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岩石


1 別子銅山の鉱石


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総合研究資料館、鉱山部門

別子銅山は、1690年に発見されて1972年に閉山するまでの280年間に鉱石を30メガトン(銅量にして700キロトン)生産した。この銅の生産量は、栃木県の足尾銅山に次いで日本で2番目に多い。

鉱床はキースラーガー型に属する。キースラーガー(Kieslager)とはドイツ語で、Kies(砂利、硫化鉱)とLager(寝床、鉱床)の合成語である。日本語では層状含銅硫化鉄鉱鉱床と訳されていた。別子型鉱床と呼ばれることもある。特徴は(1)形態が層状で、(2)特定層準に規制されており、(3)主な鉱石鉱物は黄鉄鉱(FeS2)で、(4)黄銅鉱を少量伴い、(5)塩基性火山岩を母岩とする。特徴にあげることはできないが、多くの鉱床が変成帯中に存在する。特に西南日本の中央構造線の南に分布する三波川変成帯、その南を並走する低変成の秩父帯、さらにその南の四万十帯には、西から槙峰(宮崎)、大久喜(愛媛)、別子(愛媛)、佐々連(愛媛)、白滝(高知)、飯盛(和歌山)、五条(奈良)、峰の沢・久根(静岡)など、多くの鉱床が存在する(挿図1)。また、他の地域の変成帯では、舞鶴帯に柵原(岡山)、阿武隈帯(日立変成岩)に日立(茨城)がある。しかし、非変成ないし低変成の地帯でも、土倉(滋賀)や下川(北海道)が知られている。鉱床の特徴から明らかなように、ほとんどが低品位(数パーセント以下)の銅鉱床に分類される。ただし、別子鉱床の東北東20キロに位置する佐々連鉱床は多少特異で、平均1パーセントの亜鉛品位をもち、部分的に亜鉛が数パーセントの鉱石を産した。

別子鉱床は結晶片岩を母岩とする典型的なキースラーガー型鉱床である(註1)。積善、筏津、余慶、本山など多数の層状鉱床から成る。そのうち、本山鉱床が最大で、全産出量の90パーセント以上を占めた。東西(走向)方向の延長は1000〜1500メートル、北向きに落ちた傾斜方向の延長は2000メートル以上(註2)である。鉱床周辺の変成岩は、下盤側から上盤側へ、大きく黒色千枚岩、緑色片岩、黒色片岩、点紋緑色片岩(註3)、黒色片岩と変わる。鉱床はこのうち、下盤側の緑色片岩中に片理面にほぼ平行に存在している(挿図2)。別子鉱床と北の佐々連鉱床の間には、富里向斜と呼ばれる褶曲構造がある。鉱床の形態はこの褶曲構造に規制されており、富鉱部の方向は、褶曲の線構造と一致する。展示されている試料は、誰がどのような手段で採取し、運搬してきたか今では分からない。ただ、上述の変成岩とその褶曲構造の関係を、学生に教室で観察させたいとの意図の下に、採取・運搬した(あるいはさせた)ことは確かである。

1-1 日本におけるキースラーガー型鉱床の分布1-2 別子鉱床の断面図(Banno et al., 1970)

展示試料では、鉱石鉱物に富む部分と脈石鉱物(註4)に富む部分がほぼ平行に曲がりくねって走っている。つまり、富里向斜と呼ばれる大きな褶曲構造とともに、このような小さな褶曲構造も存在する。この小さな褶曲構造の認識に貢献している縞は、変成作用および褶曲作用を受ける前から、すなわち堆積時から存在していたと考えられる。では、(1)鉱石鉱物部は堆積時から鉱石鉱物に富んでいたか、あるいは、(2)鉱石鉱物はある特定堆積物の部分に後からそれを置き換えて沈殿したか。(1)を同生説(あるいは堆積説)、(2)を後生説(あるいは交代説)という。試料全体を見ると鉱石鉱物部と脈石鉱物部は、いくら曲がりくねっていても、平行である。同生説論者はこの点を強調する。しかし、縞を細かくよく見ると、鉱石鉱物部が脈石鉱物部に入り込んでいる。後生説論者はこの点を強調する。一方は、地層の堆積時に鉱石鉱物も沈殿したという註モデルに基づいて鉱床を探したら見つかった。したがって、同生説が正しいと主張する。他方は、熱水溶液(註5)による交代作用で鉱床が生成したというモデルに基づいて探査したら、鉱床が発見できたから、後生説が正しいと主張する。

鉱床の成因が科学的視点から論じられるようになったは、1900年代に入ってからである。この過程で、鉱床の生成に熱水が大きな役目を果たしていることが認識された。そして、キースラーガーは後生的に熱水の交代作用により生成したという考えが一般的になった。しかし、1950年を過ぎて、鉱床のより詳細な研究が進むと、世界的に、そして日本では本資料館初代館長の渡辺武男教授を中心として、同生説を主張する研究者が多くなってきた。1978年、東太平洋海膨21度の海底面で熱水起源の硫化物が発見された。続いて、翌年すぐ近くで最高350度の熱水の噴出が観察された。多くの研究者は、これによって、キースラーガー型鉱床の成因論論争に終止符が打たれたと思っている。過去の大洋拡大軸における熱水活動の産物である硫化物体が、プレートの移動とともに大陸に付加され、それが現在キースラーガー型鉱床として観察されている。鉱床を特徴づける塩基性火山岩は海底火成活動の産物である。付加されるとき、海洋プレートが大陸地殻の下に沈み込むと広域変成作用を受け、結晶片岩が生成する。

多くのキースラーガー型鉱床が変成帯に産するのは、その分布位置が海洋プレートと大陸プレートの衝突部に当たり、衝突の際に変成作用が起きることによる。では、変成作用と鉱床には何らかの関係があるか。別子鉱床周辺には高変成度の岩石が分布すると述べた。変成度を表す尺度で、緑色変岩相から緑簾石角閃岩相(400〜500度)である。より高い変成度を示すのは日立鉱床(茨城県)で緑簾石角閃岩相から角閃岩相(500〜600度)、低い方は下川鉱床で緑色変岩相(250〜350度)である。まず、鉱石組織では、変成作用による再結晶のため、構成鉱物の粒度が変成度とともに大きくなる。地球化学的には、変成度と各鉱床を構成する黄鉄鉱のニッケル/コバルト比との間に相関が認められる(挿図3)。すなわち、変成度が高くなるにつれて黄鉄鉱中のニッケル量が相対的に多くなる。これは、変成作用時に、鉱床と母岩である塩基性岩との間でニッケルおよびコバルトの交換が行われたためであろう。

(正路徹也)

キースラーガー型鉱床における変成度と黄鉄鋼中のニッケル/コバルト比の関係(正路・佐々木、1980)

