18 古典文学作品では何をもって「オリジナル」と考えるべきか?





 文学作品にあっては「オリジナル」の概念を容易に確立しがたい。古典文学のように、元原稿の失われている場合にあってはとくにそうである。仮に生の原稿が残されていたとしても、はたしてそれが最終稿(オリジナル)であったという保証はどこにもない。というより、文学作品は時代を超えて不断に生成を続けるものであるとするなら、「最終稿」(オリジナル)という概念がそもそもあり得るのかという疑問もあり得る。常識的な見方をするなら、年代の古い筆写本の方が、あるいは内容の豊かな方が、より原型に近いと考えられるが、現実にはそうでもない。『源氏物語』のように「筆写本」がいくつも存在する場合には、元本(オリジナル)や写本(コピー)の概念を持ち出し難い。このテキストもまた筆写され、印行される過程で、不断に生成しつつあることがわかるからである。

18-1 『源氏物語』(鈴虫一、鈴虫二、夕霧、御法の四段)のテキスト異同を示すデジタル端末
(坂村研究室)

18-2 『源氏物語』(五島美術館本)のデジタル複製物
巻子本、日立製作所試開発センター


「源氏物語」は紫式部が11世紀初頭に完成させたと言われる。しかし、紫式部が書いた本文は失われてしまっている。現在、我々が目にする「源氏物語」は人の手によって写された伝本の文章である。したがって、本文もひとつではなく複数存在する。

「源氏物語」の本文は「青表紙本系」、「河内本系」、「別本系」の三系統に大別される。「青表紙本」は藤原定家が家の本とした一証本を指す。この名称は表紙の色から来ている。この本の成立に関して、「明月記」の記事により、次のような経緯がわかる。もと定家のもとには証本とすべき「源氏物語」の完本があったのだが、建久年間にそれを盗まれた。それ以後嘉禄元年まで定家の証本とすべき完本はなかったが、元仁元年11月より家中の小女等をして54帖を書写せしめ、翌嘉禄元年2月15日に表紙を付け、同16日外題を書いた。その後所々から本を借りてきて比校したが、未だ不審な部分が残っていた。安貞元年10月13日、室町殿から借りていた2部の「源氏物語」を返上するにあたり、定家本をもって大略校合し、その詞を用捨した。

 定家が整理した本文そのものと信じられる「定家本」も、現在では「花散里」、「柏木」、「行幸」、「早蕨」の4帖しか残っていない。この「青表紙本」を書写した諸本の系統を「青表紙本系」と呼ぶ。「河内本」は大監物源光行とその子親行が協力して、その当時伝来していた源氏物語の古写本を集め、校合の上解釈を加え、定本として家に伝えた証本をいう。光行の没後、親行、その子義行、孫友行等が代々加筆して伝えたのであるが、鎌倉時代から吉野時代にかけて重んぜられた校訂本である。この「河内本」を書写した諸本の系統を「河内本系」と呼ぶ。「別本系」は「青表紙本系」でも「河内本系」でもないと認められる諸本のことである。その他、江戸時代に出版された「源氏物語湖月抄」などもある。

 ちなみに、室町中期の書写と見られる、東京大学付属図書館蔵源氏物語(54帖)は「空蝉」、「紅葉賀」、「関屋」、「絵合」、「松風」、「初音」、「蛍」、「篝火」、「椎本」が河内本系、「澪標」、「朝顔」、「藤袴」、「幻」、「匂宮」が別本系、他の40の巻が青表紙本系にあたる。このように、一揃えの「源氏物語」中でも、巻によって系統の違う本文になっているものが殆どである。

