■ 小石川分館所蔵の蓄音機(平林勇氏製作)に関するヒアリング
【日時】2006年10月23日 17:00-18:00
【場所】東京大学総合研究博物館本館2階ミュージアム・テクノロジー研究室
【参加者】田賀井篤平名誉教授、教官・学生
【概要・テーマ】
田賀井名誉教授に平林勇氏製作蓄音機についてヒアリング
【進行・内容】
今回のゼミは本来の活動時限に行われなかったため、学生の参加人数は4名と少なめであった。蓄音機の寄贈受け入れを担当なさった田賀井篤平名誉教授をお招きして、お茶をいただきながらの和やかなヒアリングとなった。
当館所蔵の蓄音機は故平林勇(ひらばやしいさむ)氏によって、おそらくは大正末期から昭和初期ごろに製作されたものであるようだ。平林氏亡き後平林家の倉庫に眠っていたものを勇氏の甥にあたる平林武尚氏が東大に寄贈なさったとのことである。同機は東大が寄贈を受けたときには既に壊れており、加藤豊昌氏(元Victor社員、蓄音機コレクター)にこれを修理してもらい、修理直後には正常に音が出たことを確認している。ホーンや針を取り付ける腕の部分は当初のオリジナルのままであるが、レコードをのせるピックアップ部は通常よく取り替えられるものなので平林家で替えられている可能性もあり、オリジナルのままであるかは不明である。
この蓄音機以外にも、勇氏が製作に関わった八十絃という琴や、鉱物学者であった平林武氏(勇氏の父)についてのお話も伺った。またヒアリングを行った学生側がよく分かっていなかったためSP、EP、LPの違いや針の種類やホーンの構造など蓄音機やレコードに関する初歩的なことの説明を田賀井名誉教授にしていただいたことは心苦しくも非常に興味深いものであった。
【今後の予定】
実際にクレデンザを修理なさった加藤氏、及び製作者の甥で勇氏を知る平林武尚氏へのインタヴューを試みる。このようにして文献調査班は引き続きクレデンザに関する情報を集め、実験班は当初の予定通り11月15・16日に正常に音が出るかどうかの実験を行うこととなる。
(作成担当:美術史学専修3年 鈴木淳生)
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![]() 加藤豊昌氏 |
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![]() 西野嘉章教授 |
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![]() 平林武尚・良子ご夫妻 |
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■ イヴェントに向けての実験
【日時】2006年12月13日 12:30-18:00
【場所】東京大学総合研究博物館小石川分館
【参加者】教官・学生、日本映画新社スタッフ、城隆之氏、加藤豊昌氏
【内容】
26日の実験内容・プログラムについて検討を行った。初めに、まだクレデンザでSP盤を聞いたことのなかった城氏に、山内氏らが用意されたSP盤の演奏を聴いていただいた。続いて、加藤氏の振動板を用いて、CD音源をクレデンザから流してみたところ、ミキサーを介しても音量があまり上がらなかったため、次回、アンプなどの機器を揃えてもう一度試すこととなった。また、同一録音から作られた楽曲のCDとSPを、CDプレイヤーとクレデンザから同時に流すことも試みた。更に、学研のキットを使用して、菅原のヴァイオリンと門間のトランペットの演奏の録音・再生を試みた。この実験によって、イヴェント当日に録音・再生の実験をするのは時間もかかり、なかなか容易でないことが分かった。
以上の実験を通して、サウンドボックスやホーン等の蓄音機ならではのパーツの仕組みをきっちりと伝えたい、蓄音機が2台並んであるということを活用できるような実験を考えたいなどの意見が交わされた。また、初めに音楽を鳴らすタイミングは、参加者にレコードに針が落ちる瞬間の感動を味わってもらうため、参加者が着席してからと決まった。その他のプログラム内容については、2台の蓄音機の来歴の説明、キットを使用した蓄音機の仕組みの解説、2台の蓄音機の聴き比べ、森氏の音楽を流すこと、菅原のヴァイオリン演奏をイヴェントに組み込むこと等の確認に留まり、その順番、各要素の詳細な内容については翌14日に検討することになった。役割分担については、司会は鈴木、蓄音機の寄贈のいきさつと歴史の説明は池田と渡辺、キットを使用した解説は岡元、実験をリードして補助するのは菅原と門間、山本と決まった。本日欠席した学生も担当を決める。
他に、招待客の受付方法について、学生の招待者は各自が受付で応対し、コートを預かり、分館の成り立ち・展示構成について説明した後は、担当の解説場所へ戻ることを決めた。また、当日の会場設営では既存の展示物・椅子は一切動かさず、参加者用の椅子を配置することが決まった。
(作成:美術史学3年 岡元知恵)