註1 「別子型」という語は、キースラーガー型のうち高変成度の岩石を母岩とする鉱床に限定して使うことがある。
註2 採掘場が深くなって坑道岩盤が自然にはじけて割れるようになったため、鉱床はさらに下部に連続していたが、採掘を中止した。
註3 曹長石の変斑晶が白い斑点として観察される。
註4 鉱石は、採掘対象とする鉱石鉱物(黄銅鉱、黄鉄鉱など)とそれ以外の脈石鉱物(緑泥石、角閃石など)からなる。
註5 100度を越える水。各種イオンを多量に溶解する能力がある。割れ目が、そこを通過した熱水から沈殿した鉱物で埋められている場合、脈という。充填物が鉱石鉱物のとき、鉱脈という。

参考文献

Banno, S., Tekeda, H. and Sato, H., 1970,“Geology and ore deposits in the Besshi mining district”,IMA-IAGOD Tokyo-Kyoto Meeting Excursion B5 (Guidebook 9), p.29.
土井正民、1961、「別子鉱床の成因論の変遷」、『鉱山地質』、11、151〜156頁
川幡穂高、1983、「大洋中央海嶺の熱水系」、『鉱山地質』、33、347〜365頁
三宅輝海、1961、「キースラーガーの沈殿説論争」、『鉱山地質』、11、127〜132頁
日本鉱業協会編、1965、『日本の鉱床総覧(上巻)』、日本鉱業協会、東京、561頁
Tatsumi, T. ed., 1970, “Volcanism and Ore Genesis”, Univ. Tokyo Press, Tokyo, p.448.
正路徹也・佐々木望、1980、「北海道、下川鉱床におけるコバルトの分配とその地球化学的意味」、『鉱業会誌』、96、523〜528頁


2 秋田県花岡鉱山黒鉱質チムニー


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秋田県大館市花岡町、同和鉱業株式会社花岡鉱山、堤沢鉱床露天採掘場東壁産黒鉱質チムニー輪切り標本
堀越叡
1960年1月採集
総合研究資料館、岩石z床部門

1960年代後半から1970年代にかけて地球科学の分野では飛躍的な発展があった。それはプレート・テクトニクスとよばれる考えが登場したことによる。現在ではこの考えがほぼ正しいことが実証され、多くの地質現象がこの考えで説明されるようになっている。この考えの中心をなすものが大洋底拡大説である。この説によれば世界の大洋の下には玄武岩という岩石からなる海底が広く拡がっている。この玄武岩は、いくつかの大洋を貫いて走る山脈状の中央海嶺とよばれる場所で、マントルから上昇してくるマグマによって絶えず新しく生産されている。このためこの玄武岩からなる海底は中央海嶺の両側へと押し出されていくことになる。このようにして中央海嶺から拡大してゆく海底は、大洋の端までくると大陸の下へ沈み込むことによって消滅する。たとえば太平洋の東端付近に位置する東太平洋海膨とよばれる海嶺で生産された太平洋の海底はゆっくりと西へ拡大し、1億年以上もかかって日本列島付近までたどりつき、日本海溝から地下へと潜り込んで消滅する。この海洋底の潜り込みが、わが国に地震と火山という現象をもたらすのだという。

このような考えを確かめるために、潜水艇を使って深海に潜り、海嶺や海溝を実際に観察しようという試みも、近年各国の研究者によって盛んに行われている。多くの観察事実が報告されているが、その中でもひときわ注目を集めたのが、中央海嶺における熱水噴出という現象である。海嶺では高温のマグマが絶えず地下から供給されており、玄武岩の割れ目に沿って深くまで浸入した海水はその熱によって温められて様々な成分を玄武岩から抽出する。このように地下にあって温度数百度にまで達する水を熱水とよんでいるが、温められて膨張した熱水は比重が軽くなるので一転して上昇を開始する。このようにして海嶺では冷たい海水が海底の割れ目に引き込まれ、高温になってふたたび海底面へと戻ってくるという循環系が発達すると考えられる。このような熱水の海底面での噴出が、海嶺のいたるところで観察されることが判ったのである。

この熱水噴出を最初に観察したのはアメリカの有人潜水艇アルビン号に乗り込んだ研究者である。1979年、太平洋の海底を生産している長大な海嶺の一部であるメキシコ、マサトラン沖の北緯21度西経109度付近、水深2650メートルの地点への潜水で、異様な光景が目撃されたのである。もうもうと黒煙を吹き上げるかのように熱水を噴出する煙突状のものが何本かまとまって海底の小山の上に突き出し、その脇には長さ3メートルにも達する巨大なパイプ状の生物の束が揺れ動いていたのである(挿図1)。調査の結果によれば黒煙を吹き出している煙突のようにみえるのは、350度にも達する高温の熱水が海底下から噴出しているもので、冷たい海水で急冷されるために熱水中に溶けていた重金属が硫化物などとして沈殿し、これが煙突状の構造物を作っている。また析出する硫化物などの一部は極めて細粒で、これが懸濁しているためにあたかも黒煙を出しているかのようにみえる。この煙突状の部分はチムニー、噴き出す熱水はブラック・スモーカーと名付けられた。チムニーを乗せている小山は、降り積もった硫化物や活動をやめて崩れたチムニーのかけらなどからなっている。熱水中に含まれる硫化水素を酸化する化学合成バクテリアが活動し、これを底辺とする食物連鎖により特殊な生物群集が発達していることも判った。

2-1 アルビン号により目撃された光景を概念化した図。玄武岩質マグマが海底面上に流れてつくった枕状溶岩の上に、高温の熱水噴出によりブラックXモーカーとよばれる煙突ができている。パイプ状の生物や二枚貝窒Iもみられる(日本語版『サイエンス』1981年5月号より)。

さてこのような熱水活動の産物である硫化物を主体とする小山が地層として保存されると、どのような形で現れることになるだろうか。じつは過去の時代の硫化物の小山に相当するものが天然には存在するのである。玄武岩や流紋岩などの火山岩類に伴う塊状硫化物鉱床とよばれるものがそれである。ちなみに別子銅山の鉱床(図録番号1参照)もこの仲間である。このタイプの鉱床からは銅・亜鉛・鉛・金・銀を初めとする多様な金属が採掘されており、我々人類は非常な恩恵を被っているのであるが、その生成機構は周辺の地質状況から推定しているにすぎなかった。アルビン号に乗って最初にこの熱水噴出を観察したカナダ国トロント大学のスチーヴン・スコット教授が、観察結果を発表した学会講演の最後に、私が塊状硫化物鉱床の形成の現場をみた初めての人間だ、と誇らしげに胸を張ったのももっともなのである。

このタイプの鉱床の典型的なものの一つが、わが国によく発達している黒鉱鉱床である。亜鉛や鉛の硫化物に富む部分の色が黒いために、古くから黒鉱とよばれてきた。黒鉱鉱床は今から約1500万年ほど前に海底火山活動に伴って形成されたと考えられているが、玄武岩からなっている中央海嶺のような場所ではなく、日本海のような場所で流紋岩などのかなりシリカ分に富む火山岩に伴って生成している。海嶺と同様にマグマの活動があるので、それに伴って海水起源の熱水循環が流紋岩の中で起こっていたであろうことは、多くの研究者により認められている。それでは黒鉱が形成されていた時にもチムニーが林立し熱水が黒煙状に噴き上がっていたのであろうか。

