東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
東京大学 The University of Tokyo
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図1 世界が驚いた鉄系超伝導物質.世界中の注目を集めるこの物質は,東京工業大学の細野研究室で開発された.人類悲願の超伝導実用化への扉は開いたのか?
図2 東大に眠る世界最大級の鉄鉱石コレクション.これはかつて国家プロジェクトで収集され,現代の鉄鋼生産の基盤を作った貴重な標本群である.
図3 前1500-1000年頃の槍先.一見青銅器に見えるが,内部に鉄が用いられている(4GHAI-T3-1,長37.0cm).
図4 東京大学大学院農学生命科学研究科附属牧場においてウマから採血しているところ.血は鉄の味がするし,血の赤色は鉄を中心としたヘムの色である.ほぼ全ての動物にとって鉄が重要であることは,多くの動物が同じ赤色の血を持つことに象徴されるかもしれない.
図5 ストロマトライト.シアノバクテリアなどの光合成に伴う分泌物が形成した縞状組織に特徴づけられる炭酸塩岩.縞状鉄鉱鉱床を形成した大規模な環境変動をもたらした酸素の発生源であると考えられている(撮影 瀧川晶).
図6 西オーストラリアで採掘された縞状鉄鉱鉱床のボーリング・コア.世界規模の環境変動を記録した貴重な標本といえる(撮影 瀧川晶).