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■ イヴェントに向けてのミーティング
【日時】2006年12月14日 17:00-19:00
【場所】東京大学総合研究博物館美術史資料室
【概要・テーマ】イヴェントのプログラム内容の検討
【参加者】教官・学生
【内容】
前日の実験内容を踏まえて、当日のプログラム内容を検討した。招待客は学生と同世代の方々が多い点に考慮し、蓄音機に初めて接した人が何を知りたいと思うか、聴きたいと思うかを再考してプログラムを組み、そこに実験的な試みを加えるという方針を確認した。実験的な試みとしては、城隆之氏にご協力いただき、単純な音や菅原のヴァイオリン演奏をコンピュータに取り込んでいただき、振動板を通して2台の蓄音機から流して聴き比べることが決定した。但し、最終的には、21日の最終的な実験・リハーサルで城氏や日本映画新社の方々とも意見交換し、プログラムを確定することとした。
■ イヴェントのリハーサル
【日時】2006年12月21日 11:00-18:00
【場所】東京大学総合研究博物館小石川分館
【概要・テーマ】イヴェントに向けてのリハーサル・最終確認
【参加者】教官・学生、日本映画新社スタッフ、城隆之氏
【内容】
26日に向けて最終的な実験を行い、プログラムを確定し、リハーサルを行った。鈴木が作成した当日の進行表を基に、リハーサルと実験を重ねて、プログラムを決定した。菅原の演奏する楽曲も決定し、城隆之氏の協力を得てコンピュータに録音した演奏を、振動板を通して2台の蓄音機から小節をずらして流し、輪唱を聴いていただくことになった。また、2台の蓄音機で聴き比べる音は、単純な音ではなく、広く知られた楽曲とすることにした他、当日演奏するSP盤も選定した。更に、日本映画新社から提供いただいた映像の内容を確認し、流すタイミングを決め、当日の操作は渡辺が担当することになった。
リハーサルでは解説の内容だけなく、用語、解説者らの身振り・立ち位置など細かくチェックした。解説者らから集めた原稿を鈴木が編集して台本を作成し、メーリングリストで意見交換し、イヴェント当日のリハーサルに備えることとした。
イヴェントの成果を検証して今後の活動につながるヒントを探るための参加者へのアンケートは、池田が作成することとした。
■ 配布プログラム作成
【日時】2006年12月22日・25日(門間)
25日 15:00-20:30(井内・池田・鈴木・山本・渡辺)
【場所】東京大学総合研究博物館ミュージアム・テクノロジー研究室
【概要・テーマ】イヴェント当日配布プログラムの作成
【参加者】教官・学生
【内容】
イヴェント当日配布するプログラムのレイアウトについて西野教授からご助言をいただき、門間が表紙を作成した。井内・池田・鈴木・山本・渡辺でプログラム掲載記事を推敲し、レイアウトを検討し、鈴木が表紙を最終調整して、プログラムを完成させた。池田が作成した参加者アンケートをプログラムに差し込み、当日の配布資料の準備を終えた。
■ 蓄音機音楽会 (博物館工学ゼミ学生企画イヴェント)
【日時】2006年12月26日 11:00-15:00 リハーサル
15:30- 招待客来場、分館見学
16:00-17:00 蓄音機音楽会
【場所】東京大学総合研究博物館ミュージアム・テクノロジー研究室
【概要・テーマ】イヴェントのプログラム内容の検討
【参加者】招待客、教職員、教官・学生
【内容】
11時に集合し、リハーサルを重ねた。15時半を過ぎ、招待客と博物館教職員が集まり始め、予定通り、館内を見学いただき、学生が展示解説を担当した。一部招待客の来場が遅れたため、予定より15分遅れてイヴェントを開始した。イヴェントの様子は、日本映画新社の方々が撮影して下さった。その他、大澤と小森がデジカメで撮影した。プログラムの流れは以下の通りである。
《16:15 イベント開始》
・映像(昭和初期のニュース映像)を止める(渡辺)
・挨拶、イベントの概要説明(鈴木)
《16:18 平林勇氏製作蓄音機とクレデンザによる演奏》
・ 平林氏製作機でButtons and Bows再生(菅原、門間)
・ 両機の来歴説明、平林武尚氏、加藤豊昌氏、湯浅英子氏を紹介(池田)
・ クレデンザでIn the Mood再生(井内、山本)
《16:30 蓄音機のしくみと歴史》
・ 蓄音機のしくみの説明(岡元)、SP盤の溝の拡大写真の提示(池田)
・ 蓄音機の歴史の説明(渡辺)
・ 平林氏製作機の特徴説明と両機の比較(池田)
《16:45 蓄音機を使った実験》
・ 城隆之氏の紹介(鈴木)
・ 実験の説明(菅原)、振動板設置とアンプ電源ON(門間、山本)
・ 2台の蓄音機に振りながらBilly Joelの Piano Manを再生(城氏)
・ 両機の音の特徴と、次の輪唱実験について解説(門間)
・ ヴァイオリンによるカノンの演奏(菅原)、マイク補助(門間)
・ カノン再生(城氏)
《17:05 森洋久氏作品の演奏》
