地球上に存在する自然物すべてを網羅する、壮大な自然史コレクションの構築には果てしないロマンがある。研究者が一生をかけてフィールドを歩き続けたとしても、ほんの一瞬のチャンスを逃せばもう二度と手に入らないものがある。そのような一期一会の積み重ねが貴重な学術コレクションを形成する。東京大学総合研究博物館は、大学創立以来の研究者の知的好奇心と探究心の成果を収蔵している。例えば、それが骨であれ、鉱物であれ、植物であれ、背後にある精神は同じである。美しく、珍しく、未知なるモノを集めたい。大学がいかにモノを集めてきたか、収集の歴史が学問の歴史を物語る。本展示では、学問の伝統と自然界の多様性を示すユニークな標本群を複数の展示空間にアラカルト方式で配置した。標本1点1点が持つ歴史の重みと、それらが集積してできるコレクションの迫力を来館者の方々に感じとっていただければ幸いである。
<1室解説>
モバイルミュージアム
東京大学総合研究博物館では、モバイルミュージアムというプロジェクトを遂行している。2006年にスタートしたこのプロジェクトは、海外を含め現在16回を数えるまでとなった。この展示ではその一部を紹介する。従来の分類的、時系列的な博物館展示とは異なり、それぞれの標本が独立したオブジェとして空間内に場をしめる。それはわれわれが提案する「アート&サイエンス」の具現化である。
モバイルミュージアムとは、ミュージアム・コレクションを、展示技術を含むミュージアム・ユニットとしてパッケージ化し、社会のさまざまな場所に流動させる日本初の遊動型博物館のことをいう。これまでのミュージアムは、その内部にコレクションおよび人々を呼び込むことで成立し、固定化された施設建物内の空間に自閉した形での事業活動を展開してきた。対するモバイルミュージアムは、蓄積されたコンテンツとともにミュージアムが都市や生活空間へと飛び出し、人々と遭遇するという逆方向の流れを生み出す。すなわち、コンパクトにパッケージ化された展示コンテンツが、学校、住宅、企業、公共施設などに中長期にわたって貸し出される。これら非ミュージアム的空間内に、モバイルミュージアム (MM)のロゴとともに仮設展示されたミュージアム・ユニットは、周囲の空間をテンポラリーなミュージアム空間に変容させる。既存のミュージアム・コレクションは流動資本化され、その価値を幅広い社会層で享受可能なものとする。巨大集中型から分散携帯型へと、博物館存在様態のパラダイム変換を図るべく投企されたモバイルミュージアムは、発想を転換し、ミュージアムの活動領域の拡大を図る文化的ツールとして、次世代型ミュージアムのひとつのあり方を社会に提案する。
関岡裕之(本館特任研究員、博物館デザイン)
<2室解説>
イノシシ、かく生きる
収蔵個体数700体以上。日本最大級のイノシシ頭骨標本群「林コレクション」である。収集者は、林 良博。現総合研究博物館館長である。1970年前後に、北関東・北陸から南西諸島に至る日本各地に分布するイノシシを、狩猟者の協力を得て収集して構成。当時謎に包まれていた日本列島産イノシシの骨の形を解明することに用いた、学術的価値のきわめて高いコレクションである。標本の数が豊富で収集地や年齢が多岐にわたることから、現在に至るまで、日本 産イノシシコレクションとしてはもっとも重要なものの一つとされてきた。またこのコレクションでは、収集者の工夫によって、歯の大きさや生え方から、個体の年齢と性別を推定する方法が開発されたことが特筆される。頭骨から分かる事実を最大限に導き出して、70年代にはまだ実行が難しかった多変量解析を適用、産地によるイノシシの大きさや形の違い、成長パターンの特質を統計学的に明らかにした画期的コレクションである。北に分布する集団が南のものより大きいこと、南西諸島の集団には本土のものとは異なるプロポーション上の特徴があること、島に隔離された集団が小 型化することなど、野生イノシシの基本的な特徴の多くがこの標本群から明らかにされた。
遠藤秀紀(本館教授、比較形態学、遺体科学)
<3室解説>
鉱物や化石の多様性
地球には多種多様な岩石や鉱物、化石が存在している。この一見単純な事実は、かつて地道に野外で調査・収集を繰り返し、観察と分類を基礎とした博物学的知見を集積するという、緻密で膨大な作業を積み上げることによって初めて系統的に明らかにされた。この博物学の重要な成果は、地球という天体の生い立ちや表層環境の歴史、さらにはその上に誕生した生命体の進化を理解する上で本質的な役割を果たしている。鉱物や化石の形態や色、それらに含まれる元素の種類や同位体組成には、過去の地球環境や生命の営みが時を忘れたかのように保存されている。最先端科学は、鉱物や化石に凍結された時間の流れをたぐり、地球や生命の進化、その多様性を解き明かし、地球という天体の特異的な進化の姿を描き出す。東京大学の研究者も、このような科学的営みに大きな貢献をしつづけている。しかし高度化し細分化されていく先端科学の中で、時に忘れられてしまうことがある。それは、鉱物や化石は純粋に美しいということだ。この自然美に対する純粋な憧憬や畏敬こそ、地球惑星科学と現在呼ばれる研究分野の根源であったはずだ。その意味から、ここではかつて東京大学理学部の基礎教育に広く用いられていた「クランツ標本」と「若林標本」と呼ばれる標本群の一部を示し、原点とも言える好奇心を鼓舞しようとしている。
宮本英昭(本館准教授、固体惑星科学) 佐々木猛智(本館准教授、動物分類学)
<4室解説>
時を越える自然の証人
東京大学はその設立当初から日本の、後には日本に限らずアジアを中心とした地域の植物標本を蓄積してきた。時代を越えて集め続けられた標本の数は170万点に達し、現在もなお増加し続けている標本数は、年間数万点にも及ぶ。
この展示では、現在のスタイルの標本が確立される以前のアルバム形式時代を含めて、多様な収蔵標本を選び展示し、東大植物標本室の全貌を垣間見ることができるようにした。「明治以前」、「明治期」、「大正〜昭和初期」、「昭和(戦後)〜現在」に区分し、それぞれの時代ごとに、本学の研究者だけでなく、さまざまな植物採集家によって集められた標本も合わせて展示した。
また、国外の植物相調査によって収集した標本、交換や寄贈などにより入手した標本も展示した。先人たちが苦労しながら集めた,これらの標本は、時空を越えて、自然のありさまを証言している。
池田博(本館准教授、植物分類学)、清水晶子(本館技術補佐員)