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大野秀敏 現在に接続する未来 UMUTオープンラボ・レクチャ03 


屋根の家
















ふじようちえん
























 




 


UMUTオープンラボ・レクチャ 第2回  2008年8月8日(金)
人をつくる建築――「屋根の家」から「ふじようちえん」へ

講師: 手塚貴晴氏 (建築家、武蔵工業大学准教授)


今日は、私達の出発点となった「屋根の家」と最近の「ふじようちえん」という2つのプロジェクトの紹介を通して、「建築が人をつくる」というお話をしたいと思います。

屋根の家

屋根の上が好きな家族
「屋根の家」は9年くらい前の初期のプロジェクトです。私達が家を設計するときは、その家の方々と友達になり、家族の生活習慣をみつけようとします。趣味とか学生時代にしていたことなどを話題にします。そうすると、埋もれていた夢や好みが見つかることがあります。この家族の場合は、屋根の上でご飯を食べることでした。もともとこの家族は、それをなさっていたのです。屋根の上は危険ですという話をしましたが、「大丈夫です。家族4人で上がっていましたから。」とのことでした。屋根の上の生活というお施主さんのイメージから生まれたのが、この「屋根の家」です。展示室にある「ふじようちえん」とは一見関係なさそうに見えますが、これが私達のその後の展開の出発点になりました。

傾斜面の気持ちよさ
以前の家では小さな窓から屋根に出ていました。通常出ないところから出るのが面白かったので、新しい建物でも扉から出るのではなく天窓から出ることにしました。すると、妹さんが「これ、私の天窓!」と言い出し、お姉さんは「じゃあこれは私の天窓」、お母様も、「台所に天窓がほしい」とおっしゃり、あらゆるところに天窓をつくることになりました。玄関の天窓、お風呂の天窓、洗面台の天窓、みんなの天窓など、いろいろあります。この建物は、谷になっている住宅地を見下ろす場所に建っており、屋根は谷の中心に向かって傾斜しています。普通に考えれば、屋根の傾斜は水勾配のためですが、私達は屋根に上ると気持ちがいいと感じる理由から考え始めました。屋根に上って気持ちがいいと感じるとき、実は「傾いていること」が大事なのです。最初のデートでは、土手に行くのがいい。向かい合って座るより、2人とも同じ方向を見て話をする。沈黙しても同じ風景を見ていれば、さほど気詰まりにはなりません。斜めの場所には人を居続けさせる何かがあります。世界中の広場を見てみると、ポンピドゥーセンター前の広場、メルボルンの広場、シエナの広場とか、傾いている広場が少なくありません。平らな広場は観光客が右から左に歩いているだけですが、人が集まって佇んでいるところは傾いている場所が多いのです。人は傾いたところで座り、落ち着く習性があります。

建物のかたち
「屋根の家」の設計段階で、お施主さんから、屋根に上がっているのを全部見られるのは避けたい、一方で、斜め後ろにあるお婆様の家を屋根から見えるようにしたい、という要望がありました。そこで屋根の上に壁を立てることにしました。屋根の上でバーベキューをしたいという要望もありましたが、そうすると屋根が燃えてしまいます。そこで、庭でバーベキューをして、屋根の上の人に手渡しできるように、軒先を非常に低くしました。軒先は高さ1.9mしかありません。また、自分たちの家だけ屋根に手摺を付けたくないという意見があり、手摺は無しでいくことにしました。今の建築基準法では許されないことです。こうして、そのまま「屋根の家」ができてきたのです。
私達の設計図面には必ず人が入っています。人が何をするかは非常に大事です。私達にとっての建物の形は、人にどういう行動を引き起こさせるかによって決まってきます。この建物では、屋根を中心にいろいろなことが起きています。食事をする、シャワーを浴びる、夕涼みをする、ボールを蹴る、などです。天窓から人が上がってくるときに、子供達はモグラ叩きのような遊びをすることがあります。屋根が薄いので、軒先に座ったら、下の人から足が見えてしまいます。