・ 森洋久氏の紹介(鈴木)
・ 平林氏製作機を使って楽曲再生(森氏、城氏、補助:門間、山本)
《17:15 まとめ》
・ まとめ(鈴木)、挨拶(学生全員)
・ 映像(影絵「セロ弾きのゴーシュ」)を再開(渡辺)
・ 参加者の内の希望者による蓄音機操作補助、演奏(学生全員)
大雨な上に寒い日だったので、来館者が少ないのではないか、音を立てる暖房を切って寒くなるのではないかなど気をもんだことは多かったが、この生憎の天気が蓄音機の音に影響を与え、
特に平林氏製作機がいつもより柔らかい音色になるという思わぬ効果もあった。リハーサルの甲斐があって、イヴェントの流れはスムーズにいった。最後の蓄音機操作の希望者が思ったより多く、並んだ蓄音機両方から音楽が流れることになったのが、来館者の方の反応を物語っているようで嬉しかった。
イヴェント後、総合研究博物館の林良博館長と西野嘉章教授から、伝統をベースに新しい視点を加えて実験的な試みにチャレンジするという総合研究博物館の目指すものに一致した企画を実現した、カノン再生がアクセントになる良い構成だったというお言葉と、今後同様にイヴェントを行うということに付き、前向きな発言をいただいた。もし次回同じように蓄音機を用いたイヴェントを企画するとしたら、今回の内容を更に発展させることを目指さねばならない。少し難しいが、チャレンジし甲斐のある宿題を出された気がした。
(作成担当:日本史学修士2年 井内智子)
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■ 蓄音機音楽会プログラム
Time Table
15:30〜 館内見学
16:00〜 音楽イヴェント
平林勇氏製作蓄音機とクレデンザによる演奏
Buttons and Bows, In the Mood
蓄音機の仕組みと歴史
蓄音機を用いた実験
Piano Man
森洋久氏作品の演奏
17:00 閉会
二十世紀前半の二台の蓄音機について――西洋蓄音機の達成と日本人設計者の挑戦
はじめに
今回、当グループでは、二台の蓄音機を用意した。一方は、当館の元リサーチフェロー湯浅万紀子氏(現・北海道大学総合博物館)の祖父である故・湯浅静治氏が購入し、同家に伝わる米国ビクター社製のVV8-30(別名クレデンザ)、もう一方は、クレデンザをモデルに大正・昭和期の楽器設計者平林勇(ひらばやし・いさむ、1905-1938)氏が考案した個人製作機である。平林勇氏の父は東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科の平林武教授であり、武氏の孫にあたる武尚氏から、武氏の旧蔵資料とともに叔父の勇氏製作の蓄音機が寄贈された。この蓄音機は平林家の倉庫に眠っていたもので、故障していたため蓄音機専門家の加藤豊昌氏による修復を経て当館に移管された。両機の外形は非常に似ているものの、内部には相違点も見受けられ、この時期
の日本の楽器設計者の試行錯誤が感じられて興味深い。両者の音の違いも是非聴き比べていただきたい。
クレデンザについて
クレデンザの登場には二つの技術的背景が存在している。一つは蓄音機の大型化である。1903年にトーンアームという部品が開発され、音を拾うサウンドボックスと、音を増幅させるホーンが分離した。それまでは、レコードに接したサウンドボックスにラッパ型のホーンが直結する形が主流で(図1)、ホーンの大型化(音質の向上をもたらす)には限界があったが、この開発によってそれが可能となり(図2)、ホーンを内蔵し蓄音機の箱全体を大型化して音質の向上を図る流れが形成されることとなった。もう一つは電気録音である。1920年代前半真空管を利用した電気録音方式が開発され、レコードの音質が飛躍的に向上した。そうした高音質のレコードの再生にたえる高音質蓄音機の開発が待望された。
こうした背景の中で1925年に開発されたのがクレデンザである。箱の内部に長大な増幅部を確保し(図3)、音質の向上に大きな役割を果たしている。また、この頃までに音の伝搬に関する物理的な理論が確立されたこと、サウンドボックスの振動板にそれまでの雲母ではなくジェラルミンを使用し、理論に沿った設計が可能になったことも音質の向上をもたらしている。これらの特徴により、クレデンザはそれまでとは比較にならないほどの高音質を獲得し、現在でも銘機として記憶されることとなった。
平林氏製作機について
平林勇氏は日本管楽器株式会社の設計技術者で、管楽器研究家として外国においても高名な人であった。外国との文通を通じて管楽器に関する図書や資料を世界中から収集し、膨大なコレクションを所持していた(このコレクションは戦災で焼失)。工場では見習い工と同じ服装で管楽器作りを勉強していたという。特にホルンのロータリー部の研究を、陸海軍楽隊のアドバイスを得ながらすすめ、後のロータリー式トランペット、ホルンの改良に多大の貢献をした。宮城道雄(1894-1956)氏の発明として有名な「八十絃」という箏は、平林氏と宮城氏が和楽器として洋楽器に遜色のないもの、世界中のものが何でも弾けるようなものを作りたいという意図で1928年冬から29年にかけて製作したものであった。