 ここでは「定家本」が残っている「花ちるさと」の巻を例に実際に本文を見てみよう。比較には池田亀鑑氏の「源氏物語大成校異編」から、「定家本」(藤原定家筆)、「七毫源氏本」(伝頓阿筆)、「御物本」(筆者不明)、「陽明家本」(伝甘露寺資經筆)を使用する。どれも話の筋に変化はなく、本文もほとんど同じであるが、少しずつ違っている。その中で、特にわかりやすいところを具体的に上げてみよう。たとえば、「定家本」では「院かくれさせたまひてのちいよいよあはれなる御ありさまを」とあるところが、「七毫源氏本」では「院かくれたまてのちはいととものあはれなるありさまを」、「御物本」では「院かくれさせたまひてのちいとあはれけなる御ありさまを」、「陽明家本」では「院かくれさせたまひてのちいとあはれけなる御ありさまを」となる。これらを読み下すと、「定家本」は「院かくれさせ給ひて後いよいよあはれなる有様を」となり、「七毫源氏本」は「院かくれさせたまて後はいとどものあはれなる有様を」となり、「御物本」は「院かくれさせ給ひて後いとあはれげなる御有様を」となり、「陽明家本」は「院かくれさせ給ひて後いとあはれげなる御有様を」となる。

 ここで注目したいのは後半部分である。「定家本」では「いよいよ」、「七毫源氏本」では「いとど」とあり、どちらも「ますます」という意味の単語である。ところが、「御物本」および「陽明家本」では「いと」とあり、「たいへん」という意味の単語になっている。また、これに続く形容動詞も、「定家本」では「あはれなる」となっているが、「七毫源氏本」では「ものあはれなる」、「御物本」及び「陽明家本」では「あはれげなる」となっており、少しずつニュアンスが変わっている。また、「定家本」に「御くるまをしかへさせて」とあるところが、「七毫源氏本」では「御くるまをさへさせ給て」、「御物本」では「御くるまををしかへさせ給ひて」、「陽明家本」では「御くるまをしかへさせ給て」となる。これらを読み下すと、「定家本」では「御車押し返させて」、「七毫源氏本」では「御車押さへさせ給て」、「御物本」では「御車を押し返させ給ひて」、「陽明家本」では「御車押し返させ給て」となる。「七毫源氏本」では「押さへる」という単語が使われ、他の本では「押し返す」という単語が使われる。動作が違うのである。また、「定家本」では「給う」という尊敬語が使われていない。

「定家本」で「ことはりのよのさかとおもひなしたまふありつるかきねもさやうにてありさまかはりにたるあたりなりけり」とある箇所が、「七毫源氏本」では「ことはりよのさかと思なし給つつさるにつけてもにくからすよへのかきねもさやうにてかはかりにつけるなるへし」、「御物本」では「ことはりのよのさかとおほしなしたまふありつるかきねもさやうにてありさまかはりにたるあたりなるへし」、「陽明家本」では「ことはりのよのさかとおもひなしありつるかきねもさやうにてありしさまかはりぬるあたりなれと」となる。これらを読み下すと、「定家本」は「理の世の性と思ひなし給ふ。ありつる垣根も左様にて、有様変はりにたる辺りなりけり」、「七毫源氏本」は「理、世の性と思なし給つつ、さるにつけても憎からず、よべの垣根も左様にて、かばかりにつけるなるべし」、「御物本」は「理の世の性と思しなし給ふ。ありつる垣根も左様にて、有様変はりにたる辺りなるべし」、「陽明家本」は「理の世の性と思ひなし、ありつる垣根も左様にてありし様変はりぬるあたりなれと」となる。ここでは「七毫源氏本」が他の本と全く違う部分が含まれている。誰かの解釈、研究により、文章が変えられたことが考えられる。

 日本に活版印刷の技術が伝来したのは、安土桃山時代、朝鮮及び南蛮からといわれている。それまで日本の文学は、いや、文学以外のすべての文書も含めて、どれも人手によって書写されていた。したがって、現在まで伝わっている日本の古典文学の多くは、書写によって普及し伝えられたものである。当然、書写者の古典に対する姿勢や文化的教養、身体的条件、古典に対する享受意識等によって写本に差が生じる。また、生身の人間のする事であるから、似たような字を読み間違えたり[1]、原本の字が読めなかったり、一行飛ばしてしまったりというミスも免れ得ない。それ以外にも、製本する際に現在の活字本の落丁、乱丁に相当する、脱落、錯簡がおこったり、長い間に製本が壊れて別の本と混じり合ったりということも起こる。