 
『鉄―137億年の宇宙誌』展について           宮本英昭

かけがえのない存在
鉄は車やビル,橋,さまざまな機械に使われている.私たちの文明にとって,鉄がかけがえのない存在であることに異議を唱える人はおられないであろう.それでは,どのようにかけがえのない存在なのか?この問いに答えることは,実は難しい.
鉄は安価でありながら高い強度を持つために,建築物や機械の構造を支える素材として広く使われている.さらに鉄は,磁性という特殊な性質を持つため,数多くの電化製品で利用されているし,そもそも発電所では,この特性を利用して電気が作られている.鉄は現代文明を根幹から支えていると言って差し障りなく,恐らく将来においてもその地位は揺らがないであろう(図1).近代において,鉄を確保することは国家戦略的にも重要な位置付けにあった(図2).「鉄を制するものは天下を制する」,「鉄は産業の米」などの言葉に表れる通り,経済や産業の発展,文明同士の衝突などにおいて,鉄が重要な役割を果たしてきたことは,良く知られている通りである.
なお,これは単に2度の世界大戦やその後の歴史においてのみ当てはまることではない.人類の生活は産業革命によって大きく変化したが,そこでも鉄は起爆剤と言えるほど重大な役割を果たした.例えば鉄を大量に供給できたからこそ,蒸気機関に代表される新型機械が生まれたのであるし,鉄の特性が理解されたからこそ,電気エネルギーを利用できるようになったと言える.つまり機械による効率化と電気文明の発展という,人類の生産性や生活を大きく変化させた産業革命の2大要素は,鉄の利用に基づいているのだ.
こうした発明は,当時のヨーロッパにおける進んだ科学技術があってこそ可能であったわけだが,それではなぜヨーロッパにおいて特に科学技術が発達してきたのかというと,これよりはるか前から文明同士の衝突を繰り返し,生き延びてきたという歴史の一つの帰結であるとする見方がある.ここで銃や大砲,鉄製の船舶の建築が果たした役割は言うまでも無いが,それより以前の古代文明においても,例えば鉄器の利用が農耕の効率を格段に向上させ,生産性を大幅に改善したことが,社会を安定化させ科学技術や発明を促したと考えられている.さらに鉄を使った武器をいち早く利用できた文明は,他の文明と対抗する上で優勢を保つことができた(図3).つまり産業革命以前においても,文明を維持拡大する上で,鉄は本質的な働きをしたのである.そのため人類史全般において,鉄の有効利用が人類の進歩に重要な役割を果たしてきたといえるであろう.
だが鉄がかけがえないと考えられる理由は,それだけではない.わたしたち人間の体においても,鉄の存在は必須なのだ.私たちの血液が赤いのは赤血球が赤いからであり,その中に含まれるヘモグロビンがその原因である(図4).ヘモグロビンは,鉄を中心とした構造を持っており,呼吸を通して取り入れた酸素を体の隅々まで運ぶという重要な役割を担っている.そして運ばれた酸素を用いて,体の隅々でエネルギーが作り出されるが,そこでも鉄が鍵を握る.私たちの活動の基盤となるエネルギーは,鉄を使って生み出されている.鉄が無ければ,私たちは生きてゆくことができない.鉄は人間にとって,それほど重要な元素なのだ.
鉄の生物学的な重要性は,なにも私たち人間に限られた話ではない.実は現在地球で知られているほとんど全ての生物にとって,鉄は必須な元素なのである.呼吸や光合成,DNA合成,窒素固定など,生命体に必須ないくつもの機能において,鉄は中心的かつ不可欠な役割を果たしている.鉄が無ければ地球上のほとんどの生命体は,生きていくことができない.生物全般にとっても,鉄はかけがえのない存在なのだ.
さらに言えば,私たち地球生命体が地表面で快適に生活できるのは,鉄が大量に地球に存在しているからだ.生命にとって,宇宙からの有害な放射線は危険極まりないものであるが,これが地表面に危険なレベルで届かないのは,地球の持っている磁場のお陰である.そしてこの磁場は,地球内部に存在している鉄の一部が溶融し,電流が流れているために形成されているのである.つまり地球内部の大量の鉄が,地球表層を生命にとって安全な環境へと変えていると言える.そのおかげで生命体が地表付近で活動できるようになり(図5),こうした生物による光合成は地球大気の分子状の酸素量を増大させ,地球表層環境を著しく変化させた.この地球規模の環境変動の化石こそ,現代において鉄鉱床として主に使われている縞状鉄鉱床である(図6).
大量の鉄と書いたが,どれほど多いのだろうか?野山を歩いていても,特に鉄を見かけることは無いため,鉄がそれほど大量に地球に存在していると言われると意外に思うかもしれない.これは地球の鉄の多くが,地球の中心部に集中して存在しているため,単に私たちが普段は目にできないだけである.驚くなかれ,地球を構成している元素の中で,最大の重量比を持つものは鉄である.地球の重量の3分の1は鉄なのだ.ユーリ・ガガーリンの有名な言葉などから,地球は水の惑星などと言われるが,これは地球表面の7割を水が覆っている事を重視した言い方であって,重さでみれば地球は「鉄の惑星」なのだ.
それでは「鉄の惑星」は,どのように形成されたのだろうか?最近の研究から,太陽のような恒星であっても,その周囲に惑星が常に形成されるわけではないことがわかってきた.太陽系ではないところに,これまでも数多くの惑星(系外惑星)が見つかっているが,地球のような惑星が形成されるためには,適切な量の金属が必要とされることがわかってきた.つまり大雑把に言えば,人類が住むことのできる地球のような惑星が形成されるためには,鉄が存在している必要があると考えられるのだ.
そもそも宇宙に鉄はどれくらい存在しているのだろうか?宇宙の元素存在度は詳しく調べられているので,この問いに対する答えには,かなりの確実性がある.驚かれるかもしれないが,他の元素の相対量と比べると,鉄は特異的に多く存在しているのだ.そう,私たちが住むこの宇宙全体において,そもそも鉄は特異な存在なのである.