平林氏がこの蓄音機を設計したのは1928年頃と推定される。特徴としては以下の3点が挙げられる。
@全体として、クレデンザの設計をモデルにしている。
Aサウンドボックスは、現在、隈部一雄氏の開発したキュマーベ号を使用している。
B開口部を前面下部に集中させ、合計2.7メートルの増幅部を確保している(図4)。この数字は、高音から低音まで適正に再生するために平林氏が独自に音道計算をして割り出したもので、非常に工夫を凝らした内部構造となっている。
経年変化による材質の問題や、ターンテーブルを回転させるモーターのゼンマイの数が2丁(クレデンザは4丁)であることなどいくつかの弱点をもっているが、この時期の国産蓄音機の質の向上に向けた技術者たちの工夫が感じられ、興味深い。東京帝国大学助教授の隈部一雄氏(上述キュマーベ号の設計者)は、平林氏の蓄音機を、当時の音響理論発展の成果を盛り込んだ苦心の作品と評価している(『SPレコード』創刊号、1972)。
![]() 図1 |
![]() 図2 |
![]() 図3 |
![]() 図4 |
出典:梅田晴夫『蓄音機の歴史』1976年、PARCO出版局(図1, 2)
http://www1.odn.ne.jp/~cbz49420/credenza-2.jpg(図3)
主催 東京大学総合研究博物館 博物館工学ゼミ音楽イヴェント班
西野嘉章(総合研究博物館・博物館工学) 湯浅万紀子(北海道大学総合博物館・博物館教育) 藤尾直史(総合研究博物館・建築史学) 協力 平林武尚氏 平林良子氏 湯浅なか氏 加藤豊昌氏 奥田公介氏 森洋久氏(大阪市立大学・地理学) 城隆之氏(nano-graph.com) 柳瀬雅史氏(撮影) 大関哲也氏(日本映画新社) 林華江氏(日本映画新社) 山内隆治氏(日本映画新社) 田賀井篤平氏(総合研究博物館・バイオ鉱物学) |
音楽イヴェント班 井内智子(人文社会系研究科・日本史学) 池田勇太(人文社会系研究科・日本史学) 大澤啓(人文社会系研究科・美学藝術学) 岡元知恵(文学部・美術史学) 奥田あゆみ(情報学環) 小森真樹(総合文化研究科・芸術社会学) 佐藤景子(文学部・社会学) 菅原彩加(文学部・英語英米文学) 鈴木淳生(文学部・美術史学) 鳥越弾(文学部・美学藝術学) 門間卓也(文学部・西洋史学) 山本祥隆(人文社会系研究科・日本史学) 渡辺拓也(人文社会系研究科・日本史学) |
A propos de deux gramophones de la premiere moitie du XXe siecle
Musee de l’Universite de Tokyo
Pour cette manifestation, nous avons prepare deux gramophones. Le premier, transmis de generation en generation au sein de la meme famille, est une acquisition de feu YUASA Seiji, grand-pere de YUASA Makiko, ex-attachee de recherches a notre musee (et actuellement rattachee au musee de l’Universite de Hokkaido). C’est un modele de type VV8-30 (egalement connu sous le nom de Credenza), fabrique par la societe americaine Victor. Le second, dont la conception s’inspire du Credenza, est un gramophone invente et fabrique individuellement par HIRABAYASHI Isamu, concepteur d’instruments sous l’ere Taisho-Showa. Si les deux gramophones ont une apparence exterieure relativement similaire, on peut toutefois noter des differences dans leur structure interne, et il est particulierement interessant de constater ainsi les tatonnements des concepteurs japonais d’instruments musicaux de l’epoque. Nous voudrions egalement vous faire comparer les differences dans la qualite du son emis par les deux appareils.