 そうして生まれた「異本」が、また別の人によって書写されていく。そうして様々な異なった本文が生まる。なおかつ、何百年もの時を越える間に原本が失われる。原本が失われてしまえば、正しい本文がわからなくなる。そこで、残された伝本を複数集め、それらを比較して原本に近づく努力がなされたり、学者と呼ばれる人々が自らの信じる文法や理論に則って本文に手を加えたりする[2]

 つまり日本の古典文学のほとんどは「オリジナル」が不在であり、「コピー」のみが残っているという状況にある。しかもその「コピー」は人の手によるものであり、たとえ一字一句間違えない努力をしたとしても「オリジナル」をそのままコピーしたものではない。「名作」といわれるものほど古くから研究が行われており、「学者」による解釈や研究によって本文が変えられるということが頻繁に起きている。「オリジナル」に近づけるための研究もあったようであるが[3]、中には、一般の読者(といっても一部の特権階級の人間である)が自分の好みで物語を変えるということもあった。現代の研究者の課題のひとつは、ここにある。つまり、どの本がいちばん「オリジナル」に近いか、という研究が必要になるのである。そして、「オリジナル」に近いとされるものほど「良本」と呼ばれ、重視される。しかし、いくら「良本」といえども「コピー」に過ぎない。

 しかし、一つの系統の写本しか今に伝わっていなかったり、たった一冊しか現存しない場合には、それをどのように考証したとしても、「原本」を復元できるはずがない。また、他の文学作品に与えた影響を考えるとき、一番重視されなければならないのは、その文学作品が成立した環境(時代、作者の階級や身分、住んでいた場所など)において、入手が可能であった伝本であって、それは必ずしも「良本」とは一致しない。そうした考証を経ずに古典文学の研究は前に進めない。

「源氏物語」の例が示すように、ほとんど同じようにみえる本文でも、よく観察してみると、仮名遣いや単語や文章が違っていることがわかる。活字や版木やコピー機で複写の出来なかった時代に行われた、人の手による「コピー」は、時にはミスを犯し、時には意図的に変更され、様々なかたちの本文を創り出した。「オリジナル」が失われてしまった今、残された複数の「コピー」やそのまた「コピー」が投げかける問題は、単に古典文学研究の範囲にとどまらない。「オリジナル」の不在、同じ「オリジナル」のコピーでありながら、それぞれに違った形を持つ複数の「コピー」。果たして何が「オリジナル」であり、何が「オリジナル」でないのであろうか。
(森田みのり)




【註】

[1]藤原定家は74才の文歴2(1235)年に、鎌倉時代まで蓮華王院に秘蔵されていた紀貫之自筆の「土佐日記」を写している。そしてその奥書の最後の部分に、「不読得所多只任本出也」すなわち、読めない所は自分の判断で読解書写したと記している。また、三条西実隆も「古代仮名猶科蚪」(古代の仮名はおたまじゃくしのようで読みにくい)と嘆いている。このように、本文が読みにくければ、書写者は自らの学識に従い、正しいと判断した字をあてて、読み解き書写するほかない。[本文へ戻る]