アクティビティが見えてくる
建築は、都市に対していい影響を与えていることが大事です。周りの住民の方々は、ウッドデッキができたということでとても喜んでいました。お隣さんが一緒にご飯を食べることもあります。屋根の上に人がいることが多いので、家の前を通る人と顔見知りになって、挨拶を交わします。ご近所さんが屋根の家の周辺に集まっている状況です。
照明デザイナーの角館政英さんが「照明の中で一番面白いのは夜景。光自体が美しいというよりも、夜景の一つ一つの場所にストーリーがあるから。」とおっしゃっていました。この家では、電球を自分の好きなところにぶら下げてもらいました。一人に一つの天窓、一つのアクティビティに一つの電球というように、全部一対一対応になっているので、アクティビティが個別に見えてくるように考えられています。

説明しなくてもわかる建築
屋根の家はワンアイディアでできているように見えて、その中に無数のアイディアが詰め込まれています。たくさんのアイディアが重なって、それが全体として一つの方向を向いているから、ワンアイディアのように見えるのです。そのように見えるかどうかが、私たちの設計が成功したかどうかの判断基準です。
誰が見てもわかるというのは私達の大事なコンセプトです。いい建物は説明がなくても伝わるものです。建築家は自分で考えるだけでなく、使う人とコンセプトを共有することが大事です。10年前の新建築の表紙を飾っている建物で、いまだに良い建物だと思われているものは意外と少ないです。生き残っている建物は、使う人に好かれ、建物自体が使うことを語りかけます。建物を長年もつように作るのは比較的簡単ですが、長年使い続けられるように作ることは難しいのです。

環境に寄りそって住む
出版当初、「屋根の家」の屋上は、夏は暑く、冬は寒くて使いものにならないと書かれてしまいました。すると、お施主さんが反論文を出しました。「私たちは実際に屋根の上を使っています。夏は暑いので朝と夕方に出ます。冬は寒いけれど昼間は結構暖かいです。」と。なるほど、そのような当たり前の感覚が大事だと思います。人間が環境を制御することが優先されがちですが、「屋根の家」のご家族は自分たちが環境にあわせて住んでいるのです。これは忘れられつつある人間の知恵だと気づきました。

ふじようちえん

園長先生
「ふじようちえん」の以前の建物は、ボロボロでしたが、「となりのトトロ」のサツキとメイの家のような独特の雰囲気をもっていました。園長先生が幼稚園の中を歩いて回りながらクラスの中に入っていくと、園児からワーと歓声があがります。それを一日中やっていたのです。その様子がいい感じだったので、建物を作り直すのはやめませんかと園長先生に提案しました。しかし、実際には雨漏りが多く、地震がきたらもたないだろうということで、結局は建て替えることになりました。

行き止まりのない屋根
元の幼稚園の雰囲気がよかったので、それを残そうということで考えたのがこの建物です。敷地には表参道にも無いような大きなケヤキが3本ありました。10階建て相当の高さがあります。根が当たらないように建物の基礎を何mか飛ばして、木はそのまま残しました。この幼稚園の敷地は長辺方向が80mあって、六本木ヒルズの一層より少し小さいです。建物の形は大きな楕円形としました。以前の幼稚園はコの字型平面をしており両端に終点があったので、遊び回っていると端部で止まってしまいます。しかし、建物を丸くすれば行き止まりがないので、園長先生も園児もずっと回り続けてくれるだろうと考えました。ここの展示模型には反映されていませんが、屋上は中心に向かってすり鉢状に1/30から1/50の傾斜がついています。「屋根の家」でも説明しましたが、少し傾いているだけで座って話し始めたり、走り回ったりします。驚いたのは、強制されるわけでもなく、毎朝屋上を30周する子供がいるということです。この幼稚園には特に遊具らしいものはありませんが、屋上にある丈夫な天窓や既存樹木まわりのネットを使って遊びます。子供達が自分で遊び方を考え、100通り位の遊びが展開されているようです。子供は人に与えられたものは簡単に忘れてしまいますが、自分で見つけたものはずっと覚えています。建築は多分そういう力を持っているのです。