本展示に出品されている黒鉱質チムニーの輪切り標本がその答えを与えている。この標本は、秋田県花岡鉱山の堤沢という黒鉱鉱床の露天採掘場の東壁から、1960年に堀越叡氏(現富山大学教授)により採取されたものである。採取時は粘土の中に横倒しになった長さ数10センチの楕円柱の鉱石で、象の足のような皺がよっていたという。特異な形状をしていたが、その当時これがどういう意味をもつものか判らず、ひとまず厚さ1センチほどの輪切り標本にして何枚かを主要大学の鉱床研究室へ送ったものである。本館では渡辺武男教授(故人、本資料館初代館長)が登録番号を付してこれを保管していた。

この標本は肉眼ではなかなか見分けがたいが、いくつかの層が重なった構造をもっている(挿図2)。まず最外殻には厚さ1ミリほどの灰白色の緻密な部分があり、細粒の重晶石(BaSO4)の結晶からなっている。この殻の内側には厚さ0〜2センチほどの黒色緻密な部分があり、重晶石・方鉛鉱(PbS)・閃亜鉛鉱(ZnS)を主としている。これより内側の部分は含まれる鉱物は同じだがいく分多孔質である。中心部へ近づくとにわかにガサガサとなり幅数10ミクロンの重晶石の結晶の集合体となる。そして中央部には1センチほどの空孔がある。この構造は現世の熱水噴出によるチムニーと酷似しており、全体の産状から判断しても、これが黒鉱鉱床形成時の海底に生成したチムニーであることは疑いない。挿図にも明らかなように、このチムニーには脇に小さなチムニーがもう1本付着して生成している。硫化物の小山で生成していたチムニーの1つが倒れて斜面を転がり落ち、引き続いて降り積もった火山灰の中に紛れ込み、この火山灰がのちに凝灰岩となり粘土化したものだろう。

2-2 黒鉱質チムニー輪切り標本の裏面のスケッチ。(1)-(4)の各ゾーンは、それぞれ細粒重晶石帯、緻密重晶石剥zM亜鉛鉱帯、多孔質重晶石剥zM亜鉛鉱帯、粗粒重晶石帯に対応している。1-7の番号は切り出して検討された部分を示す。

現在まで日本各地で数多くの黒鉱鉱床が稼行されたが、残念ながらこれまでにこのようなチムニーと考えられる構造をもった鉱石の例はほとんど報告されていない。黒鉱の形成時にはチムニーを作るようなメカニズムが卓越しなかったのかもしれないが、見落としているということも充分に考えられる。堤沢の場合は幸いにして露天掘りであったが、暗い坑内掘りの現場ではそのつもりになって見なければ、見えるものも見えないのかもしれない。地質学には、現在は過去を解く鍵、という言葉がある。アルビン号の発見があって初めて堤沢の標本の意味も明らかになった。たとえ現在あまり意味のよく判らない標本であっても、将来重要な解釈を生み出すものもあるかもしれない。長い間埃をかぶっていた標本が、ある日突然意味をもってくることがあり得る。まして鉱床学の場合には研究対象である鉱床を、人間が破壊し消費し尽くしてしまうのだから始末が悪い。標本を大事にするゆとりもないような文化国家では情けない。本館の使命とは、一見無価値にみえる標本でも、自らの生い立ちを語る日がくるまで静かに眠らせておくことのできるゆとりにあると思うのだが。

(島崎英彦)

参考文献

島崎英彦、1986、「秋田県花岡鉱山から産出した黒鉱質チムニー」、『東京大学総合研究資料館ニュース』 第6号
Shimazaki, H. and Horikoshi, E., 1990.“Black ore chimney from the Hanaoka kuroko deposits, Japan”, Mining Geology,vol.40, pp.313-321.


3 鹿児島県菱刈鉱山産金鉱石


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鹿児島県伊佐郡菱刈町山田、住友金属鉱山株式会社菱刈鉱山、慶泉三脈40ML、東五九番西押し産、含金銀石英脈
後藤寿幸
1993年3月26日採集
総合研究資料館、岩石z床部門

金は古来より人類がもっとも珍重してきた金属であり、カリフォルニアのゴールドラッシュにみられるように、また一攫千金の言葉に示されるように、金に対する憧れと夢は、いつの時代でも変りがないようにみえる。かつてわが国はマルコ・ポーロの東方見聞録に、屋根は黄金で葺かれ床は純金を敷きつめた国として紹介され、これがコロンブスを初めとする冒険家たちを、東洋へと向わせた大きな原動力の一つだったという。もちろんこの黄金の国ジパングの話は、中尊寺の金色堂などにその遠因はあるのかもしれないが、マルコ・ポーロの誇張か聞き違いである。しかし古代から多くの為政者が金鉱の開発に熱意を注いできたことも事実であり、有史以来現在までに本邦から産出した金の総量は約1000トンに達する。全世界でこれまでに掘り出された金は10万トン以上に及ぶので、本邦からの産出量はその1パーセント弱であるが、全世界の陸地面積の0.25パーセントという国土の比率を考えれば、わが国は金の産出の豊富な国といっても誤りではない。そしてそれは火山を連ねてできたような日本列島のもつ地質学的な背景に、その理由が存在するのである。

そもそも天然における金の産出状態には大きくみて2種類あり、一つはカリフォルニアのゴールドラッシュをもたらしたような砂金である。これは地下で形成された既存の金鉱床が地表で風化を受け、ばらばらに崩れた金の粒子が河川水などによって運ばれることによってできるものである。金は化学的に極めて安定なので分解したり酸化したりすることもなく、比重が大きいことから河川の屈曲部などに次第に集まってくる。金は延性・展性に富んでいるため、集まってお互いが接触するとどんどんくっつきあって大きな粒子に成長する。これが砂金鉱床とよばれるものである。このように砂金鉱床は地表付近に存在しているので、発見しやすくまた採掘も容易であり、開発の初期の段階ではもっぱらこのタイプの鉱床が稼行されることになる。本邦における開発の歴史もそのとおりで、西暦749年に最初の金産出を記録したのも、以来奥州藤原氏を支え続けてきたのも、北上山地の砂金鉱床であった。

しかし砂金鉱床を掘り尽くしてしまうと、人々は次第に砂金の供給源となった地下の金鉱床を求め、山奥深く分け入ることになる。砂金に対していわゆる山金と称される鉱床である。これにも様々なタイプがあるが、そのうちでも代表的なものの一つが火山活動に伴って形成される含金銀石英脈である。火山活動とは地下から熱いマグマが地表近くまで上昇してくることであるが、このような活動につきものであるのが、熱水とよばれる2、300度から数100度に達する高温の流体の活動である。これは火山の源であるマグマから水を主とする流体が放出されたり、マグマの熱により地下水が温められて循環したりしてできるもので、地下におけるこのような活動の一端は温泉などとして身近に知られているほか、わが国では地熱発電などにも利用している。

