第二部

活字の世界


初期彫刻金属活字

明治初期には、稀にではあるが、鋳造活字でも木活字でもなく金属製の彫刻活字を用いた印刷物が存在する。『学問のすゝめ』の初版の本文は、そうした金属製彫刻活字による組版である。『学問ノスヽメ』には各種の版式のものがあるが、展示したのは明朝体の鋳造活字を用いたものである。




  『学問のすゝめ』と『学問ノスヽメ』の活字各種について
府川充男


  今回展示された『学問のすゝめ』及び『学問ノスヽメ』にはいずれも、明治文化研究会の神代種亮による註記が付されているが、両版刊行の先後関係に関しては瞭かに愆りと思われる。富田正文『福沢諭吉書誌』(大塚巧芸社、昭和三九年)を引いておこう。

  (上略)福沢は「学問のすすめ」の初編を刊行するとき、最初から斯かるパンフレットを叢刊する意図は持っていなかったものの如く思われる。初めは単独の一冊として出版せられたのであるが、出してみると意外に売行がよかったので引続き二編以下を続刊する考えになったものと推察せられる。(中略)二編の端書の終りに「先きに著したる一冊を初編と為し尚其意を拡て此度の二編を綴り、次で三、四編にも及ぶ可し」と記してあり、二編以下の刊行の間隔が殆ど一ヶ月乃至三、四ヵ月に過ぎないのに、初編と二編の間に約二年に近い間隔があるところを見ても、初編の成立と福沢の意図に相当の相違のあったことが察せられる。

  すなわち『学問ノスヽメ』初編は『学問のすゝめ』の翻刻版に外ならないのである。同書を参看しつつ初編以下を一覧表にしておく。

  初編―――明治五(一八七二)年二月(楷書の金属製彫刻活字による活版)/同年六月再刻(初版の覆刻整版)/明治六(一八七三)年三月三刻(漢字片仮名交り、整版)。展示した、明朝体活字による翻刻版の刊行年次は未詳。
二編―――明治六年一一月(整版)
三編―――同年一二月(整版)
四編―――明治七(一八七四)年一月(明朝体鋳造活字による活版。以下に「活版」とあるものはいずれも同)(挿図1)
五編―――同年同月(活版)
六編―――同年二月(活版と整版の二種類の版本がある)
七編―――同年三月(活版)
八編―――同年四月(活版)
九編―――同年五月(活版)
十編―――同年六月(整版)
十一編――同年七月(活版)
十二編――同年一二月(整版)
十三編――同年一二月(整版)
十四編――明治八(一八七五)年三月(整版)
十五編――明治九(一八七六)年七月(整版)
十六編――同年八月(整版)
十七編――同年一一月(活版)

挿図1

  多くは各種の異版があるようである。なお富田は十七編に触れて「活字の形は第四編以下の各編が三号大の本文と五号大の註活字とで組まれているのに対し、この一編だけは四号大の活字が使用されている。この頃から慶應義塾内で新聞発行の計画が進められていたから、そのために新しい活字が揃えられたのであろう」としている。この点、展示した四号明朝体活字(本木系)による『学問ノスヽメ』初編の翻刻時点を暗示するやも知れない。

  さて『学問のすゝめ』初版に用いられた三号大の楷書彫刻活字であるが、端書に「この冊子を独り中津の人へのみ示さんより広く世間に布告せば其益も亦広かるべしとの勧に由り乃ち慶應義塾の活字版を以てこれを摺り」云々と誌される。書風は相当に達者である。他に同様の楷書活字の使用例を、やはり慶應義塾版の『民間雑誌』第九号(明治八年)の極く一部(第九号著者坪井仙二郎の「坪」「仙」の二字。ただしこの二字は『学問のすヽめ』には遣われていない。他の活字は三号の明朝体)くらいしか管見に入れ得ない(なお『学問ノスヽメ」活版本の三号活字組版部分の極く一部にも楷書風の活字が混植されている)。なお『学問のすゝめ』の楷書活字と書風が近似する資料に『慶應義塾読本』(慶應義塾、明治四年。巻頭題「THE/ STANDARD THIRD READER.」、表紙「SARGENT'S/ THIRD/ READER./慶慮義塾/読本/明治四年/開版」)の表紙がある。『学問のすゝめ』同様、木質の版による印刷とは思われず金属版と推察されるが、活字によるものか金属ブロックに彫刻したものかは判然しない。