A propos du Credenza
Deux facteurs sont a considerer dans l’arriere-plan technique qui a permis l’apparition du Credenza. C’est d’une part l’augmentation de la taille des gramophones. En 1903, avec la mise au point d’une piece speciale, le bras de lecture (tone arm), il est possible de dissocier la caisse de resonnance qui recueille le son, et le cornet qui l’amplifie. Jusqu’alors, il etait d’usage que la caisse de resonnance, en contact direct avec le disque, soit surmonte d’un cornet (cf. figure 1), limitant ainsi les possibilites d’agrandir celui-ci (et donc d’ameliorer le son). Ceci fut toutefois rendu possible par la mise au point du bras de lecture, et la tendance fut alors a l’incorporation du cornet dans un meuble, dont on agrandit les dimensions afin d’en ameliorer la qualite du son.
Le second facteur est l’enregistrement electrique. Dans la premiere moitie de la decennie 1920, on mit au point une methode d’enregistrement electrique employant un tube a vide, ce qui ameliora considerablement la qualite audio des disques. On en vint ainsi a attendre la mise au point d’un gramophone qui permette la lecture de disques de haute qualite.
C’est dans ce contexte que fut mis au point, en 1925, le Credenza. Ici, un amplificateur de grande dimension se trouve incorpore dans le meuble, ce qui contribue grandement a l’amelioration de la qualite du son. D’autre part, profitant de l’etablissement de theories physiques relatives a la transmission du son, on substitua aux diaphragmes de mica employes jusqu’alors des diaphragmes faits de duralumin. La possibilite d’une conception des appareils etayee par la theorie joua ainsi egalement un role majeur dans l’amelioration du son. En raison de ces particularites, on parvint a obtenir avec le Credenza une qualite de son jusqu’alors inegalee, ce qui lui vaut d’etre retenu encore maintenant comme un appareil celebre.
On raconte qu’a cette epoque, un Credenza s’achetait au meme prix qu’une demeure a deux etages batie sur un terrain de 50 tsubo (environ 160m2) dans un beau quartier de Tokyo.