日本列島は太平洋を取りまく火山帯の一部を構成しており、新第三紀(約2500万年〜200万年前)以降の若い火山の活動が数多く知られている。このため現在でも活発な熱水活動がみられるほか、過去の熱水活動の名残りがいたるところで観察される。熱水は高温のときには様々な物質を溶解しているが、地表付近に到達して次第に温度が下がってくると溶解していたものを沈澱する。温泉の湧出口付近にみられる湯の華などがよい例であるが、地下の岩石の割れ目を伝って上昇してくる熱水が、このような沈澱物を割れ目の壁面に沿って沈着させたのが、いわゆる脈とよばれるものである。このような熱水からは石英や方解石がもっとも一般的に沈澱し、石英脈あるいは方解石脈などとよばれる。そしてこのような脈の中には、石英や方解石に混ざって金・銀・銅・亜鉛・鉛などの様々な有用金属を含む鉱物が沈澱していることが多い。日本の国土から、平均以上の金が産出するのは、このような火山活動に伴って形成された金・銀の鉱脈が多数存在しているからにほかならない。

砂金をほぼ掘り尽くしてしまってからのち、人々は次第に山金とよばれるこのような金銀鉱脈の採掘を手掛けるようになり、江戸時代以降はもっぱらこのタイプの鉱床が稼行された。本邦における三大金山といえば北海道の鴻之舞・佐渡・鹿児島県の串木野であるが、これらはいずれも上述のような火山活動に関係して形成された金銀鉱脈である。これらの鉱山からの金の産出量はいずれも70〜80トン前後であり、かなり似通った規模の鉱床であるということができる。近年この三大金山を初めとするわが国の既知鉱床は、長期間の採掘のために次第に鉱量が枯渇し、多くの金山が閉山のやむなきにいたっている。このような事情は金銀鉱床に限ったことではなく、鉱量の枯渇と同時に人件費・採掘費の高騰によって本邦の諸鉱山は軒並み閉山の憂き目にあっており、エネルギー資源とともに金属資源もほぼ100パーセントを海外に依存するという憂慮すべき事態になっている。

ともあれそのような鉱業情勢にあって、わが国の鉱業史上でも特筆される目の覚めるような快挙といえるのが、1981年の菱刈金鉱床の発見であろう。この鉱床は鹿児島県伊佐郡菱刈町にあって、日清戦争後から山田鉱山の名で小規模に掘られたらしいが、詳細については分かっていなかった。全国の有望鉱床地域の組織的な探鉱を行っている金属鉱業事業団が、この地域の金鉱床探査のために打った1本のボーリングの先端部付近にわずか15センチの幅の石英脈が捕捉され、これが290グラム/トンという高品位を示したのがその発見のきっかけである。引き続く事業団と鉱業権者である住友金属鉱山株式会社の追跡調査で鉱床の全貌が次第に明らかになるにつれて、菱刈ショックともいえる驚きが全世界の鉱業関係者・鉱床学者の間を駆けめぐった。

一つはその驚くべき品位の高さである。金・銀などそもそも含有量の少ない金属の品位は、パーセントではなく1トン中のグラム数(グラム/トン、ちなみにこれはppmと同じ単位である)で表すのが慣例であるが、現在世界中の金鉱山で採掘されている鉱石の金品位はおよそ数グラム/トン程度である。ところが発表された菱刈鉱床の平均金品位は80グラム/トンにもなるという。もちろんどんな鉱石でも金粒付近のごく小さな部分を採ればその品位は極めて高くなり得る。しかし菱刈鉱床の場合は鉱石量150万トンの平均の品位であって部分的な値ではない。これはまさに世界の鉱業界の常識を覆すものといっても過言ではない。

さらに探鉱が進むにしたがって、それまでに発見されていた鉱脈群(これを本鉱床と称している)のほかに山田鉱床・山神さんじん鉱床の二鉱脈群も存在することが確認され、平均金品位はそれぞれ70グラム/トン、20〜25グラム/トンと発表された。最近本鉱床の平均金品位は周辺の低品位部も加えて60グラム/トンと修正されたが、これらの三鉱床の含金量の総計はおよそ250トンに達するだろうと推定されている。この量はもちろん日本一であって、これまでの三大金山である鴻之舞・佐渡・串木野の産金量の合計を優に凌ぐものである。これらの探査結果をうけて、住友金属鉱山では採掘のための坑道掘削などに着手し、本鉱床からの本格的な出鉱は1985年から始まった。

本鉱石は、この菱刈鉱山山神鉱床の慶泉とよばれる脈から採取されたもので、住友金属鉱山より本館が寄贈を受けたものである。黒色の泥岩中に胚胎する幅約2メートルの鉱脈の中の一部で、火山活動に伴うこのタイプの含金銀鉱脈ではもっとも普通に存在する石英(SiO2)を主としており、氷長石(KAlSi3O8)・粘土鉱物などを少量含んでいる。またエレクトラム(Au, Ag)とよばれる金と銀の合金鉱物や黄鉄鉱(FeS2)などの鉱石鉱物を含んでいる。本標本はほぼ左右対称の弱い縞状構造を示し、特に左右の数センチの部分は灰黒色の細かな縞模様が観察できる。これは通常このタイプの金銀鉱脈で銀黒(ぎんくろ)とよばれている特徴的なもので、微細な鉱石鉱物の濃集部である。金の鉱石というと山吹色の金の粒子が認められるものを期待される向きも多いかと思われるが、山金の場合には砂金と異なり金を含む鉱物は通常極めて微細で、肉眼で金粒が認められることはほとんどない。この標本の品位は、金6281グラム/トン、銀1774グラム/トン、両端から8センチ間に限れば、金1万6600グラム/トン、銀2280グラム/トンというまさに驚異的な数字が報告されており、全世界の鉱業関係者が夢にまでみる垂涎の鉱石である。

菱刈鉱床については本学の研究者を含む全国の多数の鉱床学者によって詳細な研究が進められており、以下のような様々な事実が明らかにされている。鉱脈を胚胎する母岩は地表付近では菱刈下部安山岩類とよばれる第四紀の火山岩だが、その下では四万十層群とよばれる白亜紀の砂岩・泥岩中に胚胎している。火山活動に伴う金銀鉱脈が、このように火山岩よりも下部の基盤岩中にまで連続していることは異例であり、ここにも菱刈鉱床の特異性の一端がうかがえる。鉱脈が形成された時代は極めて新しく、約百万年前である。金銀を沈殿した時の鉱液の温度はおよそ200度程度であり、鉱液の起源はマグマによって熱せられた地下水が主で、これにマグマから直接放出されたいわゆるマグマ水がいくらか混入したものではないかと推定されている。

