東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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 本年四月一日より総合研究博物館第五代館長の重責を担うことになりました。本館の前身である(旧)総合研究資料館に奉職したのが一九九四年のことですから、すでに十六年の歳月を館内で過ごしたことになります。総合研究博物館は大学に付設された教育研究機関です。また同時に、学内に蓄積された学術標本の保存、管理、活用を図るミュージアムでもあります。ですから、現場に立つ者は、片や大学人として研究と教育を、片や博物館員として公開展示やキュラトリアル ワークを、並行しておこなっていかねばなりません。わたしもまたその両方をこなすことに追われ、気がついてみると、いつのまにか職場で最古参の一人になっていたというわけです。
 この間のことを顧みると、感慨深いことがいくつもあります。なかでも、着任当時六人の教官しかいなかった小組織が、いまや専任教員ばかりか、特任教員、特任研究員、外国人教員、専門職員を含め、総勢二十五人の研究スタッフを擁する組織に発展を遂げました、そのことを関係者の一人として誇らずにおられません。これは、一九九六年の博物館創設時に初代館長を務められ、のちに第四代館長として復職された林良博先生が、都合七年間の長きに亘って、博物館の屋台骨を支える人材の育成、教員ポスト枠の拡大に努めてこられたことの、まさに賜物であると言って過言ではありません。
 もちろん、変化は組織面のみに限りません。二〇〇一年に実現した小石川分館の創設は、博物館事業が新たな展開に向かう、ひとつの契機となりました。本郷キャンパスの建物に三百万点超の学術標本を収蔵し、保存スペースの狭隘化と直面していたときでもあり、博物館の事業展開史上に大きな一歩をしるすことになりました。大学本部との長い交渉の末、分館の創設を勝ち取って下さったのは、第二代館長の川口昭彦先生です。
 分館を運営するようになってからは、歴史的な学術財の保存・公開に、全的と言えないまでも、改善の兆しが見えてきました。その結果、大学博物館の展示事業は、本郷の建物でのより学術性の強い実験展示と、小石川の分館でのより実験性の強いイヴェント企画とで、相互補完的な関係を有するようになりました。バランスの良い事業棲み分けと安定的な管理運営を指揮して下さったのが、館長職を五年に亘って務められた高橋進先生です。先生はつい先日、六十一歳の若さで急逝されました。先生の多大なるご貢献に感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
 幸いなことに、施設の充実という点で、本館はいまなお発展の途上にあります。これまたイニシアティヴを執られた前館長林良博先生のお力に拠るところが大きいわけですが、博物館は二〇一二年より新たに二つの施設の企画管理運営を担うことになります。ひとつは、赤門脇旧学士会館跡地に建設中の伊藤国際センターの地下三階に予定されている公開展示施設「ユニヴァーシティ・ミュージアム・ギャラリー」(UMG)。もうひとつは、JR東京駅丸の内広場前の旧東京中央郵便局舎跡に建設中の「JPタワー」(仮称)の地上二・三階部に予定されている総合文化施設「インターメディアテク」(IMT)です。二〇〇二年一〇月から活動の続く「ミュージアムテクノロジー(MT)寄付研究部門」、二〇〇九年四月に創設された「インターメディアテク(IMT)寄付研究部門」が、研究部のキュラトリアルワーク、博物資源開発、博物情報メディアの三研究系の専任教員、さらには昨年漸く実現にこぎ着けた「マクロ先端研究グループ」、本年度から研究部に編入された放射性炭素年代測定室の各部と連携しつつ、本館の教育研究・情報発信活動を、より多様にして意義あるものに発展させていくことが期待されているのです。
 このように、大学博物館は学内外の多くの人々に支えられ、いままさに大きな飛躍を遂げようとしています。そうした時機に館長職を担う、そのことの責任の重さを噛みしめつつ、本館のさらなる発展のため、微力ではありますが、精進して参りたいと考えています。

2010年4月
東京大学総合研究博物館長
西野 嘉章