[2]例えば「枕草子」の伝本には三巻本系、能因本系、前田家本、堺本系の4種がある。各系統間の差異はかなり大きい。有名な「春はあけぼの」で始まる段を比較してみよう(小学館の新編日本古典文学全集「枕草子」解説参照)。  三巻本(弥富破摩雄氏、田中重太郎氏旧蔵本=弥富本)――春はあけぼの。やうくしろく成り行く山ぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。夏はよる。月の比はさら也、やみも猶ほたるの多く飛びちがひたる。又、ただ一つ二つなどほのかにうちひかりて行くもをかし。秋は夕暮。ゆふ日のさして山の端いとちかうなりたるに、からすのね所へ行くとて、三つ四つ二つみつなど、とびいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、むしのねなど、はたいふべきにあらず。霜のいとしろきも、又さらでもいとさむきに、火などいそぎおこして、すみみもてわたるも、いとつきくし。ひるに成りて、ぬるくゆるびもていけば、火をけの火も、しろきはいがちになりてわろし。なお、同系統の勧修寺家旧蔵本、中邨秋香旧蔵本、伊達家旧蔵本、古梓堂文庫蔵本には、「霜のいとしろきも」の前に、「冬はつとめて。雪のふりたるはいふべきにもあらず」という文が入る。松尾聰氏によれば、これは「はたいふべきにあらず」のから「雪のふりたるはいふべきにもあらず」に目移りした写し落としである。  能因本――春はあけぼの。やうくしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。夏はよる。月の比はさらなり、やみも猶ほたるとびちがひたる。雨などふるさへをかし。秋は夕暮。夕日花やかにさして山ぎはいとちかくなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつふたつなど、とびゆくさへあはれなり。まして雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆる、いとをかし。日いりはてて、風の音、虫の音など。冬はつとめて。雪のふりたるはいふべきにもあらず。霜などのいとしろく、又さらでもいとさむきに、火などいそぎおこして、すみもてわたるも、いとつきくし。ひるになりて、ぬるくゆるびもて行けば、すびつ、火をけの火も、しろきはいがちになりぬるはわろし。  前田家本――はるはあけぼの。そらはいたかくかすみたるに、やうくしろくなりゆくやまぎはの、すこしづつあかみて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。夏はよる。月のころはさらなり、やみもほたるのほそくとびちがひたる。またただひとつふたつなどほのかにうちひかりてゆくもをかし。あめなどのふるさへをかし。秋はゆふぐれ。ゆふひのきはやかにさして山のはいとちかくなりたるに、からすのねにゆくとて、三つ四つ二つ三つなど、とびゆくさへあはれなり。ましてかりなどのつらねたるが、いとちひさくみゆる、をかし。日のいりはてて、かぜのおと、むしのねなど、はたいふべきにあらずめでたし。冬はつとめて。雪のふりたるはいふべきならず。しもなどのいとしろく、またさらでもいとさむきに、ひなどいそぎおこし、すみなどもてわたるも、つきくし。ひるになりて、やうくぬるくゆるびもてゆけば、いきもきえ、すびつ、ひをけも、しろきはいがちにきえなりぬるはわろし。  堺本(高野辰之氏旧蔵本)――春はあけぼのの空は、いたくかすみたるに、やうく白くなり行く山のはの、すこしづつあかみて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたるもいとをかし。夏はよる。月の比はさらなり、ねやもなほ蛍おほく飛びちがひたる。又、ただひとつふたつなどほのかにうちひかりて行くもいとをかし。雨ののどやかにふりそへたるさへこそをかしけれ。秋は夕暮。ゆふ日のきはやかにさして山のはちかくなりたるに、烏のねにゆく三つ四つふたつみつなど、飛び行くもあはれなり。まして雁のおほく飛びつれたる、いとちひさくみゆるは、いとをかし。日入りはててのち、風のおと、虫の声などは、いふべきにもあらずめでたし。冬はつとめて。雪の降りたるにはさらにもいはず。霜のいと白きも、又さらねどいとさむきに、火などいそぎおこして、すみもてありきなどするみるも、いとつきづきし。ひるになり、ぬれのやうくぬるくゆるいもていにて、雪も消え、すびつ、火をけの火も、しろきはいがちになりぬればわろし。[本文へ戻る]

[3]平安時代においては、特に物語の場合、享受者もまた第一、第二の作者であったという背景がある。物語は「昔、男ありけり」(「伊勢物語」)、「いずれの御時にか」(「源氏物語」)などというような書き出しで始まることからもわかるように、過去に実際にいたある人物の事跡を語るというたてまえになっている。したがって、その事跡をかってに変えることはできないが、語り方、つまり文章表現はかなり自由に変えられる。平安時代の物語に作者の署名がないことによってもわかる通り、享受者の誰もが第二、第三の作者になり得たわけである。[本文へ戻る]


【文献】

池田亀鑑『源氏物語大成』中央公論出版、1985年。
池田亀鑑『源氏物語辞典』東京堂、1950年。
阿部秋生『源氏物語の本文』岩波書店、1986年。
橋本不美男『原点をめざして――古典文学のための書誌』笠間書院、1974年。
新編日本古典文学全集18『枕草子』小学館、1997年。



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