このように鉱床に関するデータは続々集まっているものの、なぜここにこのように大量の金が極めて高い濃集度で沈澱したのか、というもっとも基本的な問いに対する答えはまだ得られていない。マグマにより熱せられた地下水が循環したとするモデルにたてば、金は母岩より抽出されたと考えざるを得ないが、これまでの研究では周辺の岩石で平均以上に金に富む母岩は発見されていない。金はマグマからもたらされたとも考えられるが、周辺の火山岩などを調べても異常な組成のマグマの存在を示唆するものは何もない。またもしマグマからもたらされたものであるとなれば、なぜそのように金の含有量の高いマグマが突然発生したのかを説明しなければならない。周辺に金の含有量に異常をもつ岩石がないならば、熱水が何か特殊なメカニズムで効率よく広い地域の一般的な岩石から金を抽出したと考えるべきなのかもしれない。しかし鉱液の物理的・化学的諸性質を調べても、通常の金銀鉱脈を形成する鉱液と大した違いはなさそうである。結局このような大自然の気まぐれな創造に人知は及ばないと悟るべし、とこの標本は教えているのだろうか。

(島崎英彦)

参考文献

井澤英二、1994、『よみがえる黄金のジパング』、岩波書店
近藤皓二、1986、「菱刈鉱山の探鉱開発について」、『鉱山地質』、36巻、1〜9頁


4 輝安鉱


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愛媛県西条市市ノ川鉱山
若林彌一郎
総合研究資料館、鉱山部門

輝安鉱Sb2S3のわが国における産状は、(1)石英または粘土鉱物とともに鉱脈をなす、(2)自然砒As、鶏冠石As4S4、雄黄As2S3、硫砒鉄鉱FeAsS等の砒素鉱物とともに鉱脈をなす、(3)金鉱脈中、(4)種々の金属鉱脈中に副成分として、等である。特に、愛媛県の三波川変成帯中の市ノ川鉱山から明治14、5年頃に多量の大型の良晶が産出し、内外の博物館等に陳列されている美麗な標本は、多くその時の産出と伝えられている。市ノ川鉱山では中生代の母岩を切る石英脈に産した。アンチモンを含む鉱物は西南日本の中央構造線に沿ってみられ、鉱脈の形成が関連しているのであろう。

本展示標本も市ノ川鉱山より産出したもので、資料館所蔵の若林鉱物標本に属している。若林鉱物標本は、秋田県荒川鉱山、岡山県吉岡鉱山の鉱山長などを歴任した若林彌一郎博士が蒐集し、1934年に当時の東京帝国大学鉱物学教室に寄贈されたものである。その後、1966年に資料館に移管され、本館2階に常設展示されている。若林鉱物標本中の輝安鉱は市ノ川鉱山以外、愛知県津具鉱山、兵庫県中瀬鉱山、大分県馬上鉱山、鹿児島県大口鉱山などの産出品からなる。

輝安鉱は斜方晶系に属し、c軸方向に伸びた柱状の自形を呈す。柱面に条線を見る。普通は放射状の集合、柱状または粒状の塊として産す。比重4.6、硬度2、劈開が{010}に完全である。和田維四郎は市ノ川の輝安鉱の採集に努め、測角により三種の晶相があると主著「日本鉱物誌」(明治37年刊)に述べている。挿図1にこれを再録した。

 
4-1 愛媛県市ノ川鉱山産輝安鉱の晶相(和田維四郎著「日本鉱物誌」より)。左:尖端の結晶面p、τ、n等の錐面を主体とするもの。中央:錐面Tを主体とするもの。右:特に結晶面に富むもの。 4-2 輝安鉱のc軸に沿った結晶構造投影図(森本譽都城著『鉱物学』、岩波書店より)。

輝安鉱の結晶構造は古く1933年にW・ホフマンにより解析されている。空間群Pbnm、格子定数a11・22、b11・30、c3.84オングストローム。c軸に沿って投影した結晶構造図は森本・砂川・都城(1975)による。c軸方向の短い周期は硫化・硫塩鉱物にしばしば見られるもので、そのため単位格子内でc軸方向の原始座標zは0.25(挿図2、白地部)と0.75(斜線部)の値のみをとる。構造は(Sb4Se)nの鎖がc軸方向に走っている。鎖内でSbとS原子間の(最短結合)距離は約2.5、一方隣接する鎖間では原子間距離が最低約3.2オングストロームあるので鎖間はゆるい結合になっている。

類似の結晶構造を持つ鉱物に、輝蒼鉛鉱Bi2S3、アイキン鉱CuPbBiS3(輝安鉱のSb席をPbとBiが置き換え、かつCu原子がSに対して四配位になる空隙をうめている)などがある。

(小澤 徹)


5 アレンデ炭素質コンドライト


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メキシコ、アイェンデ村
1969年採集
総合研究資料館、鉱山部門

銀河系や太陽系の起源を知る上で重要なこととして、様々の元素がどのくらい含まれているかという問題がある。このことを明らかにするためには、太陽大気の化学組成を調べる方法やいろいろな隕石の平均的化学組成を求める方法がある。いずれも元素分布に偏りはないとの考えですすめられる。

1969年メキシコのアイェンデ村に落下した約2トンもの隕石は、太陽系の起源に関する今までの考えを吹き飛ばしてしまった。アレンデ(アイェンデ)隕石は太陽系の持っている酸素の同位体組成とは異なっていた。これは単純に考えて、太陽系外の物質が混入していたことを示す直接証拠であった。さらに事態は複雑であった。アレンデ隕石中の主要な構成鉱物はかんらん石であり、それは太陽系の同位体組成を持っている。一方、Ca、Alに富む鉱物、ゲーレン石、斜長石、輝石、スピネルなどの鉱物から構成される不規則な白い凝集体の酸素同位体は太陽系のものではなかった。このことから直ちに、原始太陽系に他の星雲が大規模に衝突したことが推定されよう。

展示標本には、かんらん石から主に構成される直径1ミリ程度の球状のコンドリュールと、白い不規則な外形の凝集体が多数見られる。白い凝集体は原始太陽系星雲と衝突した星雲との融合でできた結晶の集合体であり、ホワイトインクルージョンとも呼ばれている。一方、コンドリュールは小さな結晶の集合体が一度融解して液滴となり、急冷して固化したものである。したがって、局所的に相当な高温になったことがわかる。こうしてできた微細な結晶やコンドリュール、ホワイトインクルージョンがその後集合して標本のように隕石となったのである。

(鳥海光弘)


6 三波川変成帯の角閃岩


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高知県汗見川上流
R・ウィンチ(Wintsch)
1994年8月採集
総合研究資料館、鉱床部門