A propos de l’appareil concu par HIRABAYASHI
HIRABAYASHI Isamu, ne en 1904 et disparu en 1938 a l’age de 34 ans seulement, etait un concepteur d’instruments de musique et un specialiste d’acoustique. Malgre sa breve existence, il laissa derriere lui de nombreux travaux. Particulierement important dans la mise au point des haut-parleurs, son travail comprend egalement la conception, au debut de l’ere Showa, d’un koto a 80 cordes.
Son pere, HIRABAYASHI Takeshi, etait professeur de metallurgie et d’extraction miniere a l’Institut de technologie de l’Universite Imperiale de Tokyo. Apres que M. HIRABAYASHI Takehisa, petit-fils de Takeshi (et neveu de Isamu), fit don a l’Universite de Tokyo de la documentation colossale relative a la geologie laissee par son grand-pere, et dont il etait le depositaire, il fut convenu que ce gramophone, qui restait inutilise dans l’entrepot familial des HIRABAYASHI, fit egalement l’objet d’un don, apres des travaux de restauration assures par M. KATO Toyomasa.
On estime que c’est en 1931-32 (les troisieme et quatrieme annees de l’ere Showa) que HIRABAYASHI concut ce gramophone. Parmi les caracteristiques distinctives de ce dernier, on peut notamment citer les trois points suivants :
@ Sa conception s’inspire globalement de celle du Credenza.
En raison d’un certain nombre de points faibles, comme la qualite problematique des materiaux utilises, ou encore le fait que le moteur activant le tourne-disque ne comporte que deux ressorts (contre quatre pour le Credenza), ce gramophone ne peut pretendre egaler la qualite audio du Credenza. Toutefois, il est digne d’interet en ce qu’il atteste de l’ingeniosite des techniciens de l’epoque, qui visaient a ameliorer la qualite des gramophones de fabrication japonaise. KUMABE Kazuo, maitre de conferences a l’Universite Imperiale de Tokyo (et concepteur du modele Kumabe mentionne ci-dessus), estimait alors que le gramophone HIRABAYASHI etait le produit d’un long effort exploitant pleinement les resultats des progres de la theorie acoustique de l’epoque.
[Lecture d’un disque sur chacun des deux appareils]
Disques 78 tours fournis par M. OKUDA Kosuke
Vous avez sans doute remarque la difference dans la qualite du son entre les deux appareils. Si l’on tente une caracterisation (et bien que cela soit supeflu), on peut dire que par rapport au Credenza, le son emis par le gramophone HIRABAYASHI est unidirectionnel (uniquement dirige vers l’avant), que les sons de hauteur moyenne sont tenus, et que la sonorite et le volume sont faibles. Ces defauts proviennent des problemes mentionnes plus haut, relatifs a la qualite des materiaux utilises. En comparaison, le Credenza est manifestement un dispositif de lecture tres perfectionne, par le son multidirectionnel, la richesse des sons de hauteur moyenne, et le volume qu’il offre. Ceci est du au fait que la sonorite de la caisse de resonnance, incorporee dans le gramophone, a fait l’objet d’un calcul et d’une conception bien plus minutieux que le gramophone HIRABAYASHI. Pour etre plus clair, on peut dire que la ou la sonorite de l’appareil HIRABAYASHI est craquelee, le Credenza offre la splendeur d’un son genereux qui s’etend dans l’espace.
Cependant, il convient d’ajouter que, si le gramophone HIRABAYASHI attenue l’echelle des sons de hauteur moyenne, on peut penser que c’est en vue d’un meilleur equilibre, et en ce sens on ne peut simplement affirmer qu’il est forcement inferieur au Credenza du point de vue de la qualite de la reproduction des sons.
Enfin, avant de vous faire ecouter ces gramophones aujourd’hui, nous les avons testes a plusieurs reprises, et la qualite du son qu’ils offraient s’ameliorait au fur et a mesure de nos repetitions. On dit qu’un instrument dont on ne joue pas finit par mourir. De meme, un gramophone est un instrument de musique, et nous avons reellement compris que par son caractere propre, un gramophone differe fondamentalement des dispositifs audio actuels.?
(翻訳担当:美学藝術学 大澤啓)
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