なぜ鉄なのか?
このように,宇宙や地球,生命,人類の歴史を考えると,さまざまな側面で鉄が重要な役割を果たしてきたことがわかる.そしてその鉄とは,宇宙において特殊な立場を占めるようなのだ.これは単に偶然が重なっただけなのか,それとも何らかの必然性があるのか?
この問いに対する鍵は,鉄の原子核の持つ安定性であると私たちは考えている.鉄は全ての元素の中で,最も原子核が安定している(ニッケルの特殊な同位体を除いて,陽子や中性子といった核子間の結びつきが最も強い).そのため恒星の内部で元素が核融合を繰り返し,原子番号が大きな重い元素が作られていっても,鉄よりも重い元素は形成されない.つまり恒星の内部における核融合の最終到達地は「鉄」なのだ.鉄より重い元素は,超新星爆発など他の要因で作られるが,その量は鉄を超えることはない.これは宇宙の中で鉄の存在度が高いことを,無理なく説明できる.そして,その鉄が多く集まった天体が地球なのであろう.さらに言えば,鉄は安定した原子核を持つために,26個という多くの陽子を獲得したが,それと釣り合うために26個もの電子をもつこととなった.ここで電子は好き勝手な軌道を取って原子核の周りに存在できるわけではない.鉄の持つ26個の電子の一部は,M殻と呼ばれるところ(特に3d軌道)に中途半端な形で取り込まれることになるのだ.これこそ,安定なエネルギーの状態が複数存在しうるなど,鉄が物理化学的に重要な特徴を示すようになった原因である.その特徴を最大限に利用したのが生命体であり,人類であるのかもしれない.
つまりまとめると,こういうことだ.鉄は最も安定した原子核を持つ特異な元素であり,それゆえ宇宙における存在度が相対的に高くなった.その鉄がある程度集まったからこそ,地球という星が生まれた.鉄は地球深部で溶融して磁場をつくりだし,そのおかげで地球表層が生命にとって安全な環境となった.そして地球表層で生命が生まれたが,ほとんどの生命は,鉄がその原子核に対応して持つ独特の物理化学的性質に依存している.鉄に依存した生命体の1種である人類は,その物理化学的性質を発展させ,現代文明を築いたのだ(このような鉄のとらえかたは,今回の展示にあわせて出版される「鉄学―137億年の宇宙誌(岩波書店,2009年8月6日発行)」という書物に詳しく記したのでご参照いただきたい).

展示の構成
こうした内容を展示という形で示すには困難があった.それは私たちが,10年前や100年前という,直感的に理解しやすい時代のみならず,数10億年前という感覚的には捉えにくい時代の現象についても,議論しようとしている点である.当然のことながら,100万年前の現象を,10年前のものと同じように細かく解析することはできない.しかし10億年前の現象よりは遥かに多くの物的証拠が残されているため,その年代に比べると詳しい議論を展開することができる.こうした状況は,ビルや山の上から周辺を観察することに類似している.つまり私たちに近いほど細かく観察することが可能であり,遠くなるほど解像度は落ちるのである.ところで解像度が低いからといって,科学的意義が少ないというわけではない.ビルに登ったとき,遠くに見える山を思い出して頂けると,ここで意図することがご理解頂けるであろう.その山の表面の細かい構造は見えないけれども,全体的な輪郭はむしろ捉えやすいはずだ.
このような現象に常に直面している天文学や地球惑星科学の研究者は,時間スケール(時間尺度)という概念に慣れ親しんでいる.彼らは,ある現象を議論する際,適切な尺度の時間で考えると,その現象の本質をよりよく理解できることも知っている.例えばある現象が一定の時間間隔で繰り返し生じることもよくあるわけで,ある時間スケールで物事を見るということは,それよりも短い時間スケールで生じる現象も織り込んで考えるということになる.
そこでこの展示では,時間スケールを10の冪乗であらわし,その冪を一つずつ繰り上げていくことで,137億年を概観しようと考えた.私たちはこれを,Powers of Ten Yearsと呼んでいる(表1).本展示ではさまざまな分野において第一線で活躍されている研究者の研究成果が多く紹介されるが、それらはPowers of Ten Yearsの形で整理されて展示されている.

(本館准教授 固体惑星科学)



表1.展示の構成“Powers of Ten Years”.

展示デザインのスケッチ (本館特任教授: 洪恒夫)


展示空間のイメージ (本館特任教授: 洪恒夫)


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