三波川変成帯は九州東部佐賀関半島から関東山地長瀞にかけて長さ約800キロメートル、最大幅は四国中央部で50キロメートル程度の細長い広域変成帯である。世界的にも連続性のよい変成帯として研究が盛んに行われている。変成帯は1億5000万年前に海溝であったところに大量の堆積物がたまり、当時の古太平洋底に堆積した玄武岩や泥岩、放散虫遺骸からなるチャート、珊瑚礁に由来する石灰岩体などがプレートの沈み込みに伴って海溝底に堆積した砂岩や泥岩の中に挟み込まれ、全体としてそのまま地下の40〜60キロメートル程度の深さまで押し込まれた地質体である。このとき2つの物理過程が起こる。一つは鉱物や水などの間の化学反応であり、一つは、固体の流動という変形過程である。前者は変成作用と呼ばれている。変成作用は温度と圧力の条件によって化学反応が大きく異なる。また、プレートの沈み込みに伴い付加帯が地下に押し込まれても、付加帯の位置によって押し込まれた深さは異なり、そのため温度も違ってくる。そこで、変成帯では様々な鉱物を持つ変成岩が温度や圧力の変化に対応して規則的に変化する。三波川変成帯では、泥岩は南から北へ順に白雲母、緑泥石、石英からなる片岩、ざくろ石、緑泥石、白雲母、石英からなる片岩、ざくろ石、黒雲母、白雲母、緑泥石、石英からなる片岩へと変化し、しかも次第に結晶の大きさも大きくなる。この順に変成作用の温度や圧力は大きくなったことがわかっている。一方、玄武岩起源の変成岩は南から北へ緑泥石、パンペリ石、緑廉石を含む片岩、緑泥石、アクチノ閃石、緑廉石を含む片岩、藍閃石、緑泥石、緑廉石を含む片岩、さらに普通角閃石、アルバイト長石、緑廉石を含む片岩または片麻岩へと変化する。最近ではさらにざくろ石、輝石、角閃石、アルバイト長石からなるエクロジャイトも認められている。これらの岩石は帯状に分布して、付加帯が沈み込みその後上昇したときの造山運動の全過程の物理化石ともなっている。

展示標本は四国中央部の三波川変成帯から採取した玄武岩起源の緑廉石角閃岩である。白い結晶はアルバイト長石であり、周囲の濃緑色の短冊形の結晶は角閃石である。結晶は片岩のように広域変成作用で形成されると、固体状態のまま流動する。このときに結晶は岩石の流動の方向に並ぶ。標本に見られる鉱物の配列は三波川変成作用に伴う固体の流動の方向を示している。この方向は関東山地から九州まで変成帯の伸びの方向と約10度斜交する方向であり、これはまた、変成帯全体が地下の40〜50キロメートルから上昇してくる方向である。すなわち変成帯の延長方向にやや斜めに、現在の方位でほとんど東西に上昇してきたことがわかっている。この標本の結晶の配置が日本全体の幾何学的配置と一致しているのは美しいことである。

(鳥海光弘)


7 超高圧変成岩のざくろ石巨晶


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イタリア、アルプス、ドラマイラ岩体
渡辺暉夫
1990年9月採集
総合研究資料館、岩石z床部門

1984年に超高圧変成岩が発見されて以来、アジア大陸内陸部とヨーロッパ大陸で次々とコース石を持つ超高圧変成岩が発見され、多くの大陸と大陸が衝突して形成した造山帯の中核にはかなり大規模に超高圧変成帯が広がっていることがわかってきた。超高圧変成作用というのは、石英が高圧力で安定なコース石を含むことで特徴づけられるもので、約70キロメートル以上の深さで500度以上の温度状態で起こる再結晶過程である。ところが、1989年になって、超高圧変成岩からダイアモンドが発見された。そこで、ダイアモンドと石墨の相転移関係から、ダイアモンドを含む超高圧変成岩は、なんと100キロメートルより深いところで起こった変成作用であることが実証された。こうして、地球上の多くの時代で大陸が衝突し、その一部がプレートの沈み込み(サブダクション)にひきずられて、100〜150キロメートル程度まで沈み込んでいったことが示された。問題は大陸地殻が大変に軽いことにある。周囲のマントルは比重は約3.3であり、大陸地殻は約2.7〜2.9である。このためよほどしっかりとプレートと大陸地殻が接合していないと沈み込むことはできない。このような接合の強度は温度や沈み込む速度に関係していて、温度が高いと弱く、したがって、超高圧変成岩はできないらしい。

超高圧変成岩の特徴であるコース石やダイアモンドは、ざくろ石に小さい結晶粒として含まれている。これはざくろ石がコース石やダイアモンドのコンテナとなって地表にでるまでそれらを保護していたからである。ざくろ石はまさに宝石でできた宝石箱であった。

展示標本のざくろ石は、パイロープざくろ石であって、マグネシウムの多いざくろ石である。アルプスのドラマイラ岩体から採取された。中に小さい鉱物がたくさんみえる。これはざくろ石が100キロメートル600度ぐらいで成長するとき、周囲の鉱物を包み込んでしまったものである。このざくろ石は結晶の中心を通るように切断されている。外形はほぼ成長したときの結晶面でおおわれている。

(鳥海光弘)


8 黒雲母花崗岩と菫青石黒雲母
ホルンフェルスの接触部


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茨城県笠間市稲田
総合研究資料館、岩石z床部門

花崗岩(類)とは珪長質深成岩(類)のことである。したがって、花崗岩質マグマが地下で徐冷固結したもので、実際には、石英、アルカリ長石、斜長石、白雲母、黒雲母、角閃石などから構成された優白色粗粒完晶質岩のことである。特徴的に大陸地殻に産出し、地殻進化の鍵をにぎる岩石の一つである。IUGSによる分類では、石英、斜長石、アルカリ長石の量比に基づき、命名される。

わが国でも国土の1割以上をこの花崗岩類が占めている。展示標本の左上半分の優白色部分がそれで、中粒〜粗粒の黒雲母花崗岩である。石材名を稲田石ともいい、主として、正長石、斜長石、石英、黒雲母から構成される。少量ながら、角閃石、褐簾石、くさび石、ジルコン、燐灰石、磁硫鉄鉱、チタン鉄鉱などを含む。また一部の晶洞には、熱水起源の魚眼石、濁沸石、菱沸石、束沸石、方解石などを含むことも知られている。今から約6300万年前に中・古生界に貫入した花崗岩類が冷却固結したものを石切場から切り出し観察しやすくするために表面を研磨してある。被貫入岩の中・古生界との接触部付近には接触変成作用が認められる。また、ホルンフェルス化した砂質―泥質の捕獲岩を多く含み、石灰質の場合には、各種のスカルン鉱物が形成されることがある。

