東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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ウロボロス開館10周年記念号

超高層アーカイヴプロジェクト

藤尾 直史 (本館助教/小石川分館担当・建築史学)


 東京ドーム周辺はここ20年で大きく様変わりした。現在もJR水道橋駅前へ新たな建物が建てられようとしている。この工事へ先立って行われた発掘調査へ関わることとなった。といっても掘るほうではなくて、発掘調査地点の位置づけを明らかにすべく歴史的な絵図史料や文献史料について調査するというものである。
  このあたりはもともと水戸徳川家の屋敷があった場所で、特別史跡・特別名勝へも指定されている小石川後楽園(図1)が同屋敷の庭園であったことはよく知られている。新たな建物が建てられるたびに発掘調査が行われてきたが、いかんせん広大な旧屋敷地の一部へ限られてきた。絵図史料のほうも庭園が描かれたもの、御殿が描かれたもの、長屋が描かれたもの、上水が描かれたものというように部分的なものばかりで、時代も描法も異なっているからなかなか接点が見えてこない。
  発掘調査地点が限られているとはいえ、10年以上にわたって継続的に報告書が発刊されてきたので、一般的なことはすでに言い尽くされている。やむなく複数の絵図史料相互の位置づけ、空間意識や制作経緯などについてさらなる検証を進めるとともに、与えられたもの以外に新たな素材を集めることとした。
  庭園の絵図については、比較的詳しく論じられてきた。水戸藩小石川屋敷は敷地西側から東側へ神田上水が流れていた。現在も残る大泉水との位置関係が問題となる。大泉水と上水が一体化しているものと、それぞれ独立しているものの2種類が見受けられる。
  御殿の絵図については、存在は知られてきたが位置づけは必ずしも十分に論じられていない。水戸藩小石川屋敷の御殿空間は上水によって南北へ分断されていた。御守殿絵図は上水流路の形状からその北側が描かれたものと考えられる。もう1点御殿が描かれたものがある。明治4年に兵部省へ引き渡されたときのものである。西側の端部へ見出される建物の平面形状が後身の東京砲兵工廠時代の絵図へも見出せることから、主として上水の南側が描かれたものと考えられる。つまり2点の御殿絵図がそれぞれ上水の南北へあたっていることになる。しかも両絵図へ書き込まれた文字はいずれも南側が上とされている。屋敷内部の空間構造によるものか、屋敷南側の御城(江戸城)の存在によるものか定かでないが、北側が上という空間意識とは異なっていると考えられる。報告書へは2点の絵図を文字が上下さかさまになるように掲載していただいた。そのほうが位置づけがはっきりすると考えたからである。
  長屋の絵図については、敷地全体が描かれているが、御殿空間のあたりが空白とされているのは、制作者の位置づけをうかがわせるものであろう。今回の発掘調査地点が含まれた唯一の絵図だが、スケールが全くあてにならないのが辛いところである。
  上水の絵図についても、存在は知られてきたが位置づけは必ずしも十分に論じられていない。本来は文書史料へ添付されていたもので、屋敷内部の水留箇所が描かれたものである。その背景として屋敷内部の水漏れが問題となっていたことも明らかとなる。水漏れ自体は珍しいことではないが、小石川後楽園の大泉水は神田上水の遊水地としての役割を果たしていたのではないかという推定もなされているから、いかなる調節機構が設けられていたのか興味が持たれるところである。
  余談だが古くは旧文京四中の空き教室で打ち合わせが行われていた。薄暗い教室へテンバコがうずたかく積まれていたのをよく覚えている。東京ドーム周辺の開発事業は今回で一段落ということで、発掘調査のほうもしばらくはないだろうとのことである。
  本来的に史料的制約がつきまとう歴史研究において、一定の制約下で研究を進めるのは困難もあるが、発見へつながることもある。もっともわかればわかるほどわからないことも増えていく点では変わりがないが。
  さて展示の担当へあたっている。「幕末医家のディレッタンティズム」(2002.5.18 − 2002.9.14)、「東大総長のプレゼンス」(2004.4.29―2004.8.29)は学際的なものとしたが(図2)、今回は建築関係へ限定してみることとした。素材的には制約はあるが、本館の松本文夫先生にヒントをいただいて、若干のフィクションを組み込むことを考えている。
  今回の展示スペースは、広さはないが、高さがある。そこで周年事業ということも意識して、130 階建ての超高層ビルの模型のようなものをつくることを考えている。仮想的な130 周年記念館ということでもよいかもしれない。もっとも新たなハコモノの提案として行うのではない。あくまで130 年という時間を空間的に見せるための展示設計上の枠組み、フィクショナルなフレームとしての「超高層」である。
  このような試行を通して、ささやかながら展示対象としての「建築」/方法としての「建築」の二重性、あるいは建築学でもあり歴史学でもある建築史学というものの総合性の一端を垣間見せられればと考えている。
  なお森洋久先生(大阪市立大学)、松本先生と協働で進めさせていただいているグローバルベースプロジェクトもあわせて公開させていただく予定である。

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図1.「水戸様江戸御屋敷御庭之図」(『名勝調査報告』)


図2. 新規収蔵展示「幕末医家のディレッタンティズム」
(2002.5.18―2002.9.14)