東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime13Number2



海外モバイル展示
モンゴルでの野生動物生態学研究の展示

高槻成紀(麻布大学教授/動物生態学)
 2008年7月6日、モンゴル自然史博物館において「モンゴルの野生動物:日本モンゴル合同調査隊の発見したこと」展が開催された。当日は日本から東京大学総合研究博物館の林館長が訪問され、挨拶を述べられた。また日本大使館の市橋大使から祝辞を頂戴した*。モンゴル側からも多数の参加者があり、モンゴル科学アカデミーのチャドラー所長、モンゴル自然史博物館のゾリグトバータル館長からそれぞれ祝辞が述べられた。

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 この展示は日本学術振興会科学研究費基盤研究(C)「アジア圏博物館ネットワークの構築、1モンゴル」(代表東京大学総合研究博物館鵜坂智則)によるもので、東大総合研究博物館が展開しようとしているアジア圏博物館ネットワークの試みの例でもあり、モバイルミュージアムの実践例としての位置づけも持たせた。具体的な目的は2つあった。ひとつは共同研究をしているモンゴル科学アカデミー生物学研究所の哺乳類標本の整理である。モンゴルでは1990年以降、ソビエトとの学術協力が失速し、新しい標本の充実ができなくなっただけでなく、それ以前に収集された標本の維持さえ困難になっている。そこで在庫標本のデータベース化を進めるとともに、標本の整理をした。もうひとつは展示である。私は2002年以来、モンゴルの野生動物の生態調査をおこなってきた。とくに初期におこなったモウコガゼルの季節移動パターンの解明は世界初のものであり、高い評価を受けた。この研究はモウコノロバなどに発展的に継続されている。一方、ガゼルの食性分析から、ガゼルの保全には家畜との関係、放牧のありかたが重要であることに気づき、放牧と生物多様性の保全についても研究するようになった。
 海外調査は初めてではない。大場先生のチームに参加させてもらってヒマラヤの高山で放牧の影響を調べる経験を数度させてもらった。それらは調査に専念していればよい、気楽さのまさる調査行であった。だが、モンゴルではチームリーダーとして隊全体に配慮しなくてはならなかった。現地では地元の牧民にお世話になる。緊張の伴う調査が終わったときは、そのありがたさが身に染みた。
 そうした経験を繰り返すうちに、私の中にある思いが生まれてきた。海外調査では短期間に集中的な調査をし、成果をあげる。それらは標本となり、また論文になって、学問の世界に紹介される。もちろんそれは最も重要なことであり、当然のことでもあろう。しかし、それだけでいいのだろうか。先進国の研究者が成果を持ち帰るという形態はフェアプレーという点でも問題なのではないか。これらの成果は、モンゴルでお世話になった人々にこそ還元されるべきものではないのか。そういう気持ちが次第に強くなってきたのである。
 私たちの研究のそもそもの目的はモンゴルの野生動物をよりよい形で保全するための根拠となる事実を発見し、保全の論理を組み立てることにある。そうであればなおさら、研究成果をモンゴル市民に知ってもらい、野生動物の魅力とその保全の重要さを理解してもらいたいと思った。
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 展示に関して、私に大まかなイメージはあったものの、曖昧なものであった。そこで東京大学総合研究博物館の西野嘉章先生にアドバイスを求めたところ、パネルよりもプロジェクターによってスライド映像を示すのがよいということであった。言われてみれば、野外調査の醍醐味は標本やデータではうまく伝わらない。とくに野生動物の捕獲や躍動する姿はスライドで示すのがはるかに臨場感がある。また部屋の配置などを松本文夫先生に相談したところ、私のぼんやりしたイメージが数日たってすばらしいスケッチとなって戻ってきた。展示のもうひとつのハイライトを哺乳類の頭骨とし、これを木製のケースに収めることにした。
 私は2007年の夏の調査のときに、モンゴル自然史博物館に展示の企画をもちかけ、前向きの返事を得たので、その後、連絡をとりあった。そして、2008年の5月に図面や資料をもってモンゴルを訪れ、部屋の間取りや、ショーケースのサイズなどを点検して準備の確認をした。その後6月になって、部屋の内装などがかなり進んだので来てほしいという連絡があり、再訪した。このときパンフレットの印刷や玄関に吊す垂れ幕のデザインなども決めてきた。木製ケースが完成し、頭骨標本を収めた。大型の野生ヒツジの頭骨やシカ類の角つきの頭骨などは見応えのあるもので、それが木製ケースに収まると有機物の組み合わせが醸し出す暖かい雰囲気が生まれた。