現地の石切場では、水平方向に平べったい形状の捕獲岩塊が数多く観察でき、上昇してくる花崗岩質マグマ中に岩塊が取り込まれ、小さく壊されながら沈んでいく様子がわかる。

展示標本の残りの優黒色部分は、このホルンフェルス化した捕獲岩である。黒色の点紋は菫青石の斑状変晶、また、暗いあずき色を呈した部分は黒雲母が濃集している部分である。花崗岩から連続して、幅数ミリ〜数センチの白色の細脈は、主として石英からなる。捕獲岩のうち、石灰質の部分で脈状あるいはレンズ状にスカルンが形成され、白色の珪灰石、褐色の灰バンざくろ石、ベスブ石、緑色の透輝石―灰鉄輝石などのスカルン鉱物や粒状の灰重石、磁硫鉄鉱などが観察される。

(清水正明)


9 ノーラット山のペリドタイトゼノリス


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オーストラリア、メルボルン西部、南オーストラリア火山域
鳥海光弘
1991年10月採集
総合研究資料館、岩石z床部門

オーストラリア南部のメルボルンから南氷洋沿いの地域は南部火山地域といわれて、多数の単成火山が点在している。単成火山はちょうど伊豆半島の大室山や阿蘇の米塚のように小規模で円錐状の比較的短時間につくられた火山である。南部火山地域の火山活動は約3000万年前から1000万年前に起こったが、その起源は、その当時のオーストラリア大陸のマントル内で起こった大規模な上昇流(プルームと呼ばれる)によって、マントル上部のプルーム頭から発生したマグマの噴火である。マグマは約1200〜1400度でマントル物質が融解したもので、たいていは周囲のマントルより軽いので、地表にまで一気に吹き出す。このとき、周囲のマントルの物質であるペリドタイトをマグマが取り込んでしまい、そのまま地表まで運んでしまうことがある。これをペリドタイトゼノリスと呼んでいる。ゼノリスの語源はギリシャ語のゼノスとリトスであり、異邦岩程度の意味である。

展示標本の上部マントルの岩石は、かんらん石(ペリドート)というオリーブ色の結晶とやや灰色の斜方輝石、および、きれいな緑色をした単斜輝石が主要な構成鉱物である。このため全体にやや透明感のある緑色を帯びている。ゼノリスは通常周囲をマグマが冷えて固まった火山岩(多くは玄武岩溶岩)によっておおわれている。ペリドタイトゼノリスは世界各地に分布しているので、地球の上部マントルの構造がどのようになっているのかを直接知る有力な標本であり、多くの研究者が研究している。また非常に美しい標本でもある。

(鳥海光弘)


10 三宅島1983年噴火の玄武岩溶岩


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東京都三宅島
1983年採集
総合研究資料館、岩石z床部門

玄武岩溶岩は溶岩の表面の形状に基づいて、アア溶岩とパホイホイ溶岩とに区分される。この奇妙な名前は、玄武岩溶岩の活動が頻繁に起こっているハワイの原住民の呼び方にちなんでいるためである。アア溶岩の表面はガサガサしているうえに、ブロック状に割れていることが多いために、その上を歩くのは大変困難である。多くの場合、数メートルから数10メートルの厚さを持つ。一方、パホイホイ溶岩の表面は普通はなめらかで、噴火したばかりの溶岩では表面が薄いガラスでおおわれている。溶岩の厚さはたいていの場合、数10センチからせいぜい数メートルと薄い。時には、溶岩がまだ流れていたときの表面の波立ちが、縄状に保存されていることもある。

今回の展示にはこのような玄武岩溶岩のうち、アア溶岩の典型例を用意した。標本は三宅島1983年噴火の際の溶岩流から採取されたものである。アア溶岩の表面の複雑な形状は、様々な原因でつくられたものである。地下にマグマがあったときには高圧のためマグマ中に溶け込んでいた気体成分は、地表に噴出すると溶け込めなくなる。この気体成分が気泡となって逃げ出した跡がたくさんの小さな穴として残っているためにガサガサにみえる部分もある。場合によっては、この丸い穴が引き延ばされて、複雑な格好になることもある。溶岩噴泉で吹き上げられたマグマのしぶきが降り積もって固結したために、表面がガサガサになっている部分もある。また、溶岩が流動している最中に溶岩中に取り込まれた空気が、溶岩の高い温度のために膨張して空洞として残ったりすることもある。

アア溶岩が流動している際には溶岩の先端部にはガサガサの溶岩の崖ができあがり、この崖が絶え間なく崩れ落ちることによって溶岩全体が前進することになる。したがって、流れるという表現はあまり適当ではない。映画やテレビの映像でよくみかける川のように溶岩が流れている場合は、固まってしまうとアア溶岩ではなくパホイホイ溶岩となるのが普通である。

展示標本はアア溶岩の表面近くから採取されたものなので、表面のガサガサした様子がよく分かるが、アア溶岩といってもその内部までガサガサしているわけではなく、内部は均質で、緻密な岩石となっている。これは溶岩が流動している間は固まっていない高温の液体が内部に存在していたためである。三宅島の阿古の集落に行く機会があれば、一周道路の一部で、このようなアア溶岩の断面を見ることができる。

ところで、三宅島は伊豆七島のほぼ中程に位置する成層火山の上半部分であり、海底からの高さを考えると、高度1800メートルの円錐形の火山である。水面上に露出している島の部分は長径約10キロメートル、短径約9キロメートルのほぼ円形をなし、最高部分は海抜814.5メートルである。この火山を構成する岩石は、伊豆大島と同様、玄武岩溶岩が主体であるが、まれには安山岩もみられる。

三宅島の火山としての活動史は、地質時代についてはほとんど明らかになっていないが、歴史時代に入ってからは、種々の古文書に噴火記録が残されていて、比較的よく分かっている。最近の噴火を含めて、合計15回の噴火が確認されている。それによれば、1154年から1469年の315年間は噴火の記録がない。このことが実際に噴火が起こらなかった休止期間にあったことを示しているのか、単に古文書の記録が欠如しているだけなのかは明らかではない。この期間を除くと、それぞれの噴火は21年から69年おきに起こっており、平均すると39年の間隔で噴火が発生していることになる。したがって、数10年に1回の割合で噴火をくりかえす、比較的活動的な火山であると言える。

今回展示した標本は、21年ぶりに1983年に噴火した際の玄武岩溶岩である。この噴火は、前の2回の噴火(1940、1962年)の場所とは山頂をはさんでほぼ反対側にあたる、南西斜面で発生した。10月3日、午後3時15分ごろに始まった噴火は、近年の活動と同様に、山体に割れ目が発生して、カーテンのようにマグマを吹き上げる割れ目噴火であった。噴火の割れ目は村営牧場上部(海抜510メートル)から南側の海岸沖までの4.5キロメートルに達した。高度が70メートルよりも高い部分ではマグマを吹き上げる溶岩噴泉が発生し、噴火の最盛期の数時間は、村営牧場まで噴泉がつながって、まさに火のカーテンのようにみえた。一方、海抜70メートルよりも低い部分では、マグマが地下水や海水と接触して起こるマグマ水蒸気爆発を主とする噴火が起こった。山腹部の溶岩噴泉の一部からは、マグマが溶岩流となって山腹を流れ下り、そのうち最も北寄りを流れた溶岩流は阿古の民家を多数埋没させた。この溶岩流から採取された標本が、今回の展示物である。

