設「インターメディアテク(IMT)」のプレイベントとして位置づけられている。当館では、2009 年4月に「インターメディアテク(IMT)寄附研究部門」を発足し、21世紀における新たなミュージアム像となる「国際的な学術・文化の総合ミュージアム」の具現化に向けた研究への取り組みに着手している。プレイベントである本展は、その研究課題の一部を担っており、「大学博物館」としての実験精神を背景としている。「大学博物館」とは、博物館として一般のミュージアムと同じ役割を担うものであり、かつ大学に付設された教育研究機関であるという特異な位置づけにある。この特徴が示すのは、ミュージアムの活動領域を拡大する新しい試みを他館に先駆けて研究として実践的に取り組み、その成果を社会に発信する、という「大学博物館」の使命である。したがって、この実験精神に基づいた活動に関する情報発信に積極的であることは、「大学博物館」として重要な姿勢であると考えられる。本展の試みが、当館あるいは他のミュージアムの次なる活動への課題発見となり、21 世紀における新たなミュージアム像に関する議論や創造的な取り組みを推し進めるきっかけとなることこそ、IMTプレイベントとしての本展の役割であるだろう。
 最後に、「大学博物館」の活動として、もう一つ特筆すべき点を挙げるならば、本展が果たした大学における学生教育の場としての役割がある。本展の準備にあたっては、監修の西野嘉章教授の博物館工学ゼミの学生計14名(石澤祥子・岩瀬慧・請田義人・小野寺瑶子・垣中健志・菊地かの子・高鹿哲大・高田梓・千葉優基子・鄭在Q・古舘遼・丸山宏美・三田地美里・渡辺惇、所属および敬称略)が、博物館実習の実践的活動として、準備段階から展覧会づくりに参加している。ロードが本展覧会のために制作した新作の着想源となる収蔵品リサーチ作業、夏季に当館で行われたロードの滞在制作協力、学生サイトのブログやツイッターを含む展覧会の広報計画および運営、展示設営、ワークショップの企画運営と、随所に学生たちの貢献が見られた。さらに小石川分館学生ヴォランティアは、ゼミの学生と情報交換を図り、ともに会期中に展示ガイドとして会場に立ってくれた。このような学生たちの積極的な関与は、大学博物館の実践教育の成果を体現するものであり、展覧会を通じてそれを社会に発信できたことは、本展の意義のひとつであると言えよう。
 なお、本展の開催にあたっては、作家のケイト・ロード氏、外部キュレイターとして企画に参画してくださった星野美代子氏、柴原聡子氏、橋場麻衣氏らに多大なるご協力をいただいた。本展の実現は、諸氏と当館との協働があってこそ成立したものである。末尾ながら、ここに改めて感謝申し上げたい。



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図1 ロードの標本室


図2 医学の部屋


図3 鉱物の部屋