  また活版本『学問ノスヽメ』に用いられた明朝体活字であるが、矢作勝美は『明朝活字 その歴史と現状』で「本木系の活字と較べてみても、あきらかにちがっている」としているが、少くとも五号活字組版部分に関しては認め難いと言わざるを得ない。四編の五号活字の主体は明確に本木系と看倣される。ただし四号や五号の本木系活字の書風を基として三号が「あきらかにちがう」などと言える道理はないので、『学問ノスヽメ』に用いられた三号活字の系譜を(「何某系と違う」という否定的な形であれ)推認するためには、活字の書風に対する「感覚」ではなく、明確に「明治初年の本木系三号活字」と言える基準標本(明治五年の『新聞雑誌』第六六号の附録や『新塾餘談』に収載された本邦最初の活字売出広告以外に、十分な文字数を持ったもの)との示差を確定するのが最低限必要となろう。だが、こと三号活字に関してはそもそもの比較材料が不足しているために、今日に至るまで我々も得心に至らないのである。初期本木系活字の二号、四号、五号などは標本が多いが、三号の明朝体は殆ど管見に入らない。明治初年で明確に本木系と同定しうる三号活字は殆ど楷書もしくは行書に限られる。なお上海美華書館から明治二(一八六九)年末に本木昌造の許に齎された三号の明朝体活字の源は仏蘭西人マルスラン・ルグラン(Marcellin Legrand)の製造した一六ポイント分合活字である。活版本『学問ノスヽメ』に用いられた三号活字は確かにルグランの活字とは別物だが、ただし長崎の新町活版所にせよ東京の平野活版にせよ三号の明朝活字を新製しつつあった可能性も否めない。

  なお『学問ノスヽメ』の三号活字の一部にはパンチ父型を母型材に押し込むときの不具合によるものではないかとも思われる漢字横画の折れや歪みが観察される。これが本当にパンチ父型による疵であるとすれば確かに本木系の電胎母型による活字ではないということになる。その場合、『学問ノスヽメ』の三号活字の製造者である可能性が最も高いのは、工部省勧工寮などに活字を納品していた志貴和助、大関某ら官営印刷所系の活字業者ということになろう。

62a 福澤諭吉・小幡篤次郎著『学問のすゝめ(全)』(全一冊)
明治四(一八七一)年一二月
慶応義塾製三号大活字版、仮綴本
縦一八・〇cm、横一一・六cm
明治新聞雑誌文庫蔵(人2069-589)

当時としては珍しい楷書金属活字で洋紙に両面刷り。奥書に「慶応義塾の活字版を以てこれを摺り」とある通り、初版は三号大(約一六ポイント)の金属製彫刻活字を使用した組版。二版はこれを木版で被せ彫りした覆刻版。いずれも漢字平仮名交じり。

62b 福澤諭吉・小幡篤次郎著『学問ノスヽメ(巻之一)』(全一冊)
奥付欠
四号大活字版、和装本、縦一六・二cm、横一一・七cm
明治新聞雑誌文庫蔵(人2068-588)

『学問のすゝめ』の初版が大好評を博したため、初版の翻刻版を第一編として漢字・片仮名交じりによる、『学問ノスヽメ』の続編が第十七編まで慶応義塾より刊行された。巻により、明朝体活字によるもの、木版によるものなど様々で、活版本と整版本の双方が存在するケースまである。本書は本木(平野富二)系の四号活字を本文に用いたもの。『学問のすゝめ』との前後関係を憶測した神代種亮の書き込みは事実誤認であろう。



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