溶岩はカンラン石含有普通輝石玄武岩で斑晶量は少ない。斜長石斑晶が5パーセント以下、カンラン石、普通輝石等の有色鉱物は1パーセント以下にすぎない。

(藤井敏嗣)


11 四万十層砂岩の
コンボリューション(海溝底堆積物)


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高知県行当
鳥海光弘
一九九四年九月採集
総合研究資料館、岩石z床部門

四国四万十川の名前に由来を持つ四万十帯は沖縄から四国、紀伊半島、中部地方、および関東にかけて太平洋岸に帯状に分布する地質体である。この地質体は、ほとんど2000万年前から7000万年前の間の時代に大量の土砂が陸域から流れ、海溝に沿って乱泥流となって厚く堆積し、その後に日本列島などの島孤の下のマントルに沈み込んでいたプレート運動に呼応して、海溝に堆積していた岩石や、まだ固結していない堆積物が陸側に大規模に付加してつくられた。こうして形成された地質体を付加体と呼ぶ。付加体が次々とつくられることによって、大陸や日本列島のような島孤はいわば成長してゆく。日本列島のうち関東より西側の西南日本では、日本海側から太平洋側にかけて、1億5000万年前から次第に太平洋側に成長し続けていることがわかっている。現在もなお南海海溝で堆積した堆積物は日本列島に付加しているのである。

展示標本は室戸半島の行当から採取された砂岩である。これは1枚の海溝底の乱泥流から形成されたものであり、上面は平坦であるが、下面は下に垂れ下がった曲面をつくっている。この砂岩は下と上は泥岩でやはり乱泥流堆積物である。泥岩は未固結の状態では砂より水はけが極めて悪い。そこで泥の上部に砂が乱泥流で運ばれてくるとまだ大量の水分を持っているために砂が泥の中にその重みで入り込んでいき、水を排出する。このとき砂につくられていた縞模様(ラミナ)は砂の移動に伴って褶曲する。このような褶曲構造はコンボリューションと呼ばれている。よく似た構造には乱泥流の下底でできる渦などによる流れの痕跡(フルートカスト)などもある。このように海溝底で起こる排水の物理過程もその痕跡をこのような美しい物理化石となって残している。

(鳥海光弘)


12 スコロド石の石筍


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宮崎県岩戸村奥見立鉱山
湊秀雄
総合研究資料館、岩石z床部門

石灰石地方にはいろいろな特徴的地形や景観がみられる。鐘乳洞は代表的なもので、わが国のみならず世界各地で重要な観光資源となっている。鐘乳洞中での主役は「鐘乳石」であるが、正確にいえば、天井からつらら状に下がっているのが鐘乳石であり、床にきのこ状に生成しているものが石筍、両者の連結したものは石灰柱と呼ばれる。これらの「鐘乳石」の一般的な成因は、石灰岩中に浸透し、その主成分である炭酸カルシウム(CaCO3)を溶解した地下水が上盤の割れ目などを伝わってきて滴下する際に生成するものである。地下水中の炭酸カルシウム濃度は季節変化する水量によって異なるが、「鐘乳石」を造る時には炭酸カルシウムに関して飽和しており、蒸発作用により過飽和になると考えられる。一方、地下水量が増して炭酸カルシウム濃度が減小して不飽和になると「鐘乳石」は再び溶解することになる。「鐘乳石」はこの微妙な変化をよく記録しており、展示されている石筍には、沈澱・溶解の大きな変化が三回繰り返されたことが示されている。

展示標本の「スコロド石の石筍」は、生成された場所や形態は普通の石筍と差異がなく、生成機構も上述の場合と似たものと考えられる。しかし、構成物が炭酸カルシウムではなく、Fe3[AsO4]・2H2Oの組成をもつスコロド石であり、世界でも大へん珍しいものである。本標本は、本学名誉教授、湊秀雄氏により、宮崎県、旧奥見立鉱山(嘉納鉱山)より採集された。構成物はかつて含銅異極鉱とされていたが、同氏の研究の結果、スコロド石であることが明らかにされたものである。

採集地の奥見立鉱山は大分県・宮崎県境付近の尾平鉱床区の鉱床群に属している(挿図1)。この鉱床群は金属の種類に富み、錫、タングステン、モリブデンのほか、銀、銅、鉛、亜鉛、マンガン、鉄に加え、アンチモン、砒素、ビスマスを産する特徴がある。石筍を構成するスコロド石は鉱床中に産する砒素鉱物である硫砒鉄鉱(FeAs2)が分解し、酸化して砒酸鉄溶液が形成され、これが地下を伝わり上盤の割れ目から滴下して石筍を造ったものであろう。

(歌田 実)


13 砂漠のバラ


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オーストラリア、ビクトリア州
清水正明
総合研究資料館、岩石z床部門

地質現象の中では、地震や地すべりなど一過性の天変地異には大きな注目を集めるが、経常的に進む現象には、身辺なものであってもあまり気づかれていないものが多い。風化・侵食・運搬・沈積の堆積サイクルは地球の表面で起こっているものであるから、最も我々の目に触れやすいにもかかわらず、その機構は十分には理解されていない。日本列島は湿潤気候地域に属するために、この堆積サイクルは主として地表水を営力としていて、一般に物の動きは高所から低所へ、地表から地下へと向っている。また、蒸発作用などによる鉱物生成などは、洞窟内などで小規模にみられるだけである。これに対し、乾燥地域では風を営力とする堆積サイクルや強い蒸発作用に支配された堆積サイクルなど湿潤気候下とは様相の異なる現象がみられる。

乾燥地域、特に砂漠では表層水は乾期には干上り、降雨の後には湖となるプラヤ湖など限られた場所にしか存在しない。砂漠の年降水量はもちろん小さいが、数回はまとまった降雨がある。この大部分は地表から蒸発していくが、一部分は深部に浸透し地下水となる。この地下水が流動してプラヤ湖やオアシスなどでは地表に現れる。また、一部の地下水は地表に向って上昇し、蒸発していく。

砂漠のバラ(roses du d'esert)は上昇地下水が蒸発する際に溶存成分が結晶化したものである。この地下水が上昇する機構は一般には毛細管現象によると考えられている。また、地下水はこの循環の過程で、砂粒に付着している種々の塩類を溶かし込んで高濃度の溶液となっていく。地下水が蒸発の際、塩類が結晶として沈澱したのが砂漠のバラで、ふつうは地表下数センチ〜数メートルのところに多く生成するといわれている。この機構で生成する鉱物は方解石(CaCO3)や石膏(CaSO4・2H2O)が最も多いが、その他の鉱物もみられる。

本標本はオーストラリア、ビクトリア州産のもので本館に寄贈されたものである。結晶はすべて石膏であり、最大なものは長さ5センチ、幅1センチ、厚さ4ミリある。

(歌田 実)


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