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 モンゴル自然史博物館はロシア風の重厚感のある建物だ。私はこういう建物が好きなので、ここで展示ができると思うと、誇らしいような気持ちになった。
 開催の前夜、展示場を下見した。私は展示前の時間と空間が好きだ。その部屋を歩き、ひとつひとつを確認しながら、静かな高揚感を覚えた。戦後の貧しい時代に育った私が、平和であったおかげで生物学の研究をすることができただけでなく、遙かなる国モンゴルで自分たちの研究の展示ができることになった。まことに夢のようなことという外はない。
 展示の開催前夜といえば、東京大学にいたときに何度か経験したものだ。博物館のスタッフに多くのことを教えてもらいながら、自分なりに展示についても考えるようになっていたのだと思い、当時の同僚のことをありがたく感じた。
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 もちろん、何事につけ日本のようにはいかない。ホテルのコンセントが曲がってついていたり、ドアのない自動車が走っているお国柄である。ある人が「日本人は地面に穴を掘るとき、センチメートルの精度で掘るが、モンゴル人は10センチの精度だ」と語ったことがある。正直いって細かなところで気になることはたくさんあった。しかし、限られた予算で、この国でここまでの展示ができたのは、私にしては上出来ではないか、そう思いたかった。
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 開会式の最後に私もひとこと発言を求められた。私は次のような内容を話した。
 子供の頃の私にとってモンゴルははるかな国でした。広い草原にヒツジが草を食んでいて、牧民がゲルにのんびり暮らしている、そんなイメージの国でした。冷戦の時代、情報は限られ、存在すること自体が実感を伴わないほど遠い国でした。
 大学に入って草食獣と植物群落についての研究をするようになり、文献をあさっていると戦時中に日本人が内蒙古で植物の研究をしていたことを知りました。「マンシュウアサギリソウ」などの植物名がきれいだと感じられ、ホロンバイルなどという地名は、まるで詩のように響くのでした。その頃、モンゴルは夢の国でした。それは実現が果たされることはないという意味で。
 ところが奇遇というべきでしょう、1994年に私が東北大学から東京大学に移ったとき、中国の黒竜江省から留学生が来ることになりました。彼はハルピンから来たのですが、ハルピンは私の父が満鉄の職員として青春時代を過ごした街だったのです。彼は修士時代にモウコガゼルという草食獣の研究をしていました。私は内蒙古を訪れて、一瞬でしたが、その動物を見ました。
 草原に落ちる落日をながめながら、私はこの国境の西側にあるモンゴルにたくさんのモウコガゼルがいると聞き、そのことを想像しました。モンゴルが夢ではなく現実味を帯びた瞬間でした。
 2002年になってその夢が実現し、私はモウコガゼルの調査をするためにモンゴルのゴビ地方を訪問しました。広い大地やそこに暮らす人々に出会い、感激しました。それからは毎年モンゴルを訪れることができました。
 よい成果も生まれました。そして私はその成果をモンゴルの博物館で展示したいという新しい夢を持つようになりました。
 その夢が今朝、実現しました。思えば、どの夢も最初は叶わぬものと思われました。しかし諦めないで求め続ければ実現することがある、今そんな気持ちを持つようになりました。そして今、私には新たな夢がまた生まれました。それはこの展示のキットを作って、自動車でモンゴルのいなかの小さな小学校を訪れて展示をすることです。私にはモンゴルの子供たちが目を輝かせて展示をみているようすがはっきりイメージできます。大都市ウランバートルではなく、広い草原の中で子供たちに見てもらってこそ、本当のご恩返しができたといえると思うのです。

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 私が話し終わったとき、アメリカの動物研究者が「あなたの夢の話、よかったわよ」といってウインクした。

*この展示について在モンゴル日本大使館のHPに紹介記事がある。
http://www.mn.emb-japan.go.jp/news/jp603.html

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図1 挨拶をする林良博東京大学総合研究博物館館長


 図2 松本先生による展示場のイメージ


 図3 シカ科やウシ科の頭骨標本展示


 図4 モンゴル自然史博物館の外観


 図5 モンゴル自然史博物館ゾリグトバータル館長(左)から
感謝状を贈呈される著者