手摺とネット
園長先生は「屋根の家」を気に入ってくれていたので、この建物でも手摺が無い方がよいといわれました。建築基準法上困難であるという話をしたところ、「フィールド・アスレチックの縄梯子には手摺がありません。手摺を無くしてネットをせり出して受け止めてはどうですか。」という提案をいただきました。この案を検討して建築指導課に持っていきましたが、さすがに通りませんでした。しかし、アイディアはケヤキの周りのネットに反映されていいます。子供達はネットに落ちに行くのが大好きです。そこからまた新しい遊びが生まれます。
手摺は縦格子式ですが、垂直材の径が13mm、水平材の径が16mmしかありません。ネットと同じようにソフトな作りをしています。少し押したときは数本しか利かず反発も少なく動きますが、ぐっと押し込んでいくと10本位利いてきて固く動かなくなります。子供は15cmくらいの隙間があると頭を突っ込んで抜けなくなるので、縦格子の間隔は11cmにしてあります。ちょうど子供の足が入る大きさになっていて、手摺に足を通して軒先に座ると気持ちいいようです。

小さな気遣い
屋根の上と下が同時に見えるようにしたかったので、軒先が非常に低く2.1mしかありません。手を伸ばすと天井に手が届きます。さらに、中心に向かって傾いているので、庭にいる人から屋根の奥まで全部見えて、スタジアムのような効果があります。中庭に続く階段の下には1mくらいの砂山を作っています。直進階段だけでは子どもが転落したとき危険なので、砂山でワンクッションを置いています。しかし開園一ヵ月後に見に行ってみると山が半分ぐらいの大きさになっていました。子供は砂団子を作るのが大好きで、600人の園児が団子を作り続けると、あっという間にダンプカー1台分の泥が消えてしまします。幼稚園の設計に際して私達は各所にリサーチに行ったのですが、足洗い場の排水溝はたいてい詰まっていました。自然に詰まるのではなく、子供が土を排水溝に詰めて遊ぶのです。そこでこの幼稚園の足洗い場では、丸太をたくさん並べてその隙間から下部の大きな排水溝に水が流れるシステムを作りました。

開け放しの空間
この幼稚園は、一年の半分以上は窓を開け放した状態で使っています。大学の先生には、このように引戸ばかりでは空調の熱効率が悪いだろうと指摘されました。しかし園長先生が反論され、「そもそもこの幼稚園では冷房をほとんど必要としていません。去年は一日だけしか使っていません。」とのことでした。実は東京では、3月末から11月までは窓を開け放しておくと結構気持ちがいいのです。この建物は軒が深くて雨が降り込まないので、雨の日でも開け放しにしています。冷房の中でしか暮らせない人が、50℃の砂浜に肌を焼きに行き、寒がりの人がマイナス20℃のゲレンデにスキーに行きます。人間は、望ましい環境があれば温度差に耐えられるのです。この幼稚園では、人為的な温度制御が少ないにも関わらず、夏は風が流れていれば30℃でも暑さを感じません。冬は引戸を閉めていれば寒さを感じることはなく、早朝1時間半程暖房を入れておけば一日中暖かいです。

歪んだ楕円
この幼稚園のかたちは楕円形をしていますが、実は僅かに歪んでいます。軒先がでこぼこしていて、楕円の幅も大きい部分と小さい部分があります。私が鉛筆で描いた線をそのままスキャンして使っているからです。こうすると、コンピュータで幾何学的に描いた図形には無い機微が出せます。雨戸のレールも歪んでいて、雨戸が右に行き左に行きしながら閉まります。

大きなコミュニティ
幼稚園の内部には壁がありません。だから、うるさいです。今は遮音指向の幼稚園が増えましたが、昔の幼稚園は周りの教室や隣の建物の音が聞こえていました。視覚的な区切りでしかなかったわけです。園長先生がまた面白いことをおっしゃいまして、「子供は雑音の中で育つ。静かな空間だとおかしくなってしまう。」と。人間の耳は実はすごくて、大きな声を出せば5km先の人と会話ができます。こだまの声は9割以上が山に吸音されているのに、人間の耳には聞き取れます。静かにすれば、人間はいろいろな音が気になり始めます。図書館は静かな場所ですが、小さな話し声が気になると意外と集中できないですね。子供はうるさいところに行くとむしろ落ち着くのです。集中すれば、自分の聞きたい音だけを聞き分けられます。この幼稚園はうるさいので、一生懸命に先生の言うことを聞き取ろうとします。
園長先生は、この幼稚園には一件もいじめが無いと断言されています。人間を閉じた場所に入れると、猿山のように内部で階層構造を作って下に来る人間をいじめます。今までの学校は、閉じた構造になっているからいじめが起きるのです。この幼稚園は開かれた場所です。先生の授業が面白くないなと思ったら、先生の目の届く範囲で隣のクラスに行ってもいいことになっています。ある教室で先生が困っていたら、隣の先生が助けに行ってもいい。つまり、この幼稚園全体で大きなコミュニティができています。園児が必ず自分の居場所を見つけられるようになっています。

技術が人に近づく
内部空間に固定壁はありませんが、小さな箱を使って積木のように間仕切りを作ることができます。そして、毎月レイアウトが変わります。壁がないので洗面台が作れないため、部屋の中に井戸のように洗面台を配置しました。井戸端会議のように、本当にたくさんの園児が集まってきます。
この建物では照明には裸電球を使っています。園児は当初はヒモを引けば電気がつくことを知りませんでした。蛍光灯だと2000〜3000lx位ないと暗く感じますが、電球だと300lx程度で我慢できます。蛍光灯は特定の色調だけが明るいのですが、電球だと万遍なく明るいからです。逆だと思われがちですが、実は蛍光灯を使っている家よりも電球を使っている家の方が消費電力が低いのです。この幼稚園では、天井にちりばめられた電球3個ごとに引きひもがついていて、自分が明るくしたい場所の電球をつけて歩いて回ります。外から見ても、人の営みの場所だけ光っているのできれいです。20世紀は技術にあわせて人が暮らしてきました。技術にあわせるために、人はいろいろなものを失ってきました。しかし、これからは技術が人に近づいていく時代です。

建築家で本当によかった
「ふじようちえん」は私達の集大成の仕事です。建物をつくることによって、人の生活をつくることに貢献できたという気がしています。建築の形態で感心させるのは一瞬のことです。建築の本当の力は、20年30年かけて社会を変えていく点にあると思います。この幼稚園はたくさんの園児を育てています。その子どもたちがみんな、この屋根のことを覚えています。この屋根の上を毎日何キロも走ったこと、ケヤキの上に上ったこと、いろいろな遊びを考え出したこと、壁がない空間で先生の話を集中して聞けたこと、いろいろな思い出があるはずです。この建物は、おそらく園児たちの人間形成に少なからぬ影響を与えていると思います。私達はこれまでに数々の建物をつくってきましたが、久しぶりに感無量の思いでした。これは特に建築の学生に言っておきたいことですが、建築家は素晴らしい職業です。この職業を選んでよかったと思っています。自分のつくった建物が単に残るだけではなく、それに関わる人々の生活にプラスの影響を与えることがでるのです。「ふじようちえん」は他の幼稚園とは違うので、そこで育った子供達はまた少し違う人生を歩むのかもしれません。自分がそのような機会にたずさわることができたのは本当に幸せなことだと思います。

質疑応答
Q:「ふじようちえん」の天窓の向きや位置はどうやって決めたのですか。
A:私のかつての師匠は、「綿密な計画といい加減な実行」ということを教えてくれました。一生懸命に計画をして、それをフレキシブルに実行に移します。部屋はすべて綿密にプランニングしています。しかし、ある部屋に二つ天窓があったり、ある部屋には天窓がなかったりと、最初に考えたようにはなっていません。優れた計画では、違う使い方をしても、いい使い方になると思っています。

Q:どの段階で構造家と一緒に建物を考えていくのですか。
A:建築家は構造をからだで感じることが大切です。私はもともと構造計算が好きで、フラードームを自分で解析したこともあります。優れた構造のパートナーを持つことは大切ですが、基本的な構造のアイディアについては、建築家が最初から自分で考えなければいけません。

Q:プロジェクトを進めていくときに、どうやって最終的なデザインを決定されていくのですか。何か一定の進め方はあるのでしょうか。
A:デザインの過程で私達はたくさんの模型をつくります。これはダメかなと思う案でも模型をつくります。考えた過程が残っていれば、デザインを進化させられます。案を決める段階では1/100、その後1/30位まではつくりますし、1/1などの部分模型をつくることも珍しくありません。微妙に違う形態をたくさんつくって、一番気持ちよい空間にしようとします。「うまい」とか「気持ちがいい」というのは曖昧な言葉ですが、そう感じるには理由があります。日本の光の入り方だと、奥行き1に対して軒の高さが1.5程度が一番気持ちがいいのです。それを知っていて昔の大工さんは縁側をつくっていました。私達はコンピュータ・グラフィクスは使いませんし、スケッチですらあまり信用していません。すべてにおいて模型で確認しながらデザインを進めていきます。

Q:手塚由比さんとはどのように設計を分担しているのでしょうか。
A:分担をしないようにしています。片方だけが携わってくると、違ってきます。2人がいいと思わないでどうして周りの人がいいと思えるか、というポリシーでやっています。

Q:建物がとてもシンプルに見えますが、それは意図しているのですか。
A:意図しています。日本人はもともと家具がほとんどなくて、シンプルに住んでいました。あるときから家具がたくさん出てき始めて、混乱してきたのです。私達の建物は空間を自由に分けられるようにできています。子供は小学生までは親と一緒にいたいので、子供部屋が必要なのは中学生から大学生までの10年間だけです。大学を卒業して巣立っていったら、また部屋をなくしてワンルームに戻せるようにします。プランにあまり懲りすぎると住む人の居場所がなくなってしまいます。フランク・ロイド・ライトの建物は今、ほとんど誰も住んでいません。それが美しいからという理由で、椅子もテーブルもすべて位置がマーキングされて動かせないのです。建築はそういうものではありません。しかし、ルイス・カーンの建物は一軒として空になっていません。しっかりと考えた上で、なお住む人の自由に任せるところを残し、シンプルだけどそれだけではないという建築を目指しています。

Q:日本建築の影響があるように感じますが、いかがですか。
A:その影響はあります。父親の実家の建物が今年で100年くらいたっている町屋ですが、非常にモダンな建物です。中庭に面してある座敷は、全部引戸になっていて、廊下にある蓋を開けるとレールが出てきて、引戸が全部中に隠れてしまうディテールです。これを100年くらい前の大工さんがやっている。昔の建物はとてもモダンです。でも、私は日本の昔のものをそのままつくるのではなく、昔のものを感じていることが大事だと思います。自分の体に蓄積され、つくっているといつの間にか日本建築っぽくなっている。モダンにつくっているつもりでも、日本的要素が感じられる。それは日本人がデザインしているのだから仕方ない、位の感覚がいいと思っています。

Q:師匠のリチャード・ロジャース氏に受けた影響はどのようなものでしょうか。
A:彼はいつも「どんなライフができるのか。何がいいのか。」と問い続けていました。ロジャースはハイテクなディテールだけが注目されがちですが、それをやるだけの理由があるのです。事務所の中はとても気持ちよくて、家具や事務所の中から見える川を眺めていると、幸せで仕事する気がなくなってきます。建物は一瞬だけ訪れるものではなく、ずっと使い続けるものです。そこに住んでみないと感じないことって多いですね。そういう影響は大きいと思います。

(記録: 坂井偵介)



手塚貴晴
建築家、1964 東京生まれ
武蔵工業大学卒業、ペンシルバニア大学大学院修了、リチャード・ロジャース・パートナーシップ・ロンドン勤務を経て、1994年に手塚建築企画を手塚由比と共同設立(手塚建築研究所に改称,97.07)、現在武蔵工業大学准教授。「屋根の家」で第18回吉岡賞、JIA新人賞、日本建築学会作品選奨。「越後松之山「森の学校」キョロロ」でエコビルド賞、日本建築学会作品選奨。「ふじようちえん」で経済産業大臣賞 キッズデザイン賞金賞 感性創造デザイン賞、経済産業大臣賞 グッドデザイン賞 インタラクションデザイン賞、日本建築学会賞(作品賞)を受賞。
手塚建築研究所

ふじようちえん

レクチャ終了後に学生と懇談する手塚氏

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